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「顧客にインパクトをもたらす価値を、徹底的に考え抜く」ベルフェイス執行役員 大歳 華王志氏を突き動かす原動力

電話面談システム「bellFace」を展開するベルフェイス株式会社(以下、ベルフェイス)。同社の執行役員 VPoPとして活躍する大歳 華王志(Kaoshi Otoshi)氏のキャリア形成、企業選択の軸に迫ります。

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“ニューエリートをスタートアップへ誘うメディア” EVANGEをご覧の皆さん、こんにちは。for Startups, Inc. の安松 花子(Hanako Yasumatsu)と申します。私たちが所属するfor Startups, Inc.では累計650名以上のCXO・経営幹部層のご支援を始めとして、多種多様なエリートをスタートアップへご支援した実績がございます。EVANGEは、私たちがご支援させていただき、スタートアップで大活躍されている方に取材し、仕事の根源(軸と呼びます)をインタビューによって明らかにしていくメディアです。

大歳 華王志(Kaoshi Otoshi)
大学卒業後、鉄道グループ企業に入社。システムの設計、導入、保守に従事したのち、リクルートに参画。新規SFAプロダクトの構築や入稿プロダクトのリプレイスなど数々の大型プロジェクトに参画後、ブライダル業界向けのtoBプロダクトの戦略・ロードマップ策定、企画検討、実行推進を担うチームを牽引。2021年4月よりベルフェイスにジョイン。2023年1月より同社の執行役員に就任。

セールス領域における負をテクノロジーで解決するベルフェイスと大歳氏の役割

-- まずは、ベルフェイスの事業内容について教えてください。

ベルフェイスは、セールス領域における負を、テクノロジーの力で解決することをミッションに掲げ、電話面談システム「bellFace」を展開しています。

bellFaceは、 アプリケーションのインストール並びにURLの発行が不要で、すぐに面談ができる簡潔さと営業シーンに特化した機能群が特長です。セキュリティレベルが高いため、近年はコンプライアンス要件が厳格な金融業界のお客様に多数導入いただいています。

また直近では、お客様が抱えるコンタクトセンターとの連携も進めています。bellFaceの新機能を活用いただき、電話を繋ぎながら画面や映像で視覚的に内容が確認できるといった取り組みです。従来の電話コミュニケーションに視覚情報をプラスした新たな応対スタイルを推進しています。

-- その中で、大歳さんはどのような役割を担っているのでしょうか?

ベルフェイスは今年の1月に組織改変がなされ、そのタイミングで執行役員に就任しました。現在はVPoPとして、業務委託含め6〜70名ほどの組織を管掌するとともに、プロダクトの戦略立案やロードマップ策定、企画開発の推進を主導しています。

ひとりでは何もできない。仲間と作り上げる大切さを実感した学生時代

-- ここからは、大歳さんの過去に遡ってお話を伺います。どんな少年時代を過ごされましたか?

一言で表すと、波瀾万丈な少年時代でした。当時の私の境遇を知る人からは、「2時間のドキュメンタリー番組が2本も作れるくらいのインパクトがある」と言われたほどです。

幼い頃から親が仕事で不在だったので、食事や洗濯など、身のまわりの家事を自分でこなさなければなりませんでした。小学校時代の同級生は友達と遊んだり、遊園地に行ったりしていましたが、そんな当たりまえのことができない不満をずっと募らせていました。常にひとりで過ごしていましたし、周りの大人からは「子どもっぽくない」なんて言われていましたが、こんな人生の幕開けが、その後の価値観を築く地盤になったと思っています。

-- 波瀾万丈だとおっしゃっていた思春期は、性格や価値観を形成する大切な時期だと思います。ご自身では当時どんな性格だったと振り返りますか?

とにかく負けず嫌いでしたね。その性格が顕著に表れたのが、大学進学のタイミングです。

家庭が裕福ではなく、金銭的な理由で進学は難しい状況でした。しかし、自分の意志に関係なく大学に行く選択肢を持てないことに、どうしても納得がいかなくて。反骨心を原動力に、自分でアルバイトをしてなんとか200万円を捻出して大学に進学しました。

-- 苦労しながらの進学だったのですね。大学時代はどんな経験をされましたか?

