頭でっかち、心でっかち、体でっかち
ふと、人が陥りがちな「でっかち」パターンは三つに分類できるんじゃないかと思いつきました。
それは「頭でっかち」「心でっかち」「体でっかち」の3つです。
頭でっかち
「頭でっかち」は一般的にも使われる言葉ですね。
頭でっかちな人たちは、知識や理性、合理性、真理などを重視します。頭であれこれ考えたり、理想を追い求めたりするんですね。
確かにこれらの特性は、複雑なプロジェクトをうまく進めたり、衝動的に拙速な行動に出て致命的なミスを犯すことを防ぐのに役立ちます。
しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし。正しさにこだわるあまり人間的な気持ちを汲み損ねて、息苦しさを生じさせることがあります。現実的でない理想ばかり言い続けて何もしない傾向もあります。
例えば、生産性向上みたいな明確な数値成果にこだわったり、一点の曇りも許さない正論を吐くことに集中しすぎて、人々のモチベーションを削いでしまったりします。
心でっかち
次に来るのが「心でっかち」です。
心でっかちな人たちは、感情や共感、人間関係、対話、幸福、そして「今この瞬間」を大切にします。
知識社会に至り、先述の「頭」が優勢になっている昨今の情勢を受けて、こうした「心」の価値は最近見直されつつあります。心理的安全性やモチベーション、仕事の意義、ハラスメントのない良好な人間関係などの重要性が強調されるようになってきています。社会から失われつつある人間性を取り戻す試みで、これは確かにすばらしいことです。
しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし。心理的な快適さ、すなわち「心地よさ」を求めすぎると、不快感を避けるために非合理で誤った行動をしてしまうこともあります。不快な気持ちになるのを嫌がって、問題を避けて見ないふりをしたり、必要な対立を避けることがあります。具体的な対処をせず問題を先送りして、後で大変なことになったりします。今この瞬間の心地良さを大事にしすぎて将来の破綻の危険性を見て見ぬふりをするわけです。
体でっかち
最後に「体でっかち」。
体でっかちな人たちは、体を動かすことや行動、現実に何かを作り出すこと、努力、実践、コミットメントを重視します。「手を動かしているか」「足を動かしているか」「具体的な何事かに時間を費やしているか」にこだわります。
これもまた確かに大事なことです。理想や心地良さにこだわりすぎて、結局全然行動に移さずに何も話が進まないという事態は多々ありますから、とりあえず動いてみるというのは必要な姿勢です。社会のものごとは全て実際に行動した人たちによってこそ築き上げられていると言っても過言ではありません。
しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし。ただ「行動していること」ばかりを重視すると、その妥当さや意味、人々の気持ちを無視してしまうことがあります。
たとえば、無駄な箱物を作るだけで満足してしまったり、全く役に立たない行為をひたすら行って疲労感だけを生んでたりします。行動することは大事ですが、その行動が無意味に暴走しているだけであれば、それはかえって「何もしない方がマシ」ということがあり得るわけです。
まとめ
「頭」「心」「体」のどれも、それぞれに重要な面がありますが、どれかに偏る「でっかち」になると問題が露わになってきます(このうちの2つが合同で「でっかち」になるケースもありますね)。
先ほども述べたように現代社会では「頭でっかち」が優勢となっているように思います。その反動で「心」や「体」の側面が強調されるようにもなってきていますが、それはそれで別の「でっかち」にならないか気をつけないといけないと思うのです。
昨日の記事ともつながるのですが、最近江草は個人的に「頭でっかち」になりすぎていて、心と体に意識が向いていないことに気づきました。知識の吸収や考え事はよくしてたものの、心と体の側面を鍛えていないなと反省したのです。
だから、今後は「心」と「体」にも目を向けつつ、そしてそれらが暴走しないように「頭」も保てるように努めたいと思い直しました。そうしてたら思いついたのが今回の「でっかち」3分類だったというわけです。
有名な格言に「Cool head, but warm heart.」(冷静な頭脳と温かい心)というものがありますが、江草はこれを拡張して、「Cool head, warm heart, vital body, and calm spirit.」(冷静な頭脳、温かい心、活力ある身体、そして穏やかな精神)というのを、個人的に目指したい姿勢を示したスローガンにしています。
目指しておきながら、今回のように忘れてバランスを崩しがちなのですが、ふとしたときにこうしてバランスを取り戻すための指針になってもらうのがスローガンの役目だと思うので、まあこういうものなのかなと。