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あいうえおnote【す】
混ざる。落ちる。
飲み込んだ理不尽や、引っ込めた涙が、排水溝へ流れる水のようにぐるぐると渦巻きながら、私の中を流れ落ちていく。喉元から、胃、お腹の下の方を通って、つま先へ。
流れ着いた先が行き止まりだったら、そのもやもやは身体に蓄積されていくのだろうか。
スクランブル交差点を何も感じずに渡りきることができるようになった時、私たちは世の中の不条理をひとつ受け入れて「東京の人波」を構成する要素のひとつになったのかもしれない。
スクランブル
人間のこころのやさしい部分にだけ触れて生きていけたらよかった。社会には至るところに理不尽が転がっていて、それは徐々に私たちを蝕んでいく。駅で知らない人に突き飛ばされたとき、エレベーターのドアを目の前で閉められたとき、知らない酔っ払いに暴言を吐かれたとき。どうにもならない悲しさと悔しさは、行き場をなくして混ざり合いながら身体の中を流れていく。
地元の友達が、酔っ払いにひどく絡まれたのだという。絡まれて、ひどい暴言を吐かれて一緒にいた友人までも侮辱されたと。悔しい気持ちを必死に押し込めて、2人で頭を下げたのだと。
もし私がその場にいたら、その子が怪我しないためなら頭なんていくらでも下げる。きっと彼女と一緒に頭を下げた子も、同じ気持ちだったのだろう。だけど彼女は、何よりも友達を大事にする人だ。自分のせいで友達が侮辱され、その上その相手に頭を下げるなんて悔しくて悔しくて仕方なかった、と言った。
彼女の正義は、意地悪な社会に殺されたのだ。
たぶんこの先、何十回とこういうことがある。悲しいことに。きっとそれは、人々が混ざり合う街で生きていれば必然的に生まれることだ。
そういう時にとめどなく溢れてくる涙を、堪えるのが正解なのかはよくわからない。他人に傷ついて涙を流すことも、理不尽に傷ついたこころを見ないふりすることも、どちらもやさしさを殺しているような気がする。
やさしいままで、生きていけるだろうか。この街で。
抗いたい。やさしい心をなくさないまま、人は生きていけるってことを証明したい。きっともう既に失ってしまったやさしさも、いくつもあるけれど。一度に何千人が渡るというスクランブル交差点の真ん中でも、転んだ人がいたら手を差し伸べられる自分でありたい。
私がそんな小さな決意を固めたところで、傷ついたあの子のこころが癒えるわけではないけれど、それでも。これから先、この理不尽で意地悪な社会に傷ついて涙を流す人が、ひとりでも減りますように。
人知れず堪えた涙がたまってく やさしいままで生きていきたい
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