鯨に復讐心を燃やす男の話 メルヴィル『白鯨』
復讐
いきなり怖い言葉で「なんだ」と思うかもしれない。
あなたは他の人から危害を加えられたり、嫌がらせをされたり、自分にとって不都合なことをされたりしたことはあるだろうか。
もっと些細なことでは、相手には悪気がなく発言していることでも、その一言で強烈に怒ったり、ブチギレることってないだろうか。
僕も当然おんなじようなことをされて、その度に倒れて、もう一度立ち上がって生きてきた。これからもそうだろう。相手の発言に対して、ブチギレたことだって何度もある。そんな時「復讐してやる」と思ったのは、1回。今考えれば、復讐ではなく、「あいつを見返してやる!」その程度の気持ちことだったのかもしれない。これは高校の時の出来事で、思春期の僕にとっては、些細なことでも怒りの対象となる時期のことだ。まあ、もうすぐ二十歳を迎えるが、ちょっとのことで怒るという性格は抜けていないが。
この年末年始に読んだ、超超長編でアメリカ文学の中でも長年読み継がれている『白鯨』も、一言で言ってしまえば、鯨に対する「復讐」の話だ。
「運命」より怖いエイハブ船長
『白鯨』は、「モービィー・ディック」と呼ばれるめちゃくちゃデカい鯨に片足を食べられた<エイハブ船長>が主人公。エイハブ船長は、何がなんでもモービィー・ディックをやっつけたくてしょうがないのだ。つまり、『白鯨』の大きな話の筋はここにある。
「エイハブがモービィー・ディックに復讐をしようとする話」
簡単に言えばこんな感んじだと思った。
そんなエイハブ船長。めちゃくちゃ怖いのだ。どのくらい怖いかというと、、、、
かれらの(船の乗務員)エイハブに対する恐怖は「運命」に対する恐怖よりも強かった。
という。「運命」に対する恐怖ってなんだ?と思ったが、おそらく何かキリスト教的な考え方に違いない。(あまり詳しくないので、正しいことは言えませんが。)
人間の本質
自らに危機的な状況が迫った時、人間はその本性や本質が明らかになる。
『白鯨』は、鯨を追い求めて航海する話。いろんな天候状態や船の不具合など命に関わることがたくさん起きる。そんな状況で、人間はどう行動するのか、どう考えるのか、客観的に書かれている箇所がある。
自分も危機的な状況に置かれた時、『白鯨』の箇所を思い出して冷静になりたい(ムリかも笑)。
悲劇的な偉大な人物とは、すでにある種の病的素質を媒介して形成されるものだ。銘記せよ、大望ある若人よ、あらゆる人間の偉大さとは病に過ぎぬのだ。(上・165)
人間というものは、何か間違ったことがありそうだけど思ったときでも、もしすでに自分がそれに巻き込まれてしまっていたならば、無意識のうちにおのれ自身に対してもその疑惑を包み隠そうとすることがあるものだ。(上・204)
もっとも信用すべき有用な勇気とは、目前の危険の大きさを正しく測定するところから生まれるものであるばかりでなく、少しも恐怖を知らぬ人間は、臆病者よりもさらに危険な同僚だ、(上・231)
だが理想としての人間は、まことにけだかく、花々しく、また光り輝く壮麗な生きものであるからして、もしそこに一点でも不名誉な汚れがあれば、同胞隣人たるものは、ただちに走り寄って、おのおの最も大切な衣をも投げかけてやらねばならぬ。(上・233)
(鯨の分類について)もとより完全なものをお約束するわけにはゆかぬ。かりにも人間のすることを完全と想像したとすれば、それだけですでに明々白々の誤謬なることの十分な理由だから。(上・262)
人間の狂気には、しばしばきわめて狡猾な猫のようなところがある。癒ったと思っていると、実はただもっと陰険な形に姿を変えているに過ぎない(上・350)
「生」が「死」を包み、「死」が「生」の格子棚となる(下・320)
人間が一度生きようと決心すれば、病気ぐらいで殺せるものでないー鯨とか、嵐とか、何か乱暴な、始末におえぬ、わからず屋の破壊者の類いでない限りは。(下・368)
圧倒的な鯨の知識
もう一つ、『白鯨』の見所と言えば、膨大な鯨についての知識が書かれていることである。鯨についての百科事典とでもいうべきか。「鯨」という語の語源から分類法、鯨の見分け方、生態まで詳しく記述。さらに、捕鯨船の構造や捕鯨の方法、道具まで幅広い。読み終わった後には、あなたも鯨博士!?。
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