幼少期から身の回りのことを自分でやっていたので「ひとりでなんでもできる」と勘違いしていました。しかし、そんな思い込みが大きく変わる経験をします。それが、大学時代に熱中したアカペラサークルでの活動でした。

-- 所属していたアカペラサークルでの、印象的なエピソードを教えてください。

サークルで年に2回開催されるコンサートが印象深いです。教室で歌うような小規模なものではなく、大講義室を舞台に照明や音響をはじめ、本番で着る衣装や映像演出まで、すべて自分たちで作りあげる本格的なものでした。なおかつお金も集めていて、スポンサーを含めた渉外活動も行っていたので、まるでビジネスを動かすような感覚で取り組んでいました。

今までに感じたことのなかった大きな達成感が得られましたし、皆の力で何かを作り上げることの楽しさを実感した、忘れられない経験となりました。

-- ひとりで過ごすことが多かった幼少期から一変した大学時代だったのですね。サークルでの経験は、大歳さんにどんな影響を与えましたか?

「大きなことを成し遂げるには、仲間と協力しないとできない」といった、今にも繋がる価値観のベースを築くことができました。同時に、ひとりでできることなんてたかが知れていることも痛感しましたね。この成功体験から得られた価値観が、後の企業選びや転職を考える際の判断軸になっています。

安定性重視で選んだ一社目。本当にやりたいことに突き進むべく転職を決意

-- 大学卒業後は鉄道グループ企業に入社されますが、当時の企業選びの軸を教えてください。

当時掲げていた軸は、4つあります。1つ目は、先ほど話したサークル時代の経験から、個人で突っ走るのではなく、人と力を合わせながら価値を大きくできるような組織であること。2つ目は、ユーザーと近く、誰のどんな課題解決に繋がっているかが明確に分かる仕事であること。3つ目は、社会的意義の高い事業を展開しているかを軸にしていました。そして4つ目が、今と違って驚くかもしれませんが安定性です。その4つが揃った鉄道グループを選びました。

-- たしかに、今の真逆とも言える安定性を重視されていたのには驚きです。

当時を振り返ると、自分の気持ちに蓋をしたうえでの意思決定だったと思います。もともと負けん気が強く、誰かに言われたことにただ従うような性格でもないので、本質的には安定なんて求めていませんでした。ただ、親が昭和の人間で、企業のネームバリューを大事にしたほうが良いと言われたことに引っ張られるかたちで、最初の就職先を選びました。

-- 実際に入社していかがでしたか?

入社後は、鉄道グループが運営する施設の顧客を管理するシステムや販売管理等の基幹システムを企画、開発、運用する部署に配属されました。鉄道以外にも、ホテルや小売など様々なグループ施設を横断して事業展開しており、人々の暮らしに根付いたサービスを支えられることに、やりがいを感じていました。

-- その後、どのようなきっかけで次のフィールドへの挑戦を検討したのでしょうか?

きっかけは3つあります。1つ目は、企業の体質に徐々に違和感を覚え始めたことです。当時の会社は、変化よりもこれまで培われた価値をいかに継続的に提供し続けるかという点を重視しており、意思決定のスタイルは典型的なトップダウンでした。役割も決まっていたので、基本的に上司の指示通り仕事を進めていく毎日を送っていましたが、「誰の何を解決してるのか」が分からない働き方に違和感が拭えなくなりました。

2つ目は、この会社にずっと身を置いてると、描いている成長スピードに追いつかないと感じたことです。負けん気が強く、最速で市場価値の高い人間になりたかったため、このまま働くと自身の理想と時間軸が合わなくなると判断しました。

そして3つ目は、親が床に伏す事態になったことです。弱っている親を目の当たりにして、「息子として、本当にやりたいことで活躍する姿を見せた方が、親孝行になるのではないか」と思いました。「ネームバリューや安定性にとらわれて、自分の気持ちに蓋をするのはもうやめよう。やりたいことに向き合って、かつ、社会に価値を生み出せる人材になっている方が、親を安心させられる」そう考え、転職の決意を揺るぎないものにしました。

ユーザーにとって最もインパクトのある提供価値を考え抜く

-- 初めての転職活動では、何を基準に企業を選びましたか?

