「楢山節考」深沢七郎
寺山修司の「家出のすすめ」など読んだりして、昔から「姥捨」には非常に興味があり、ただ、両者は問いが違うな、と思っていた。
三島由紀夫の小説読本でも激賞がなされており、「これは実物に当たらないと、お前、ウソだぜ」と思って読んでみた。
一緒に収録された、「白鳥の死」(正宗白鳥が深沢の楢山節考を激賞し、それが出版社によって本の帯になったのである、それ以来、正宗と深沢という文壇と距離を置いた二人の親交関係が続く。そこで、正宗の死において、深沢は考える。)もとてもよかった。「東京のプリンスたち」も、とてもよい。めくるめく高校生の主人公たちの執着のない生き方は、「眠ってはだめだ、エルヴィスを思い切り聴くのだから」という結末に集約されている。今、その刹那しかないのである。
また、日沼倫太郎の解説もとてもよかった。深く、深沢七郎という人とその作品を理解したいい解説だった。
4つの視点からあらためて読んで考えてみた。
①メカニズム(小説の仕組み)
どこを見ても山の続く寒村では、70になると、楢山まいり、すなわち山奥へ死にに行かないといけない。人を減らさないと食料が足りないのだ。
主人公のおりんは今年69で、歯も達者、いわな取りの達人であり、古来の節回しやしきたりも熟知していた。そのため、楢山まいりを心待ちにしていた。一方で孝行息子の辰平は、おりんの楢山参りにどうしても前向きになれない。「倅は優しいやつだ!」とおりんはその思いに胸うたれる。
しかし、だからといってただそうしたヒューマニズムを描いた物語ではない。
おりんには、そして、この小説の語り部には「疑い」が一切ない。「そうなっているので、そうなっている」という語り口である。
一方で、同じ年の銭屋の又やんという老人は、銭屋がケチであるがゆえに名付けられたその名の通り、みずからの命を非常に惜しむ。楢山参りの支度もしない。今からすると一般的な感覚だろう。
辰平の嫁は5年ほど前に死んでしまい、おりんの心配の種になっていたが、そうした後家さがしも、玉やんというとても気がきく頼もしい女性を迎え入れることができた。おりんは玉やんに、自らの秘技であるいわな取りの場所を教えた。これで食料も問題ないはず、と。
また、おりんは自分の歯が達者であること(歯が達者であることは、食料を食い尽くすということで忌避されていた)をコンプレックスに思っていた。
けさ吉という孫はおりんの歯をバカにした節回しを歌って回った。辰平はけさ吉を叱るが、けさ吉はどこ吹く風である。辰平自身も叱りきれない。
そのため、みずから硬い石を歯にぶつけてなんと歯がボロボロになるようにしていた。そしてなんと、玉やんが来てくれたことに喜び、その勢いで石臼に思い切り歯をぶつける。無事歯も3本ほど削れ、楢山へ行く準備万端となり、あまりのうれしさに村の皆に見せて恐怖がられる。
玉やんが来てくれたのに少し遅れて、なんとけさ吉も嫁をもらう。松やんという、なんとまあ大食らいの、村からすればとんだ迷惑(むしろそれが故に故郷から追い出されたのではないか、とおりんは推測する)な、玉やんとは真逆の、子守の節回しも知らないどうしようもないヤツである。
そんな松やんが子を身ごもるのである。晩婚が推奨される節回しすらある村で、大食らいの松やんが。
おりんは具体的な時期を胸の中で固める。辰平は心の中の呆然が拭えない。
けさ吉は「おばあやんはいつ山に行くのかな」と、人でなし発言である。そして、ついに楢山参りの日が突然おりんから辰平に伝えられる。行くしかないのだ。疑いなどはない。そこでかつて楢山へ行った人たちから掟が伝えられる。
楢山に行くときは声を出さないこと、家を出るときは家の者に見られないようにすること、山から下りるときは後ろを振り返ってはいけないこと。
楢山へ行く日がやってくる。その前日、同じく楢山に行くようであった銭屋の又やんがなんと縄でがんじ締めにされていたが逃走を図ろうとしていた。辰平は銭屋の倅を見て、なんと無謀な、と思う。おりんは又やんに、「山の神様にも息子にも縁を切られないようにしないといけないぞ」と、親切に疑いなく説く。
そして翌日の晩、辰平はおりんを背板に載せて楢山へ向かうが、でていく様子を隠れて玉やんに見られてしまう。
そこから楢山へ向かう道筋は進めば進むほど死骸があり、からすがいる。
