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渡辺努『世界インフレの謎』読んだよ

渡辺努『世界インフレの謎』読みました。

著者の渡辺努は東大大学院教授も務められている経済学者の方。昨今、私たち庶民にも実感されるようになってきたインフレ(物価上昇)の波。これがどうして起きているのか、どういう状態なのか、そしてどうすべきなのかを分析考察された新書です。

昨年2022年10月発売のものなので、コロナ禍やウクライナ紛争のことも踏まえた上での内容です。こうした最新情報を押さえたまとまった言説が読めるのは新書ならではのフットワークの軽さの利点ですね。現状の整理にとても良かったです。

インフレはウクライナ紛争のせいではない

まず、興味深い指摘が「現行のインフレはウクライナ紛争が主因ではないということ」です。「ウクライナにロシアが侵攻した結果、経済制裁やらなにやらでエネルギー資源や物品の輸入が滞ったせいで物価が上がってるんでしょ」という理解の方は世の中で少なくないと思いますが、渡辺はこれに異議をとなえます。

ウクライナの紛争がインフレに影響してないことはないまでも、それはメインの原因ではない。なぜなら、データを見る限りウクライナ紛争以前からインフレはすでに始まっていたから。

小麦価格についても、欧州の穀倉地帯と言われるウクライナからの輸出が戦争によって滞ったことが影響していると言われています。たしかに、モノが不足すればその値段が上がるというのは、とてもシンプルで強力な説明です。
ですが、実はこれらはインフレを生じさせた理由の一端ではあるにしても、決して最大の理由だとは言えません。なぜかと言うと、米国や英国、そして欧州のインフレは、実は 2021年春からすでに始まっていたからです。戦争が起こる前に始まっていたのだとしたら、それはすなわち、戦争が原因ではないことの明確な証拠になります。

渡辺努『世界インフレの謎』

対コロナ政府介入は経済被害に関係なかったという衝撃

では何がインフレの原因か。渡辺はそれを「コロナ禍」の方に見ます。
コロナ禍が世界経済にもたらした影響がインフレの原因を考える上での大きなキーになると。

こう聞くと「ほらみたことか、やっぱりゼロコロナにこだわって緊急事態宣言を出したのが良くなかったんだ」と思われる方もいるかもしれませんが、ところがどっこい渡辺はそれも否定します。「ロックダウン」とか「緊急事態宣言」などの政府からのトップダウン的経済自粛策は別に経済被害に大きな影響を与えていないと。

強制力をともなうロックダウンを行った国と、お願いベースの緊急事態宣言だけが発令された日本とのあいだには、経済被害に大きな違いが生じていません。ロックダウンをしなかった日本でも、ロックダウンをした国と同様の経済被害が出ていました(前掲の表 2‐ 1を見れば一目瞭然です)。

渡辺努『世界インフレの謎』

対照的な対策をとったスウェーデンとデンマークでしたが、結果として経済被害に大きな差は出ませんでした。国民の自主性にまかせて緩い行動規制にとどめたスウェーデンでも、厳しいロックダウンを行ったデンマークと近い割合で GDPが減少しました。
これらの事実は、政府の介入の強さと経済被害の規模には関係がないことを如実に示しています。

渡辺努『世界インフレの謎』

「命か経済か」と叫ばれ、コロナに対する経済自粛をどの程度にするかについて大きな社会的議論や倫理的議論が巻き起こっていただけに、渡辺の言う「各国の経済自粛策の内容の違いは経済影響に差をもたらさなかった」というこの指摘は、非常に興味深く衝撃的なところです。

恐怖の伝播が経済被害の原因とする「情報主犯説」

この事実に衝撃を覚えたのは著者の渡辺自身も同じだったようですが、これを踏まえて渡辺が提示するのが「情報主犯説」です。

ここで重要なのは、ニュースを見て行動を変化させた一人ひとりには、直接の健康被害が起きていないことです。また、行動を変化させたのは政府に命令されたからでもありません。感染に関する「情報」を受け取って、人々は自主的に行動を変えました。つまり、情報が経済被害を生み出したのです。この「情報主犯説」こそが、パンデミックによる経済被害について、私が最終的にたどり着いた仮説です。