最速で市場価値を高めることを目指していたので、ビジネスの基礎能力を徹底的に高められる企業を探していました。また、「誰の何を解決するか」に向き合える環境であることも重視していたため、コンサルタントやメガベンチャーも視野に入れながら転職活動を進めました。

-- 数々の選択肢がある中で、なぜ転職先をリクルートジョブズに決めたのですか?

リクルート全体が、個に対して徹底的に向き合う社風であることと、以前の会社とは違うボトムアップ文化を感じたことが決め手です。加えて、リクルートの掲げる至上命題が「世の中の不を解決していくこと」であり、まさに望んでいた「誰の何を解決するか」に向き合う働き方ができると思いました。

また、優秀な人が多く在籍しているイメージもあったため、この環境ならベーススキルを一気に高められると判断して選びました。

-- 実際に入社して、いかがでしたか?

正直なところ、入社直後は自分の仕事のできなさに驚く毎日で、当時の私は一言で言うと「ポンコツ」でした。「物事の本質が分かってない。シャープじゃない。」と指摘されることも多く、最初の会社でそれなりに仕事をこなせていた自信が、真っ向から覆される日々でした。

当時一緒に働かせてもらった先輩がとても優秀な方で、見ている視座の高さや本質を見定める力に圧倒されました。最初はその方の発する言葉が理解できず、コミュニケーションすらまともに取れない状況でした。

-- そんな状況から、ブレイクスルーするタイミングはあったのですか?

2回ありました。まず1つが、社内向けの営業生産性向上を目的としたプロダクトを作るプロジェクトにアサインされたことです。

最初はただがむしゃらに提案し続けていたのですが、毎回「当事者意識が足りない」と辛辣なフィードバックを受け続けました。圧倒的当事者意識がベースになっている会社で、かつ私としては常に本気でやっているつもりだったので、当事者意識を突かれるのは辛かったですね。

自分に足りないものが何かを考えていたある日、プロジェクトの中で営業担当の顧客商談に同行する機会を設けることができました。そこで営業担当が顧客とどのように向き合い、何を提供しているかを目の当たりにしたのですが、そこで初めて、自分に不足していたのが「一次情報」であることを知りました。

営業担当からヒアリングした情報や営業担当の記録するデータや履歴だけでは見えてこない情報を反映することで、より解像度高く「自分はこうすべきだと思う」という提案に結び付けられることが増え、プロジェクト内でも提案が徐々に採用されるようになり、当事者意識とは何かを、本質的に理解することができました。

-- 一次情報を捉えることが解像度の高い提案に結びついたのですね。もうひとつのブレイクスルーのタイミングはいつでしたか?

社内でも多くのプロダクトを生みだしてきたハイプレイヤーの先輩と共に、「タウンワーク」の入稿システムのリプレイスという大型プロジェクトに参画した時です。

その先輩には、よく「どこ向いて仕事しとんねん」と叱られまして。最初はなぜ叱られるのかが分かりませんでした。当事者意識を持った提案はできているはずなのに、今度は何が足りないのか。再び考え続けて、ある日ようやく理解しました。私が知らず知らずのうちに、リクルートという大きな組織の中で、社内で提案を通すことが目的になっているようなスタイルを取っていたことを、先輩は指摘してくれたのです。

社内で通るか通らないかに意識を取られた提案をしても意味はなくて、大事なのは「ユーザーにとって最もインパクトのある提供価値」を起点に考え抜くこと。ユーザーに目線が向いていないと真の価値は生まれないことを、先輩が気づかせてくれました。この言葉は今もずっと反芻しながら、大事に持ち続けています。

-- その後、株式会社リクルートマーケティングパートナーズ(現・株式会社リクルート。以下、リクルートマーケティングパートナーズ)へと転籍されますが、なぜでしょうか?

理由の一つは成長曲線を鈍化させたくなかったからです。ドメイン知識や信頼残高をゼロにした状態で自分がどう活躍していけるかチャレンジすることで、さらなる成長をしたいと考えていました。

もう一つは今まで主に社内向けのシステムに関わっていたので、次はクライアントに直接価値を提供できるプロダクトに携わりたかったからです。プロダクトを起点に価値提供するといった本質は変えずに、プロダクトを使うユーザーを社内から社外にシフトしていくイメージで、その機会を得るためにリクルートマーケティングパートナーズに転籍しました。転籍後は、結婚式場を運営する企業に向けた業務支援プロダクトを磨き込んで、どのように価値を出すかに注力しました。

