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便利という言葉に見合うものもなければ、不便と感じるものもそこにはなかった。


「便利という言葉に見合うものもなければ、不便と感じるものもそこにはなかった。」

これは私が岡山、広島、山口と中国地方を初めて訪れて
それぞれの地で時間を過ごしていく中で感じたことだった。

なんだか今までにない感覚を味わった。

だけど、それはとても心地の良いもので、
もうここから抜け出せないかもしれないと頭によぎるほどだった。

決してそれは溶けていくような心地良さではなく、
沼にはまっていくような感覚でもない。

あまりにも、自然なものだった。

なんの力も作用していない、自分の足ですんっと立っているような感覚。

それぞれの地に訪れて泊まった宿は、
自分でシーツをつけるところから布団を準備しないといけなかったり、部屋にはお布団以外特になく、アメニティもほどんど用意されていなかったり、スタッフがお風呂に入っているのを待たないといけなかったり。笑

友達のおかげで、車でいろんな所に連れて行ってもらえたが、
電車はなかなか通っていなかったり、一つ一つの場所が遠かったり。

「駅チカ」とか「必要なものは何でも揃っている」とかそういった便利な表現に見合うものはあまりなかったけれど、決してそれを不便と感じるわけではなかった。

そこの感覚よりも大事にしたいものがたくさんあって、
利便性に関しては随分と鈍くなっていたのかもしれない。

いや、鈍いとかではなく、そんなものを感じる必要がなかったように思う。

人も場所もどんな行動も
自分の力を奪うでも、余すわけでもなく
そのまんまの自分を引き出してくれる場所だった。

便利さがゆえに、自分の力を持て余すわけでもなく、
不便さがゆえに、負担となって自分の力を削るわけでもなく。

ただただ、自分が持っているものを自然と使っていく。

関わる人も、そこにいる人も、
甘すぎず、決して厳しくなく、求めるなら与え、拒むなら追わない。
どこにも傾かず、しっかり立っているように見えた。
手は差し伸べるけど、背を預けるわけではなかった。

また、どこに行っても見えた海は、
目を離した隙に空と共にコロコロと顔色を変えた。
自分は同じ場所にいるはずなのに、一瞬分からなくなるくらい
窓からの景色は次々と変わっていった。

そんな移ろう景色を見ながら、
ここは自分の足でちゃんと立っていないと海に流されてしまう気がした。
だからこそ、何度も自身に居場所を問いかけては確認し、自分の足で立つ。

そんな自然の強さを感じる場所だった。
人間本来の自然な力を導いてくれて、壮大な海と空が問いかけてくれるような、私を信じてくれる優しい場所に感じた。

だから、もう抜け出せないと思った。

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