【東京感光】2023年 6月 曇天 を撮る
観光旅行というのはとても愉快で楽しいもので、素晴らしい風景を見て、あるいは楽しげな施設で遊んで、旅館なりホテルなりについてうまそうな食事に舌鼓を打つ、言葉にしてみれば実に単純極まりない行為だと思うのだが、どうしてこんなに心弾むのか、考えてみるとそれは、「移動する」ということに尽きるという結論に至る。
ここではないどこかへ。遠くへ。それは僕が言うまでもなく日常からの脱出である。もちろん、どこそこのなにそれが観たいとか食べたいとか体験したいという欲求から旅にでる人もいて、そういう場合、旅になるのは遠いところに目的物があるから。だが、実際のところ多くの人が旅に出るのは、旅に出たいから、つまり、今ここ、という場から離れたいから、と言うことができるかもしれない。
非日常への憧憬だ。
偉そうに書いたが、僕がやりたい旅は、ここからもう少し違ってくる。物見遊山もいいが、できることなら、その地に1週間なり1ヶ月なり暮らしてみたい。その地のスーパーを使い、その地の飲食店を両方し、その地の朝夕を眺めたい。非日常の場で、日時に近い暮らしをしてみたいのだ。
仕事でオーストラリアに行ったとき、それがまさにそれであった。3週間、自炊をしながら職場に通い、休日はメルボルンに出かけたり、仕事先の方にお呼ばれをしたりした。だがある意味においてもっとも記憶に残っているのは、何もすることのない日曜日の朝、教会から聴こえる聖歌だったり、すぐ近くの浜辺を見渡せる丘に沿った家に咲くコブシだったりする。特にコブシは、僕の中で淡いハイキー調の、白昼夢とでも言うべき色合いで記憶されている。そうしてそれを、借りてきたコンデジで撮ろうとして、しかしうまく思ったとおりにならなかった、あの感覚が、僕を写真という沼に突き落とすきっかけになったのだ。
ただの観光であれば、僕はその街の観光名所である浜辺しか見なかったろう。だがそこに3週間もいたからこそ、見つけた景色なのだ。
さて、東京である。かつて僕はここで暮らしていた。だが、銀座はバイトで通っていたからともかく、湯島とか上野あたりは、やはり知らない土地である。しかし何度も仕事で出掛けては寄っているうちに、湯島天神よりはそこに至る街角だとか、不忍池よりはそのエッジにあたる場所へと目が映るようになる。東京駅の駅舎もいいが、そこから丸の内へ足を伸ばす。いや、所詮撮影スポットとして良くInstagramで見かけるところではあるが、初めて東京に出たというのであったなら、まずは撮らない場所だろう。定番ながらトップオブ定番ではない。そんなところを撮るのが今回の撮影の目的であった。
順不同もあったもんじゃないが、写真をあげておく。曇天どころか雨も降るようなまさに梅雨時期の空であったが、そういや曇りの空をあまり撮っていない。けれどこれがピーカンであったなら、こんなふうには撮れていないことだろう。ライカM240は光の表現が美しいと思うのだが、曇った日の光もうまく掬い取ってくれるようだ。そこにxpro2の色合いもうまく寄り添ってくれている。
もう少し明るさの調整も必要なものがあるが、とにかく東京は晴れても降っても絵になる場所が多くて困る。この楽しみを得るためには飛行機チケットが嵩む。が、また歩いてみたい。そのときはどこを撮ろうと思うだけで楽しくなってくる。我ながら根暗なヤツだ。