私の使命-フランクルに関する本から-
フランクルとの出会い
私は高校生のとき、勉強のしすぎで生きることから逃げてしまったこと
がある。そこから精神が不安定になり、心療内科に通うことになった。
大学生になって、古本屋で『マンガで分かる心療内科』に出会ったのは、
ある意味必然だったのかもしれない。
このマンガは、基本的に精神病や人の心理について笑いながら学べる
学習マンガなのだが、
10巻の「第98回 人生の意味とは?~フランクルの心理学」の回で、
君が生きる意味や目的を、
世界に問いかけたり、
期待するのは間違っている。
世界こそ君にそれを問いかけ、
そして君に期待しているのだ
というオーストリアの精神科医のフランクルの言葉と、それに続いてマンガに出てくる心理士が、
「ここは本当に大切なところですので覚えておいてください」という台詞
が印象に残った。
基本的に楽しく読むことのできるこのマンガで、
わざわざ「覚えておいてください」と明記されているのをこれまでの回で
見たことが無かったからだ。
そこからフランクルについて調べるようになった。
様々な角度からの『夜と霧』
大学の図書館でフランクルの代表作である『夜と霧』を読んだ。
ただ、最初に読んだとき、ユダヤ人のフランクルが強制収容所に捕らえ
られ、強制労働されている部分に気が回ってしまい、読むのを断念した。
そこで、NHKが出版している100分de名著シリーズで『夜と霧』を中心に
フランクルについての概説がされているのを知り、その本を買った。
この本はフランクルがどうして強制収容されることになったのか、
そして、どうやって生き延びていけたかが書かれていたので、納得すること
が出来た。先ほど引用した考えは、収容前に確立したということも知れた。
送辞の言葉~生きる意味とは~
時が過ぎ、私が大学3年生の冬に、大学の学科長の先生から送辞の依頼を
受けた。卒業を迎える先輩方に対して激励の言葉を送るというものだった。
私は、このとき直観的にフランクルの言葉を思い出した。
環境が目まぐるしく変わり、様々な価値観が台頭する多様化している社会
に飛び込む際に、意味への意志を探究したフランクル心理学は、先輩方への
生きる指針の一つになるのではないかと思ったからだ。
私は、「素敵な人と出会い、何かの目的や夢を持ち続けて生きていく。
それが困難を乗り越える原動力となる」という私なりのフランクル心理学の
解釈と共に送辞をした。
送辞が終わって卒業式が終わった直後、私が先生から素晴らしかったと
賛辞を受けた。私は、一つ何かを成し遂げたという充足感を味わった。
もしかしたら、これが私の生きる意味の一つになっていたのか
それから5年の月日が流れた。
自分がいま生きている意味
その間に精神疾患による入院があり、大学を卒業し後は、何回かの転職と、
再入院があった。決して楽な人生ではないと個人としては思っている。
その苦しさから、何度も自分という存在そのものが無かったらいいのに
という気持ちが湧き上がっては消えていた。
しかし、そんな消えてしまいたいくらいの自分が、今でも生き続けている
ということは、きっと私のことを待ってくれている「誰か」がいて、
作られるのを待っている「何か」がまだ残っているのかもしれない。
そうして過ごしている内に、私は今の自分を受け入れることのできる居場所
を見つけることが出来た。現在福祉的就労をしている場所ももちろんそう
だが、そこを見つけるまでに色んな人と出会い、素晴らしい体験や創造を
することが出来た。本当に感謝しています。
フランクルは、
もし幸福になる理由が存在すれば、幸福は結果としておのずと、つまり自然発生的かつ自動的に生まれてくる。このことが、人間は幸福を追求する必要はないことの理由である。(『意味への意志――ロゴセラピーの基礎と応用』より引用)
と述べています。自分が社会に貢献するために何かをしないとと思って
いたときが一番苦しかったです。それは、多分社会貢献によって幸福を
追及してしまったからなのかもしれません。今は、自分がより楽しく
生きることが出来るかを優先して行動するようになりました。
改めて――私の使命
私の使命と言うと、何だか堅苦しいような気もしますが、私自身を含めた
私と関わった方が、「もう少しだけでも生きよう。」と思えるよう日々
生き続けることなのだと思います。それは、この文章を読んで下さった方
にも当てはまり、少しでも生きるヒントとして参考になれば、私の使命を
果たし続けられるのだと思います。
ここまで読んで下さり本当にありがとうございました。