辰平は筵におりんを下ろす。そこには死人の相がでているおりんがいた。普段のおりんとは別人だった(キリストの像のようだ。「白鳥の死」では死の間際の正宗白鳥に、キリスト教はどう思うか、と問われ、おりんにそのイメージを持たせている、と回答している。深沢は仏教の諸行無常と同じく、キリスト教の世界も好きなのだ。その話を、死の間際にでも、むしろだからこそ、正宗白鳥に伝える。)。
そして、どんとおりんに背中を押され、辰平は一人山を下りなければいけなくなる。もう後ろをふりむくことはできない。涙がこぼれる。
そのとき、雪が降る。雪が降るときに楢山に行けた人は運がいいという。おりんは生前、「おれが楢山へいくときは雪が降るぞ」と言っていた。どうしてもそれを伝えたくて、辰平は掟を全て破って、道を引き返しおりんに語りかける。
「雪が降ったぞ」
おりんはしゃべらない。手で、早くいけ、とさっと振り払うような仕草をする。
その後、辰平は銭屋の又やんが倅に、七谷で谷底へ突き落とされている様子を見てしまう。カラスの餌食である。とはいえ、落ちたときには死体か、と思う。
しかし、楢山へ向かう途中の中には、かつて生きていたときに見知った人もいたわけで、やはり生者には「純粋な死体」には見えないのである。
楢山から帰ると、けさ吉は、おりんが用意していた振る舞い酒の残りをたらふく飲み酔っ払い、「本当に雪が降ったなあ」と感心している。松やんは昨日までおりんが着ていた紬の帯をしめている。
末の子も、姥捨てるか、の節回しを歌っている。知っているのである。
そして、玉やんはいない。
とにかく疑いがない。
そして、状況や人々の信仰を端的にうたう節回しの挿入が素晴らしい。
そして最後、けさ吉・松やん夫婦に追い出されるかのごとく、辰平と玉やんには居場所がない。
あらすじを書いている途中、あえて雨屋という家のものが、ほかの家から食料を盗んだところを省いた。食料を盗むのは重罪である。「楢山様に謝る」、すなわち一家全ての食料を剥ぎ取られ、一家全員野ざらしにされてしまうのである。ここで辰平は「うちも他人事じゃないぞ」と考えている。
玉やんもいなくなった。辰平はこのあとどうしていくのだろう。
けさ吉・松やん夫婦が、雨屋の二の舞になってしまう、あるいは、辰平がそうしてしまうのだろうか?掟を破ってしまったが故に、「楢山様に謝ら」なくてはいけない気がする。
ここまで思わせるのも、これほどまでに掟が淡々と存在しているからである。
②発達(作家の変化の過程をたどる)
深沢七郎は、楢山節考で中央公論新人賞を受賞して、小説家となった。しかも、その賞では三島をはじめ、伊藤整、武田泰淳といったそうそうたる面々からの激賞を受けての受賞であった。1956年、42歳の時であった。
中でも正宗白鳥は「人生永遠の書」とまで言った。そしてこの後も、深沢七郎と正宗白鳥の交流は続いていく。
1960年末の嶋中事件で3年ほど筆を断ち、1965年には農場を開いたり、1968年には心筋梗塞に見舞われるなど、なかなか安定した作家生活というわけではなさそうだったが、その後も「みちのくの人形たち」などを世に出す。
流転の人生、といった感じである。
③進化(社会の歴史、文学の歴史の中で、その小説がどんな位置づけにあるか)
文庫本の解説の中で日沼倫太郎は、「明治以降一度も定着できなかった旅の思想、『伊勢物語』や芭蕉を源流とする流転文学の系譜がよびもどされている」としている。
明治以降、というのは西洋の考えが流入した時期であり、そこではシステマティックというか、近代文明の発達「のために」一人一人は生きていく、という思想、ないしはシステム・スキームがあった。
そのもとに日本人達の手で作ってきた大日本帝国が戦争で崩壊した。
そんな状況の中、棄老伝説という形をもって、「もはや戦後ではない」なんて言われた1956年に、自由を愛する流浪のギタリストによって再び流転文学の系譜がよびもどされたのは、私にはとても象徴的に思えた。
④機能(ある小説が作者と読者との間で持つ意味)
深沢七郎の完全に染み渡ったニヒリズム、流浪の精神、そして文章に出てくる音楽、選ぶ言葉がどれもたまらなく自分には中毒性があった。
流浪の精神、「自分は屁がでるようにして生まれた」というこのなんともからっとした理由や理屈をはねのけた言葉。
めちゃくちゃファンになってしまいそうだ。