新薬の費用対効果の議論で見落とされやすいこと
認知症の新薬の「レカネマブ」が保険収載されることが決定されました。
高額な薬で、年約300万円に及ぶ薬価に注目が集まっています。
患者自身の自己負担は高額療養費制度で抑えられるものの、その残りは健康保険側が負担することになります。ただでさえ医療費抑制の声が高まってる中で「高すぎる」という批判がやはり多々生じているようです。
一方で、他にも同様に高額ではあるが有効な薬があることや、介護費用や介護者の実働負荷の軽減も期待されるということで、この高額な価格を擁護する意見も出ています。
つまり、この新薬の費用対効果を巡って賛否両論の議論が繰り広げられてるわけです。
レカネマブに限らず、高額な新薬(あるいは医療技術)の是非の議論がなされる時って、往々にして、このように「その薬の費用対効果は良いか悪いか」と、その個々の費用対効果(コスパ)ばかりに注目が集まりがちです。
ただ、個々の費用対効果に注目するとき、ついつい見落とされやすい、とある盲点があります。それでいて、この盲点が実際にはけっこうクリティカルな要素でもあって、とても注意が必要なんですね。
ちょっとその辺を今日は説明してみますね。
費用対効果の考え方
まず、医療技術評価(Health Technology Assessment; HTA)で費用対効果を考える時の定番の指標としてICER(Incremental cost-effectiveness ratio)というものがあります。
ざっくり言うと、ICERというのは、新しい薬品(あるいは技術)によって「追加でかかる費用」を「追加で得られる効果」をで割った値です。大きければコスパが悪いし、小さければコスパが良いと考えるわけです。
でも、費用はまだしも効果ってどうやって測るのという疑問が湧くと思います。これも定番の指標があって、QALY(Quality-adjusted life years)と呼ばれるものです。
ざっくり言うと、1が完全に健康で0が死亡と考えて、1年間完全に健康で過ごせる状態が1QALYです。だから、本来なら死んじゃう患者さんが完全に1年健康で過ごせるだけの効果がある薬が出たら、それは1QALYの効果があると言えるわけですね。
もちろん、現実には0QALYから1QALYの間にかなり繊細なグラデーションがあって、そのどこら辺やねんと決めるのが当然また難しいのです。ただ、全く足掛かりがないよりはこういった指標を用いた方が効果を計算し、比較しやすいということで便宜的に使われてるということになります。
さて、そうやって追加で得られるQALYを見定めて、薬価を決めたとすると、ICERが導き出されます。でも今度はコスパが悪いとかコスパが良いとかをどこで線引きするべきかという疑問が出ますよね。
これもまた各々の価値観によるところが強いものですから定めるのは非常に難しいのですけれど、だいたいのところ「1QALYに対して500万円程度」というのが相場とされています。この時の「500万円」のような額は「どれだけ払う気があるか」を示している額なので"Willingness to Pay; WTP"とも呼ばれます。
つまり「1年完全に元気で生きられる効果があるなら500万円は追加で払ってもいいぜ」というのがおおよその費用対効果のスタンダードとなってるということになります。
コスパが良いからといって無限には買えない
こんな風に、続々と出てくる新しい薬や医療技術に対し、個々にICERを計算して、コスパがWTPより良ければ採用、悪ければ不採用とする考え方は確かに合理的なように見えます。
でも、よくよく考えてみれば、これってけっこう不思議な話なんですよね。
だって、コスパが良いからといっていくらでも買えるものなんでしょうか。
私たちの現実のショッピング風景で考えてみましょう。
たとえば、パソコンが欲しくって家電量販店に買い物に行ったとします。すると、大変な高機能なのにそれにしてはお手頃の価格のパソコンが売っていました。つまり、コスパが良いパソコンです。でも、だからといってただちにそれが買えるわけでも、買うべきと決まるわけでもないですよね。
というのも、私たちには実際にどれだけ出せるかという予算の制約があるからです。パソコンに出せるのは総額15万円までだという予算の限界があるのなら、いくら18万円のパソコンがその価格にしては高機能であったとしても買えません。
