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「何を言うか」よりも「誰が言うか」

「明日、学校どうするの?」

答えを聞きたいけれど、答えを聞くことも怖い。
この問いかけには、期待と不安、いろんな気持ちが混ざっている。

一方で、聞かれた方も穏やかではないかもしれない。
言いたい気持ちは既にわかっているけれど、それを言った後どうなるかも大体わかっている。
だから、言えない。

こうして、親子の関係はこじれていってしまう。

言外に込められたメッセージ

朝、子どものペースに合わせて、臨機応変に対応できる親も少ないだろう。
親も朝は慌ただしい。

もし行くのなら、お弁当など、前もって準備しなくてはならないかもしれない。
だから、明日どうするのかは聞いておきたい。
もちろん、親自身も安心したい思いが入ることも無理はないかもしれない。

そうした相手の期待を子どもも感じ取るからこそ、自分がどうするかを話すことをためらうのかもしれない。

「どうする?」と開かれた問いのようで、求められる正解は一つでもあることを感覚的に理解はしている。
人は、言葉以上にもっと多くの情報を言外から理解する。

話す言葉よりも、相手との関係性は?

同じ問いかけでも、受け取り方は人それぞれ。
それは受け取る側の性格の影響もあるだろうが、声かけをする人、される人など2人の関係性によるところも大きい。

「明日、学校どうする?」
自分自身がこの言葉を投げかけることで、相手はどう感じるだろうか。
素直に自分の気持ちを話してくれるだろうか。
それとも自分の気持ちを話すことにためらい、嘘をつかせる時間になるだろうか。

学校を休んでいる子へのOKワード、NGワードのような単純な話ではない。
相手とどんな関係性にある人が話すかによって、与えるメッセージは大きく異なる。

素直に話せる関係性を保てるように、私も日々見つめ直したいなと、ふと思った。

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