プロダクトの価値を広げるため、組織を含めたマネジメントに踏み込みたい

-- 数々の経験を積んだリクルートから、転職を検討し始めたきっかけを教えてください。

もともと、35歳で次のキャリアを見据えようと思っていました。リクルートに6年在籍する中で、その年齢に達したのが転職を検討するきっかけです。

具体的に転職を考えるようになった要素は2つあります。まず1つ目は、プロダクトを軸に事業展開している会社に興味が湧いたからです。

先ほど少しお話した通り、リクルート時代に最後に関わったプロダクトは、結婚情報メディア「ゼクシィ」に出稿してくださるクライアントの業務を支援するプロダクトでした。「ゼクシィ」は結婚式場に関わる企業に広告出稿してもらい、収益を得るビジネスモデルですが、この仕組みだと何が収益に結びついているか要因が分かりづらいという問題がありました。プロダクトの価値を磨いた結果が収益に繋がったのか、それとも営業担当側の努力か、あるいは顧客側の変化によるものか、客観的に評価しづらいのです。そこで、プロダクトの成長が収益に結びつく過程がはっきりと分かるような、プロダクトを中心に据えた事業会社に関心が向くようになりました。

もう1つは、事業の成功に必要な組織の立ち上げやリデザインをしながら、メンバーの総合力で戦っていくことが求められるようなフィールドに身を置きたくなったからです。

私の価値観の原点を改めて体現するとともに、プロダクトの価値を広げるためには、組織の立ち上げやマネジメントも重要な要素になります。プロダクトを作るチームをリードする中で組織で価値をスケールする大事さを強く感じていましたし、リクルートで共に働かせてもらったマネージャーが、新たな組織をどんどん立ち上げていく様子にも感化され、私もそのようなチャレンジができるフェーズの会社で挑戦したいと考えるようになりました。

カオスな組織の立て直しと、メンバーのマインドチェンジに奔走

-- そして再び転職活動を始められたわけですね。最初にフォースタートアップスと接点を持ったタイミングでは、すでに他社からオファーがあり最終段階だったと伺っています。その上で、シニアヒューマンキャピタリスト仁木 紫援からの提案を聞いてみようと思った背景を教えてください。

おっしゃる通り、すでに他社から内定をいただいており、承諾期限も迫っているような状況でした。ビジネス的な観点で見ると、仁木さんにとって私は旨みのない人材のはずです。それにも関わらず、仁木さんは真正面から私に向き合い、丁寧に話を聞いてくれました。

仁木さんの姿勢に誠実さを感じましたし、そんな彼の提案を聞いてみたくなりました。そして提案されたのがベルフェイスだったのです。

-- ベルフェイスの印象はいかがでしたか?

リクルートで「ゼクシィ」のクライアント向けプロダクトに関わっていた時に、連携先の候補としてbellFaceが挙がっていたため、サービス自体は知っていました。電話面談システムがコロナ禍で軌道に乗っているイケイケなスタートアップという印象を持ってました。

早速CEOの中島と話をしたところ、セールスの負を本気で解決したいという熱意が伝わってきて、面談も60分中55分くらいは中島が思いの丈を話すかたちになり、結局時間の延長をお願いされるくらいの熱量でした。

-- その後、とんとん拍子でベルフェイスへ意思決定されたのですか?

いえ、かなり悩みました。同じようなレイターステージで、持てる裁量や会社の目指すビジョンなどを総合的に判断してイーブンな企業がもう一社ありました。その2社で迷い、最後は「誰と一緒に働きたいか」で決めようと考えた時、決定打になったのが元CTOである山口の存在でした。

-- 山口さんにはどんな魅力を感じたのでしょうか?

直感的に「この人と働く経験は自分の財産になる」と思ったのです。

ベルフェイスの経営陣と会食をする場面で、山口から「僕と一緒に働ける幸せは他にはないですよ」と言われたことが衝撃で(笑)。よほど自分に自信がないと、そんなこと言えないじゃないですか。ただ、実際に山口は輝かしい経歴を持っていますし、その経歴を裏付ける実績もずば抜けています。一緒に働くことできっと自分も成長できると思い、入社を決めました。

-- その後、ベルフェイスに入社していかがでしたか?

