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樹(き)のように水のように

ユースタイルケア 東京 重度訪問介護 で重度訪問介護サービスを利用されているALS(筋萎縮性側索硬化症)当事者の並木紀子(なみきのりこ)さんの連載コラムを、より多くの方にご覧いただけるように、今回よりnoteにて公開します。

ユースタイルラボラトリーは、【だれもが互いの可能性を信じ、 自分らしく生きられる社会。】を目指し、すべての必要な人に、必要なケアを届け、その人らしく生きることをサポートしています。障害当事者の方の、音楽・アート・執筆・スポーツなどの活動を応援します!ぜひお問合せ下さい。


コラム著者 並木紀子
1951年生まれ。2009年に進行性難病のALSの診断を受け、現在は人工呼吸器をつけ重度訪問介護サービスを24時間利用しながら生活を送っている。
2018年に絵本「北風ぼうや、おおあばれ」を自費出版。本コラムの挿絵も著者による作品。

2024年を振り返って


昨年はユースタイルケア重度訪問介護の皆さんに大変お世話になり、ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いします。
2回も内臓を悪くして、入院が重なった昨年。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)を告知されてから今まで16年になりますが、こんなことは初めてです。
昨年私に訪れた試練について書かせてください。

 「 何事も 無く暮らすのが 幸せと
      
     思い知りたる 手術の後で

  南天の 実のみ朱(あか)くて 年明けぬ 」

はじめの異変は2024年3月でした。
私は、流動食ならまだ食べられるので、11時にブラックコーヒーとヨーグルトなどの遅い朝食を済ませました。
その30分後から、経管栄養を1時間かけて胃ろうに入れました。
お腹が痛くなりはじめたのは15:00頃からでした。
夕方の経管栄養は止めて、様子を見ていましたが、お腹はますます痛くなるばかりです。

クリニックに往診を頼み、痛み止めと吐き気止めの注射をしてもらいました。
しかし、お腹の痛みに加えて背中も痛み始めて、ひっきりなしに吐き気がします。
ヘルパーさんはお腹をユタンポで温めて、ずっと背中をさすっていてくれました。

翌朝に再度クリニックに電話して、受け入れてくれる病院を探してもらいました。
しかしあいにく日曜日だったので、なかなか見つかりませんでした。
10回以上も断られた末に、やっとのことで順天堂練馬病院に救急搬送されました。

血液検査と超音波検査の結果、胆のう炎と診断されました。
長いあいだ動けないでいると、どうしても胆汁が滞って泥状になるせいで、胆のう炎を起こすということでした。
診断がつき、抗生剤と痛み止めの点滴をしてもらって、やっと落ち着きました。
しかしベッドの空きが無かったので、家に帰されることになりました。

家に帰ってからは、訪問医の治療を受けることになりました。 
朝、看護士が訪問医の指示に添い、抗生剤とカリウムの点滴を始めます。
そして、夕方終わる前に撤去しに来ます。
1カ月経って、だんだん落ち着いて来たので、経管栄養を開始しました。
そうしたらまたお腹が痛くなってしまいました。

今度は、多摩総合医療センターに救急搬送されました。
診断は胆のう炎の再発でした。
手術を拒否したので、抗生剤とモルヒネ、吐き気止めを点滴で入れ続けました。
モルヒネのせいで意識が朦朧となりましたが、私は楽でした。
眠たくて眠たくて、ずっとウトウトしていました。
時々目が覚めると、とたんに痛みと吐き気が襲って来ます。
しかし、24時間ヘルパーの付き添いが許可されたので、ヘルパーさんがナースコールを押してくれます。
すると、看護士が来て、モルヒネや吐き気止めの点滴を新しく入れてくれるのです。
だから私は何の心配も無く、眠り続けていました。
でも、付き添ってくれたヘルパーさんはとても心配したそうです。

1カ月経って体調が安定したので、なじみ深い神経病院に移りました。
つき合いの長いOT(作業療法士)本間さんがコールをセットしてくださったので、安心しました。
その代わり、ヘルパーの付き添いは制限されました。
私は最初ここが神経病院だと分からず、
「本間さんが新しく立ち上げた施設かなぁ?
 周りはカーテンで囲まれているし、外は砂漠のようだし、不思議な所だなぁ。どこかしら?」などと思っていました。

4月になって、やっとのことで退院することが出来ました。
廊下に出た時、見覚えのあるナースセンターを通ったので、初めて神経病院だと気付きました。

家に帰ってから、訪問医の判断で経管栄養をエレンタールにしました。 。
前の栄養剤よりも、脂肪分が少ないそうです。
そのまま何事も無く、2ヶ月が過ぎました。
ところが6月半ばになって、またお腹が痛くなってしまいました。

再度、多摩総合医療センターに救急搬送されました。
若い医師がMRIの画像を見て、
「胆のう炎ではないので、帰っていいですよ」と言いました。
付き添っていたヘルパーさんが
「こんなに痛がっているんだから、他に何かあるはずです。もっとよく調べてください」と言ってくれました。
そこで、他の医師が代わって診たところ、腸捻転だと判明しました。
そのヘルパーさんが食い下がってくれたので、助かりました。
もし帰宅していたら、私は今頃あの世に逝っていたことでしょう。

それから、手術するか、しないか聞かれました。
助かるためには手術するしかないと思ったので、
「手術してください」と頼みました。
しかし、外科医が不在だという理由で、多摩総合医療センターでは手術できないと言われました。

そこで、手術が出来る病院を探してもらったところ、S病院が引き受けてくれることになりましたので、
早速救急車で転院しました。
着いてすぐにMRIを撮られました。
外科医は女性でした。
そのときには、息子達と姉や兄も駆けつけていましたので、皆で医師の説明を聞きました。
それによると、
「15才の時に受けた虫垂炎の手術あとが癒着しているせいで、小腸の一部がねじれて閉そくしています。
ただちに手術しないと、その部分が壊疽(えそ)してしまいます。
壊疽したところから菌が拡がると命に関わるので、お腹を切り開いて閉そく部を切り取り、健康な所同士を縫い合わせます。
速ければ3時間、癒着がひどければ6時間以上かかります。
傷んだ所が大腸にまでおよんでいれば、人工肛門にしければいけないかも知れません」ということでした。

説明が終わったのが22時でした。
それからすぐ手術室に運ばれ、手術着に着替えてから手術台に移されました。
医療ドラマで見たように、天井には大きなライトが煌々と照り、ビニールキャップと大きなマスクを
して、体にはビニールのかっぽう着をつけた人が数人居ました。
その中の一人が近づいて、
「これから全身麻酔をしますね。すぐに眠たくなります。
 眠っているあいだに、手術は終わっていますから、何も心配ないですよ」と優しく言って、注射をしました。
それから、全く意識が無くなりました。

後で聞いた話しでは、
「幸い、癒着が少なかったので、手術は3時間で終わった。大腸は損傷してなかった。ただし、後少し遅かったら、死んでいたかも知れないと言われた」ということでした。
私が目を覚ました時には、救急病棟の中の1室に居ました。

それまでも大変でしたが、まだまだ甘かったのです。
S病院は初めてだったので、万事勝手が違いました。
本当の試練は、それからの入院生活で味わわされたのです。

命を救ってもらったのに、苦情を言うのは申し訳ないと思いますが、私のように身体が全く動かせず、声も出せない患者への理解も配慮も全然ありませんでした。
こんなに辛い日が続くと分かっていたら、手術を選ばないで死んでいたほうが良かったとさえ思いました。

S病院での苦難は次回にまわしますね。


並木さんの過去連載分はユースタイルケアサービスサイトよりお読みいただけます。

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