渡辺努『世界インフレの謎』

法的拘束力のある措置をとった米国とお願いベースの措置の日本で人々の行動に与えた影響が同じオーダーだったという事実は、私たちにとって(そして分析結果を交換しあったシカゴの研究者たちにとっても)非常に衝撃的なものでした。日米の結果は、法的拘束力があろうとなかろうと、政府による介入にはそれまで信じられていたほどの神通力がなかったということを示しているからです。
これらの研究にはもうひとつ重要な一致点があります。それは、日米ともに人々は外出を半減させたこと、そして、その外出半減はもっぱら情報効果によるものだったということです。つまり、どちらの国でも、人々は政府に命じられたからステイホームしたわけではなく、自ら情報を入手し、それを踏まえて自分で考え、自主的に行動を変化させたのです。

渡辺努『世界インフレの謎』

すなわち情報による「恐怖の伝播」が経済被害の主犯であったと渡辺は考えているのです。

たとえば、感染者数の増加や、外国でロックダウンがなされた、大都市圏で緊急事態宣言が発令されたなどの報道から「ファクト」情報を得たならば、まだ自分の住む地域で具体的に「緊急事態宣言」などのトップダウン的な施策が打たれてなかったとしても、恐怖や警戒心が増し、人々は自主的にステイホームを選択してしまうというわけです。それが結局は経済活動の縮小につながるのは言うまでもありません。

(なお、コロナ禍では「インフォデミック」と言われるSNS上で人々の感情を煽る不確かなデマや噂がまきちらされる問題はかねてから指摘されてはいますが、渡辺がここで言う「情報主犯説」は少しイメージが異なるようです。間違った情報や不確かな情報ではなく政府やメディアが発信する公的情報だけでも十分に人々の恐怖はかきたてられるとするモデルだからです)

渡辺説では経済自粛の戦犯探しが無意味と化す

この渡辺の説に基づけば、実は「ロックダウン」や「緊急事態宣言」などの政府介入は経済被害の「原因」ではなく「経済被害とともに生じた症状のひとつ」に過ぎなかったと言えそうです。

コロナに対する人々の恐怖心という「原因」が、人々の自粛をもたらし経済被害が生じるという「経済被害ルート」とともに、政府に対して「何とかしろ」という圧力をかけて実際に介入が実施される「政治介入ルート」にもつながったというイメージです。
コロナウイルスに感染しても体質や体調の違いによって、何度まで発熱するかといった症状に個人差が出るのと同じように、コロナウイルスに対する恐怖心に感染した各国も、その恐怖心の強さや文化的背景の違いという個性に基づいて「政府介入」という症状の違いを導いただけというわけです。

今でもコロナ禍真っ最中の当時経済活動の自粛を訴えた者を経済被害をもたらした戦犯として批判する意見は多く見られますが、渡辺の指摘するようにもとを辿れば人々の恐怖心が原因なのだとすれば、この時に「38度まで発熱したのが良くなかった(緊急事態宣言を出したのが良くなかった)」と結果に対して怒っても致し方ないことになるでしょう。

コロナウイルス本体が水際対策でも国内への侵入を防ぐことが難しかったのと同様に、コロナに対する恐怖心の国内への侵入を防ぐこともまた極めて難しかったでしょうから、たとえ今戦犯として批判されている彼らが経済自粛策を拒んだとしても結局は人々が自発的に自粛をしたでしょうし、きっとまた代わりの他の経済自粛派の誰かが担ぎ上げられただけだろうと想像されます。

これを本気で防ごうとすると、世界中の人々の恐怖耐性を一斉に上昇させるか、コロナの不安を煽るような報道を一切禁止するという国内の情報統制を徹底するか、といったところになりますが、さすがに現実的方策ではない印象です。

このように、コロナ禍の経済被害が政治介入などのトップダウン型で生じたものではなく人々の恐怖心からのボトムアップ型で生じたものであるとする、この渡辺の指摘は今までの社会の議論を大きく一変させてしまう衝撃的かつ重大なもので、ここだけでも本書を読んだ甲斐があったところです。

