「神話する身体」~第1回(1)『古事記』を読み始めたきっかけ 画:中川学さん
「古事記から探る日本人の古層」という連続講座を隣町珈琲(品川区、荏原中延)で行っています。このnoteでは、そこでお話したことなどをまとめていこうと思っています。
時間の都合で講座ではお話できなかったことも加筆してありますし、話がずれすぎた部分はカットしたりもしていますので、講座とまったく同じではありません。
講座のテープ起こしを元にしていますので、講座っぽいのはどうぞご寛恕を。
ちなみに講座の録音はラジオデイズさんから購入できます。1回分515円です。
※今日の部分は、講座とはだいぶ違います。
▼ネイティブ・アメリカンの人たちとの旅
みなさん。こんにちは。前回の講座では『論語』についてお話をしましたが、今回は『古事記』です。
最初に、神話学者でもない、いや、それどころか国文学の専攻でもなかった私が、なぜ古事記についての講座をするかということについてお話しておきましょう。
もうずいぶん前のことになりますが、ネイティブ・アメリカンの人たちと、さまざまな聖地を巡りながらアメリカ大陸を縦断したことがあります。AIM(american indian movement)の戦士として有名なデニス・バンクス氏や『ダンス・ウィズ・ウルブズ』という映画で酋長役をした人たちなどが一緒でした。
聖地に着くたびに東西南北の四方に礼拝をして、音楽を演奏します。ネイティブ・アメリカンの人たちは笛を吹き、歌を歌います。能楽師としては大鼓奏者の大倉正之助氏と僕が参加しましたが、大倉氏は大鼓(おおつづみ)を打ち、僕は謡を謡いました。
また、旅の間、雷が鳴ったり、大雨が降ったりすると、みんなおおはしゃぎして「神さまが降りて来た」と叫びながら外に飛び出して歌ったり、踊り出したりします。夜には、子どもたちと一緒に彼らの語る神話を聞いたりしました。毎日が神話を生きているような旅でした。
旅の最後の聖地はパイプストーンという地です。パイプストーンは、聖具であるピース・パイプを作るための石を採る土地です。
パイプストーンでは、ネイティブ・アメリカンの儀式の中で最も神聖な儀式のひとつであるサンダンスが行われます。
サンダンスとは文字通り「太陽の踊り」です。太陽がその力を最大に発揮する夏至前後に行われるサンダンスは、現在では部族ごとに全米百箇所以上で行われますが、パイプストーンでのサンダンスは、スー族とオジブエ族両方の精神性を受け継ぐサンダンスです。
サンダンスの踊り手たちは、円形のセレモニー・グランドの真ん中に立てられた「生命の木」の周りで四日間、踊り続けます。日の出から日没まで、炎天下に飲まず食わずで踊るのです。
旅の途中で語られて来た神話は、このパイプストーンのサンダンスで立体化し、そして完成するのです。
▼神話する身体
この旅に参加したときに、神話というのは本来、このようなものではなかったのだろうかと思いました。
すなわち机に向かって、まじめな顔をして黙々と読むものではなく、祭りの庭において演じられ、踊られるもの、それが神話なのではなかったのか、そう思ったのです。
このようなアイデアに接したのは、これがはじめてではありません。
フランスのシノロジストのマルセル・グラネは古代中国の叙事詩である『詩経』は、このような祭礼の歌謡であるといい、中国の聞一多はそれを実際に台本化しています。また、近年では作曲家のタンドゥンは楚の国に王族、屈原の記した『楚辞』に載る「九歌」をリチュアル・オペラにしています。台湾の雲門舞集(クラウド・ゲイト舞踊団)は「九歌」を舞踊に仕上げています。
ただ、実際に自分が旅をして、そして儀礼に参加して、それを身をもって体験したときに、いままでは違った神話の読み方をしてみようと初めて思い、雑誌『言語』に『古事記』を身体性に注目して読むという連載を一年間しました(2008年1月~12月)。
タイトルは「神話する身体」でした。
※これも近いうちにまとめる予定です。
その後、古典ギリシャ語やヘブライ語、アッカド語、シュメール語などを学ぶ機会があり、神話に対する考え方も変わり、またさまざまな神話を原語で上演するという試みもしています。『古事記』の「イザナギ命の冥界下り」、ギリシャ神話の「オルフェウスの冥界下り」、そしてシュメール神話の「イナンナの冥界下り」などを上演しました。
そのような上演を通じて、神話への考えはさらに変わって来たので、今回、もう一度『古事記』を読みなおしてみたいと思って、この講座を始めました。これから5回、どうぞよろしくお願いいたします(2018年7月時点で講座は10回に延長されました)。