入社前と、ものすごく大きなギャップを感じました。もう少しレイターステージなりに事業や組織が整っていると予想していたのですが、はっきり言うと全てが未熟でした。コロナが一瞬事業成長の後押しにはなったものの、一転して経営危機に陥った事実も含め、外側から見た印象と内部はこんなにも違うのか、と驚きを隠せませんでした。

-- 当時のベルフェイスの課題や、危機感についてどう捉えていましたか?

当時のプロダクト組織は、セールスの要望をそのまま受けて開発を進める、いわば社内受託のような状態でした。顧客の抱える課題に正面から向き合えていない実態に、危機感を覚えましたね。

-- その状況を立て直すために、どう動いていったのでしょうか?

リクルートでの経験をもとに、まずはメンバーにプロダクト組織としてユーザーに接点を持ち、積極的に一次情報を取りに行くことを呼びかけ、アウトプットではなく顧客側に起きた変化「アウトカム」に目を向ける必要性も説きました。さらに、ただプロダクトをリリースして終わるのではなく、それが本当に顧客の価値に繋がっているのかまで、徹底的に考え抜く日々を送りました。

立て直しに奔走した結果、徐々にプロダクト組織のマインドを切り替えることができたと思います。セールスサイドの情報を鵜呑みにせず、自ら一次情報を取りに行く姿勢にシフトしたのです。あらゆる角度の一次情報から物事を判断することで、新たにできることが増え、個人も組織全体も一段とレベルアップしたと感じています。

また、今は執行役員として経営や事業の課題を解像度高く捉えられる立場にいるので、その視座を持って経営や事業と組織をアラインし、プロダクト組織として生み出す価値を最大化していくことにチャレンジしています。

自分の意思を大切に。挑戦する勇気が人生に彩りを添える

-- 最後になりますが、カオスな環境に飛び込んだ大歳さんからみて、スタートアップはどんな方におすすめの環境ですか?

スタートアップは、人間に例えるとよちよち歩きの子どもみたいで、常識にとらわれない自由さがあります。しかし内側は想像通りカオスですし、組織を取り巻く状況も常に変化します。

そういった変化を受け入れられる人、むしろワクワクできる人は、すぐにでも飛び込むことをおすすめします。心の底から湧き上がる動機とスタートアップの特性がマッチすれば、きっとバリューを発揮できると思います。

-- とはいえ新卒の頃の大歳さんのように、自分の本心に従った選択をすることは勇気も必要です。キャリア選択に悩まれている方に向けて、チャレンジを後押しするようなメッセージをいただけますか?

かつての私がそうだったように、自分の意思に蓋をしたまま仕事をしていたら、人生の彩りが失われていくと思います。私も1社目ではずっと悩みながら働いていましたが、思い切ってやりたいことに飛び込んだからこそ、今があります。

リクルートが当時掲げていたキャッチコピーに「仕事が楽しいと人生が楽しい」というものがあるんですが、そこに込められたメッセージのとおり、人生で働く時間は長いので、悩みながら過ごすのは本当にもったいないです。もし悩んでいるなら、自分にとって仕事がどんな意味を持つのか向き合う機会を設けてみてはいかがでしょうか。

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大歳さんをご支援したヒューマンキャピタリスト

仁木 紫援(Shion Niki)
フォースタートアップス株式会社 シニアヒューマンキャピタリスト
兵庫県立大学を卒業後、人事職として中規模ベンチャー企業に入社。並行して新規事業開発も担当。その後、当時15名程度のシリーズAのSaaS企業に入社。社内唯一の企画専任職(セールスイネーブルメント)として、売上の最大化および成果の再現性向上と、新規事業開発を兼務。スタートアップエコシステムの成長の必要性を感じ、2020年3月にフォースタートアップスへの入社を決意。現在はシニアヒューマンキャピタリストとして、シード期からプレIPO期までのスタートアップへの採用支援を担当。

<インタビュー>
入社9ヶ月でスタートアップへの支援実績No.1の大活躍!信念は、未来を語りながら、ひたむきに今やるべきことをやること
https://www.forstartups.com/news/niki-shion

Linkedin : Shion Niki

EVANGE - Director : Hanako Yasumatsu / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Makiha Orii / Writer : Yuko Kondo / Editor:Hanako Yasumatsu / Photographer : Shota Matsushima

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