労働者の「仕事離れ」による供給低下型インフレ

さて、ここまでの話はあくまで「経済被害」の話であって、まだ「インフレ」の説明にはなっていません。

先ほどのコロナに対する恐怖心からの人々の自粛を「消費活動の縮小」という側面で見ると「需要低下」になりますから、むしろデフレ圧力になります。
しかし、ここで渡辺は人々は消費者であると同時に労働者でもあるとして、「労働活動の縮小」という「供給低下」によるインフレ圧力をより重くとらえています。

たとえば感染者数が増えているとき、多くの人はウイルスが怖いので居酒屋に行くのを控えます。これは消費者としての選択です。このとき、居酒屋で働く人の立場からは違った景色が見えてきます。居酒屋の従業員はさまざまなバックグラウンドをもつ来店者に応対しなければなりません。お客さんのほうは、店に行くのは週に一度とか月に一度の頻度であり、毎回の滞在時間もおのずから限定されます。ですが、従業員はそうはいきません。日々営業時間中、ずっと店にいて接客しなければならないのです。
このように考えると、従業員の恐怖心は客の恐怖心の比ではないであろうことに気づきます。消費者が恐怖心から行動を変えたのであるならば、より大きな恐怖にさらされる労働者は、さらにドラスティックな行動変容をするのではないだろうかと、私は思い至りました。

渡辺努『世界インフレの謎』

その象徴として渡辺が提示するのがコロナ禍で突然観測された「Great Resignation(大離職)」という現象です。

コロナ禍を契機とした労働環境の激変に伴って、労働者自身から自発的に離職してしまう現象が生じ、このことが「消費活動の縮小」の影響を上回って「供給不足」型のインフレにつながったというわけです。

労働者がもどってこないのは"Long Social Distancing"?

もっとも、コロナに対する恐怖心から離職しただけであれば、コロナ禍が落ち着いてくれば人々が復職し供給も戻るはずですが、どうもそうはなっていない。それゆえに世界的インフレが持続してしまっていると渡辺は指摘します。

パンデミックにともなう非労働力人口の増加については、研究者のあいだでも議論の的になりました。当初は、これは一時的な現象であり、経済が回復すればいずれ労働市場に戻ってくるとの見方が大勢でした。しかし、パンデミック3年目の2022年夏の現在でも、多くの労働者が労働の現場に戻っていません。

渡辺努『世界インフレの謎』

この理由はなにか。新型コロナウイルスの後遺症のことを"Long COVID"と呼びますが、それになぞらえた"Long Social Distancing"という用語を渡辺は紹介します。つまり、一度コロナ禍のソーシャルディスタンスに慣れてしまったら、もう昔のような密な距離感の仕事に戻る気が起きなくなるのだろうという筋立てです。

ではなぜ労働供給が減少しているかと言えば、その主因は、労働の現場に戻るのを忌避する人たちが増えたことです。これらの労働者が欲しているのは他者との適切な距離であり、現状の職場環境ではそれが満たされないので戻りたくないと言っているわけです。

渡辺努『世界インフレの謎』

「コロナ禍による脱仕事依存症」仮説 (by江草)

これはこれで一理あるとは思うのですが、なんとなくちょっと弱い気がします。

良い機会なのでここで勝手に自説を紹介しますと、江草が「労働者が仕事に戻ってこない理由」として考えるのはもっと大胆な仮説で、それは「コロナ禍をきっかけに人々の仕事依存症ワーカホリックが治ってしまった」というものです。

依存症は周りの人々という環境要因に影響される

酒やタバコやドラッグなどの依存症の存在はみなさんもご存知と思います。一見すると個人の問題のように思われがちですが、こうした依存症には案外環境要因が強いことが指摘されています。

たとえば、人や組織が行動変容するためのヒントを解説している『スイッチ!』という書籍で、ベトナム戦争での兵士の麻薬依存症に関する興味深い事例が紹介されています。

戦争に出征する前には麻薬になど手を出したことがなかった兵士が、ベトナムにやってくるとたちまち麻薬依存症になり、逆に退役して地元に戻ったらじきに麻薬依存症が治ってしまう傾向があるというものです。

