【自己紹介】元不登校が、カウンセラーになるまで~進路を決めた高校、大学~
普通に、通いだした定時制高校
高校は、定時制高校に行くことになった。
家から自転車で通える高校、電車で1時間かかる高校、選択肢はいくつかあったが、結局、知り合いが誰もいないであろう高校を選んだ。
ただ、それでも中学校の時に、最後まで登校することはなかったので、
高校から通える自信など何もなく、親にも「高校は4年かけて卒業するから」と入学前から話していた。
ただ、実際に始まってみると、周りは同じように元不登校ばかり。
何があった、何を言われたということはないが、気が楽だったのかもしれない。
結局、定時制午前部をしつつも、午後の特別授業も自主的に取り、全日制とほぼ変わらない時間割で学校生活を過ごしていた。
学校帰りの電車で、他校の制服を着た生徒が乗ってくる。
「今の成績なら、〇〇高校(地元の進学校)に行けるぞ!」
中1の時の三者面談で担任が言ってくれたことを思い出す。
「もし、あのとき休んでいなかったら…?」
スマホもない時代、暇すぎる電車の中で数えきれないほど考えた問い。
後悔もあったのだろうが、休まなかった可能性を考えられるほど、気持ちに余裕も出ていたのかもしれない。
一生答えが出ることはないとはわかっているが、考えられずにはいられなかった。
簡単に過ぎていく学校生活と、電車の中で日々浮かぶ妄想。
不登校が自分の中で終わったのどうかもよくわからなかったが、高校は結局3年で何事もなく卒業した。
浪人を経て、教育大学へ
高校卒業後の進路については、正直何も考えていなかった。
さらにぶっちゃけて言えば、「働きたくないな」、「専門学校に行くほど特別なものもないな」ということで、「じゃあ大学に」となった。
そして、「自分が不登校だったから、教育関係で何か生かせるかも」という軽い気持ちで、教育大学を志望した。
あれだけ嫌だった学校に、教師としてまた行こうとする自分に、不思議に思う感覚も持っていた。
それでも私立に行けるほどの余裕はなかったので、国立大学を目指すことにした。
受験勉強というものは高校受験でも大してやらず、高校もあまり勉強に力を入れる学校ではなかったので、誰かに勧められたわけでもなかった。
ただ、「中1で勉強が止まっている学生が国立大学を目指す」ということの大変さを理解していなかったからこそ、逆に目指せたのかもしれない、と今は思う。
結果、1年浪人をして、第一志望の大学には合格できた。
教職か、カウンセラーか、悩んだ大学生
大学では、小学校の教員になるために、有意義な時間を過ごすことができた。自分の関心があるテーマについて、学ぶことが楽しいとさえ思えた。
ただ、学校について、先生について、学ぶほどに「自分は何がしたいのだろう?」と真剣に悩むようになった。
みんなが毎日楽しく通えるようなクラスの先生を目指すのか
通うことができなくて困っている子どものために支援する「人」を目指すのか
当時はこんな問いで悩んでいた。
そんな思いを、教育実習先の指導教官に打ち明けてみた。
そのとき返ってきた言葉が自分の進路を決定づけ、今につながっている。
「個性も価値観も違う子どもたち30人、40人を、教室という一つの空間に入れて、同じ方法で教えるという仕組み自体が限界に来ているんだ。
学校に通っているから優れている、通えていないから劣っているということではなく、ただ単にその仕組みに合うか、合わないかというだけなんだよね。
でも、合わなかった子どもたちへの支援は、圧倒的に、足りていない。」
教育実習という極々わずかな時間ではあったが、子どもたちの姿、教員の方々の教育にかける熱い思いも垣間見え、教職という仕事もとても素敵なことだと感じていた。
それでも、自分は「不登校で悩む子どもの支援がしたい」と思い、仕事を探すことにした。卒業生の8,9割が教員になる大学では珍しい進路選択だった。
「カウンセラーになりたい」というよりも、「不登校で悩む子どもの支援がしたい」という思いで辿り着いたのが、「カウンセラー」だった。
そして、現在も勤務している「不登校支援センター」に入社することになる。