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今年も、もう終わり。

例えば今この時のように、恐ろしさと希望が入り混じった感情になることがある。

今日の夜10時半。一人で帰路についていると、道端にケータイが落ちていた。さすがにと思い拾った。どうしようか。拾ってしまったものをそのまま置こうか、交番に届けようか。だが交番までは自転車で15分もある。今この場所から家までは間も無くで、冷たすぎる風がものすごい勢いで吹き下ろしてくるので、今すぐにでも帰りたかった。


12/30。年末だ。これを落とした人は今どんな思いだろう。そんなことを考えてしまった。忘年会、年末のテレビ番組、これから迎えるお正月。ウキウキしながらのんびりしながら「幸せ」を想像しながらいるだろう。年末の落ち込みは年始まで響く。仕方ないと思い交番まで届けた。


15分間、えげつないほどの寒さと勢いを兼ね備えた風に真正面からぶつかりながら自転車を漕いだ。するとなんと、交番には誰もいない。というか、鍵かかってて入れない。そのまま30分間、交番の外で警察官の戻ってくるのを待った。まさか年末にパトカーのサイレンを待つなんて。意味わかんねえ。


すると警察よりも先にサイレンが鳴ったのはケータイだった。拾ったケータイ電話から「自宅」の文字と電話音。すぐさま出た。「拾ったものなんですがーー。」

15分後に交番までは車を持ってくると言われたのでそのまま待った。


申し訳なさそうに、嬉しそうな顔をしてやってきたのがケータイを落とした人の夫だった。「これすみませんお気持ちで」とあったけえ缶コーヒーをくれた。今さっき買ってきたのか、それとも俺が随分と凍ってしまっていたのか、缶コーヒーの熱さはえげつなかった。


その缶コーヒーを握りしめながら、「5万くらい欲しかったな」と思いつつ、あったまった。見たこともない缶コーヒーだった。

また15分、追い風になるはずなのにならない冬の風に立ち向かいながらふたたび帰路についた。


そしてあの時、帰り道にあの裏道を選択した自分を思い返した。なんの根拠もなく、思い入れもなく、二つに分かれた片っ方の道を選び、家に帰ろうとした、あの時を。


なんとなくで選んでいなかったら、今もケータイは地面の上で鳴ってただろうし、俺は1時間前に買ったセブンのぜんざいを食べていただろうし、右ポケットに缶コーヒーなんてなかっただろう。


こんなちょっとした選択で、すぐ次の1時間すらも変わってしまうことに、怖さを覚えた。ましてや意識して選択したものなんて、人生すらも変えてしまうんじゃねえかと思う。そして今までの選択にあまり自信がなかった俺は、この先も少し不安に苛まれる。


もらった缶コーヒーを飲みながら、少し考えすぎなのかなと思ったりもする。ただ、今日の一件で少し不安になったのは間違いない。なんとなくもっと素直にやりたいことをやっていきたいという思いが、まだ胸の中にある感じがした。


2021年。みなさんはどんな年でしたか。


僕はなんとなく、納得がいかない!そんな年だったかなと思います。

来年もまたお会いできることを信じて。


では。

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