もちろん、食費を削ってパソコンの予算を無理やり拡充するという手法も不可能ではないかもしれませんが、それが直ちに推奨される策であるとは言えないでしょう。いずれにしたって、他にもお金の使い道は残さないといけないので、どこまでもパソコンに対して無限に予算を拡充することはできません。コスパが良い100万円のパソコンや、コスパが良い1000万円のパソコンを買うべきなのかどうかは、当然ながら、そのパソコンのコスパだけでなく、自分の予算を取り巻く事情によります。
ICERでは永遠に支出が拡大されるという罠
同様に、個々の薬品や医療技術に対して、それぞれのコスパだけに注目するという考え方は少々素朴すぎるんですね。
たとえ限度を作ろうという意図でWTPを500万円と設定していたとしても、もし1QALYが450万円相当で得られる新薬が次々と出たならば、それらをコスパだけで判断して機械的に全て保険収載してしまうと医療費総額は瞬く間に大きくなるのです。
コスパがどんなに良いものであろうとも、新たに追加で購入すれば新たに追加で予算は費やされる。当たり前と言えば当たり前の話なんですが、意外と忘れられがちなんですよね。
そもそもICERという概念が"incremental"というwordを含んでることからして、「追加すること」や「増やすこと」は暗黙の前提として肯定してしまっているところがあります。
医療費抑制派はWTP0円みたいなもの
そして、実際には世の中では医療費総額こそが問題視されつつあるわけですから、それに対して「この新薬はコスパが良いんです」だけで押し通すのは反論としては足りてないと言わざるを得ないのです。
医療費の総額を抑えたいと言う人が多く居る状況というのは、「もうお金を医療に出せない(出したくない)」と多くの人が言ってるということですから、言ってみればWTPが0円(ひょっとするとマイナス)になっている人が増えている状況です。そんな中で「年300万円かかるけど効果も高いからコスパがいい」などと言っても効かないわけですね。もう追加の費用は一切出す気がない「0円WTPの人たち」からすれば全く話にならないでしょう。
いくら「WTPが500万円がスタンダードだ」と言っても、それはあくまでスタンダードに過ぎないのであって、語義的にもそれが"Willingness"である以上、世の中の人心が変われば本来は変動するはずのものであることには注意が必要でしょう。それを錦の御旗に「コスパが十分に良いから採用すべき」とするのは素朴かつ乱暴で、説得力に欠いたものに過ぎません。
このように、個々の新薬の費用対効果にばかり注目する議論は、全体の医療費総額や財源の問題に対して盲目的になりやすいんですね。あたかも「コスパさえ良ければいくらでも採用できるし採用すべき」かのような議論になってしまうのです。
コスパに注目すると財政面が盲点となる問題は江草以外も指摘してる
なお、この問題については、別に江草だけが勝手に言ってるわけではありません。
たとえば津川友介『世界一わかりやすい「医療政策」の教科書』でも費用効果分析(CEA)の注意点として挙げられてるポイントになっています。
他にも、本書では、費用対効果の観点だけでは薬価(コスト)を下げれば(効果さえ最低限あれば)どんな薬でもWTPをクリアできるので、結局何でもかんでも保険収載されてしまいかねない点についても注意を促されています。
このように、コスパにだけ注目するのは危険だということは、普通に言われてはいるわけですね。
個々の費用対効果だけ見ることの盲点に注意
なのですが、冒頭で紹介したレカネマブ擁護的なポストを見ても分かる通り、巷では「コスパは悪くない」とか「他の薬でも同等以下のコスパだけど素晴らしい薬がある」などの個々のコスパに注目する視点での議論になりがちです。
個々のコスパ論は賛否どちらの立場としても分かりやすく参戦しやすいので盛り上がりやすいのでしょう。
でも、これは医療費の総体の問題を軽視した「木を見て森を見ず」の落とし穴にハマりやすい状態です。賛否どちらの立場であったとしても、望ましいこととは言えないでしょう。
というわけで、以上、個々の費用対効果だけ見ることの盲点に注意しましょうというお話でした。
ここからの発展トピック
なお、ここから、医療費増大の最大要因が「医療技術の進歩」であるという定説があることや、冒頭で紹介したポストが「なんで抗がん剤も批判ないの?」と言っているのはなぜかを考えると、巷での医療費をめぐる議論の偏りが見えてきます。
これはこれで重要かつ興味深いトピックに発展する話なのですが、本稿はあくまで費用対効果ばかりに注目することの問題点を指摘するのが目的でしたので、またその辺りの話は別の機会といたします。
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