それは戦場の多大なストレスからだろうと思われるかもしれませんが、『スイッチ!』では「麻薬の使用と、兵士の任務の困難さ、直面している危険、友人の死には統計学的な関連性は見当たらなかった。」としてこれを退けます。

依存症の大きな原因はストレスではなく、ベトナムの兵士コミュニティにおいては麻薬を使うことが普通であり、文化であったからと言うわけです。つまり周りがやってると自分もやりたくなるんですね。

人間は環境や文化、つまり自分の属するコミュニティの規範や期待に驚くほど敏感だ。私たちはみな、ふさわしい服を身につけ、ふさわしい発言をし、ふさわしい場所に通おうとする。私たちは本能的に仲間の集団に溶けこもうとするので、ときに行動は驚くほど伝染する。

『スイッチ!』

集団的「仕事断ち」をもたらしたコロナ禍

さて、コロナ禍においては、私達は世界的大規模に同時にそろって仕事を自粛することになりました。周りがみんな仕事をしているのが当たり前の世の中から、急に仕事を控えるのが当たり前の世の中に変わったわけです。

たしかに、仕事を控えるそもそものきっかけはコロナに対する恐怖心であったでしょう。ただ、その結果として良くも悪くも長期間の集団的「仕事断ち」が発生したことで、人々に広く蔓延していた「仕事依存症」が治ってしまったと考えられるのではないでしょうか。

「外圧」と「みんなで」が脱依存を促す

依存症は自ら止めることが難しいから依存症です。
依存してる時は「やらねばならない」「必要だ」という強迫観念が強いために、時に「無理がきてる」と分かってていてもやめられず、時にその必要性を疑うことさえ困難です。
だからこそ外部からの介入や助力が依存症の治療には重要となります。

そして、依存症の治療は一人だけで続けるのが難しいからこそ、世の中で「互助会」などのグループが築かれています。「みんなで断つ」から「断てる」のです。

外部からの半強制的「仕事断ち」介入と、集団的に「仕事断ち」をする巨大互助会の形成という二大「仕事依存症治療」を奇しくもコロナ禍が担ってしまったのです。

コロナ禍で人々の「仕事中心主義」の魔法が解けた

今までは、周りもみんな働いてるし、仕事することは大事だと言われ続けていたから、働き方に疑問を持つ人は少なかった。たとえ、疑問を持ったとしてもその文化的強迫から独力で離脱することは非常に難しかった。
ところが、そこにコロナ禍がやってきて、「不要不急の仕事は控えろ」と言われ、みんなが一斉に自分の働き方を見つめ直すことになったわけです。
これ以上の「仕事依存症」の治療はないと言えます。

実際、コロナ禍で自分の仕事の意義や働き方を考え直した人は少なくないです。江草自身もやっぱり考えましたし、「自分の仕事は不要なのかな」と悩んでいた方は江草の友人にもいます。

だから、渡辺が言うように、コロナ禍が落ち着きを見せてもなお労働者が仕事に戻ってこないのだとすれば、その理由は"Long Social Distancing"程度の話ではなく、もっと根本的な思考変容として人々の「仕事依存症」が治ってしまったからというのはけっこうありえるのではないでしょうか。
大離職時代やアンチワーク運動がコロナ禍と同時に盛り上がったこととも矛盾はしないでしょう。

働き方を考え直すのか、再びワーカホリックに戻るのか

あくまで江草の仮説でしかないものでありますが、本当にこの「労働者が戻ってこない現象」が脱仕事依存症によるものだとすれば、今後をどう考えるべきでしょうか。
インフレ対策にもなるし、経済活動をコロナ以前のように戻すためにも、また脱仕事依存症の彼らを仕事に連れ戻すべきでしょうか。

依存症はたとえ治癒したとしても何らかのきっかけでもとに戻ってしまうことはよく知られています。治癒状態の永続は保証されておらず、再度依存症に陥ることは十分ありえるわけです。
ならば、仕事依存症だって同じで、一度「脱仕事依存症」を達成したとしても、再度、仕事依存症に引き込むことは可能ではあるでしょう。

