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茶室の中で虫食いの葉っぱが語りかける、今しかない瞬間の話

茶道のお稽古に行った。
風炉でお茶を点てるのは今月でおしまいになる。

風炉は夏のあいだに使われる道具で、11月からは「炉」に切り替わる。
10月は「名残りのお茶」と呼ばれ、茶壺の中で残り少なくなったお茶を惜しむという時期でもある。

感覚としては、年末の、「ああ、ことしも終わるね……」と、どこか寂しそうな心持ちに近い。

床の間の花籠には、ヒオウギ、カクトラノオ、シモバシラが。

よーく拝見してみると、、、

葉っぱに穴が空いてるー!
たまらん!

虫に食われて穴の開いた葉っぱが飾られていた。

ことしの夏はキツかったね〜!
虫に食われたり、ギラギラの日差しに葉っぱがチリチリになったけど、なんとか生き延びたよ〜。
お疲れ様!

そんなふうに、葉っぱが話しかけているみたい。


茶室には、いつも形の整った綺麗な花が飾られているわけではない。
ときには「ぼろぼろ」に見える草花が飾られることもある。

破れた葉や、虫に食われた跡がある「まさにnow!」の姿を、こうして床の間に飾る。

その自然な姿には、計り知れない美しさがあるんだねえ〜。

この感覚は、以前パリの花屋さんでも教わったことがある。

パリに行くたびに、現地の花屋さんでブーケを頼むのだけど、「これ、散りかけじゃない?」とか「虫に食われすぎじゃない?」とツッコミを入れたくなるような花や葉が使われることが珍しくない。

でも、彼らにすれば、

散りかけ?成熟した姿って美しいでしょ?
虫食い?自然そのままの姿って美しいでしょ?

そういう感覚が優先されている。

彼らは「1週間後にどう持つか」よりも、「今この瞬間、どれだけ美しいか」に重きを置いている。

そんな考え方に最初は驚いたけど、確かにそうだと思う。
咲きかけでも、散りかけでも、花は花だし。
どの状態を選ぶか?という感性に価値を見出しているというか。

「心の豊かさ」を言い表すのは難しいけれど、草花みたいなほんのささやかな自然に目を向けられるかどうか?って、自分の心の状態を映し出すバロメーターなんだなあ。






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