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「ホントに?」

この言葉をクライアントに向けることを意識するようになった。ホントってなんだろう?

20代の頃から、自分探しというのが私は嫌いだった。それは、探している自分も自分だからだ。探してる自分は、自分ではないとでも言いたいのか?と、そんな風に思っていた。どんなことでも自分から出てきたものは、自分なんだと思う。

「それはホントにやりたいことですか?」

コーチングではよく聞くフレーズだし、自分も使っていたし、今でも使う。

でも、私はこう思うようになった。

ホントかどうかなんて頭で考えても分からない。特に、まだやったことのない新しいことなら尚更だ。それに、ホントだったら続くのか?打ち込めるのか?それは、必ずしもそうではない。ホントと継続に相関を求めないほうがいいと私は思う。

軽い気持ちでやり始めたことで数年、数十年続けられることもあれば、本気で取り組みはじめたことで1年も続かないことだってある。

だから、ホントか、ホントじゃないかを問うことにどれほどの効果があるのか。やってみたいと思ったのなら、やってみればいいのだ。それが崇高な想いだろうが、打算的な考えだろうが、あまり関係ない。続けて行く中で変わっていくこともあるし、何か気づく瞬間があると思う。

ホントだから失敗しないわけでもない。

失敗や成功は評価、さらには解釈でしかない。周りが失敗だと言っても、本人には価値のある体験だということもある。逆に、周りが成功だと言っても、本人にとって納得のいかない結果だということもある。

失敗も、成功も、体験なのだ。私たちは日々、様々な体験をしている。その体験を振り返り、意味付けすることで経験となる。経験はリソースであり、自分だけのリソースなのだ。だから、体験がその人をつくると言っても過言じゃない。

だから、自分にどんな体験を与えるかを自分で選ぶことが大事。自分がなりたい自分に近づく選択をすること。かんたん/難しい、好き/嫌い、そういう軸で体験を選んでもいいけど・・・。

と、ここまでの話しと矛盾するけど、どんな体験が目標に近づくのかが分かりづらい時代になってきたと思う。近づいたと思ったのに遠ざかっていたとか、その逆もある。でも、自分の基準で選んでいれば後悔することは少ない。後悔するとしたら、それは他人軸で選んでいるからなんだ。


この画像はAI画像生成ツール"MyEdit"で作成

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