ただ、本当にそれを促すべきでしょうか?
アルコール依存症を克服した人に酒を勧めたり、禁煙を達成した人にタバコを無理やり吸わせたりなんて野蛮なことは誰も感心しないでしょう。
しかし、その依存先が仕事であるならば急にそのような蛮行も許されるというのでしょうか。
経済のためだから、インフレ抑制のためだから、人々が仕事依存症にかかることが必要だと言うならば、それは社会全体が仕事依存症に陥ってるのに過ぎないように思われるのです。

むしろ、コロナ禍以前からワーク・ライフ・バランスや働き方改革が言われていた通り、かねてから「働きすぎ」を社会的に見直そうという機運があったことを考えれば、コロナ禍によって一斉に脱仕事依存症の機運が高まったことは働き方改革にとって千載一遇の好機とも言えるのではないでしょうか。

これを奇貨としてこのタイミングで社会的に働き方を見直すのか、再び以前のワーカホリック社会に戻るのか。
ほっておけば、おそらくはワーカホリック社会にリバウンドすることになりますから、私たちは今この瞬間に決断しなけれなならない大いなる岐路に立ってるのです。


……と、完全に脱線を果たしてしまいましたけれど、どう解釈するにせよ、本書で提示されている、コロナ禍を契機に労働者の「仕事離れ」が進み、それにより供給ショック的にインフレが進行しているという現象は非常に興味深いものがあるかと思います。

駆け足で残りのトピックの紹介

で、本書では他にも注目すべき面白い話が色々あるのですが、本稿もすでに6000字を超えてしまっていますから(まあ江草が勝手に御高説を披露するような恥ずかしいことをしてるからなのですが)、残りは簡単にご紹介します。


たとえば、本書ではコロナ禍に起因するインフレ圧力として、上記の労働者の仕事離れの他の現象も紹介されています。それらも含めてみることで、渡辺のインフレ解釈の説得力はより増していると言えるでしょう。


あとは、失業率とインフレ率の関係を示すフィリップス曲線が不安定化してきていることの衝撃の話も興味深かったですね。

フィリップス曲線は、経済学者たちの半世紀のリベンジにおいて中核をなす概念でした。詳細は省きますが、現代の物価理論でもっとも大事な式を1本選べと言われれば、経済学者の圧倒的多数がこの式を選ぶというくらい大事なのです。この関係式は、インフレ率がどのように決まるのかを理論化するときにも、また、中央銀行がインフレ抑制のために何をすべきかという政策の話をするときにも使われます。とにかく、インフレを議論する際の一丁目一番地の関係式なのです。それほどまでに大事なこの式が使い物にならないという、深刻な事態がいま起こっているのです。

渡辺努『世界インフレの謎』

フィリップス曲線の不安定化の話は、世界的少子高齢化の経済影響を分析している書籍『人口大逆転』でも出てきており、現在要注目のトピックのようです。


そして、日本の特異なインフレ状況の解説も面白かったです。

日本も確かに世界的インフレの波に襲われてると言えど、実は一部の品目に限った話であって、多くのモノのインフレ率はゼロに張り付いたままであることが指摘されています。

特にいかに物価上昇が進もうとも賃金が全然上がる気配がないことによる日本特有の慢性デフレ体質には渡辺も大きな警戒心を示されています。
まさにこのツイートの皮肉通りの状況。

この一部のものだけインフレし、賃金を含めた多くのものの価格が張り付いたまま動かないという、日本の「急性インフレ」+「慢性デフレ」という特異な病態をどう対処するかは、私たち日本人に突きつけられた大きな宿題と言えるでしょう。


まとめ

というわけで、以上、寄り道しまくりながらの『世界インフレの謎』のご紹介でした。

正統派経済学の立場に基づいて最新の経済状況に対し精緻な分析や解説がなされながら、文体もボリュームもさすが新書と言える読みやすさがあります。初心者でも分かるように経済用語の解説は欠かしませんし、著者もわからないところはちゃんと「わからない」とはっきり言う謙虚さを示されてることも好感です。

インフレが誰にとっても無縁でない現象となってる今、万人にオススメできる一冊だと思います。

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