三たび、写真展に参加する
1度目は、ライカを手に入れたばかり、コロナ禍の写真展ということで、家の周辺と家族の姿を収めた展示にした。額に4ほどのフォントサイズでキャプションを入れて、虫眼鏡をつけて、Instagramの写真をパラパラと見ていく感覚を再現してみようとした。
Instagramって写真をパラパラと見て、コメントなんかも飛ばして読まなかったりする。読もうと思うとわりと面倒くさい。その感覚を展示で表してみようと思った。
ところが肝心な展示期間中にコロナ罹患。
息子からもらったものなので防ぎようもなかった。(もらってきた施設は、もう少し防ぎようがあったと思うし、その後の対応も…)
2度目は、コロナの全国的な警戒が解ける直前と直後の東京スナップだ。前半は人が動き始め、未就学最後の割と子供に自由がきく最後の年だからとかなり用心して出かけた。面白かったのはこの前後の電車内のマスクの割合。あれは非常に興味深っかった。
後の方の東京は祭も戻ってきていて、久々に、それこそ十年以上ぶりに再会できた人もいて、このコロナ禍で、会いたい人にいつでも会えるわけではないことを実感した旅でもあった。
写真の方は、祭りのワンカットを含め、久々の再会した人たちの笑顔、街並みのスナップ、建築や、インバウンドの光と陰みたいなところを展示した。写真の質としては凡庸だと思うが、なんだか意味深いものを展示できたのではないかと思う。なんだか、でしかないかもしれないが。
さて、3度目、コロナ禍の日常でも、ビフォアアフターでもなく、そんなまっさらな状態で、何を展示すべきか。
だいたい、コロナ禍の前も今もやっていることは基本ご近所散歩撮影である。だから結局それを飾るしかないのだが、そうすると、僕がいかにこれまで何も考えずに撮り続けてきたのかを思い知らされることになる。
ほんとに、ただただ、何も考えずにシャッターを切っていたのだな、と。
写真集や個展などを見ると、きちんとテーマ性を持たせたものが印象に残ることが多い。
それは、写真系YouTuberであるトモ コスガさんの言葉を借りれば、「写真をmakeする」そういう写真に惹かれるということだ。
テーマ性のある写真は一枚それぞれもたしかに美しく、見入るものだけれど、しかしその複数のカットからなる全体を通して感慨が深まってくる。だから僕は一枚で完璧な、圧倒される作品よりも、写真集を眺める方が好きだ。
しかしいざ、自分が写真をmakeするとなると、そんなテーマなど抱えて撮ったこともないし、てめー19年間何をしてたんだよ、と思ってしまう。
そうは言っても仕方がない。これまで「take」してきた写真の中から、特にこの1年間で撮ったものを見返してみて、そこから選んでいくしかない。写真展をやるにしては、とても後ろ向きなやり方だな、と思う。
写真を見ながら、これは、と思ったものをピックアップする。
これはまあいいんじゃないかな、と思うものを残していく。
この作業が実は一番怖い。
自分の感覚が果たして他の人と同じなのかどうか、僕が良いと思ったものが、実は他の人にとっては全く良くないものなのではないか、そんなことを考え始めるのである。
自分の美意識なり、センスなりがズレてんじゃないか、と思うわけだ。
いや、ズレていてもいい。そうであっても、これを見る人に、「ああ、こんな表現があるんだね」と思わせられるのなら、むしろズレていていい。そう言う力が自分の写真にあるのなら、みんなが良いと感じる写真を撮っていると言うよりはるかに良い。
だけど、19年間もやってきて、陳腐な写真でしかない、「富嶽百景」よろしく、書き割りみたいな写真しか撮れないってんならまだしも、そんな昔の銭湯の富士の絵にすらなれない写真しか撮っていないのかも、と思ってくると、田舎の、グループ展の端っこの存在のような展示でも、人の目を想像し始めて、怖くなってくる。ましてや未だにきちんとした線が描けないだけかもしれない。
そもそもSNSでは、1000も10000もイイねをもらうなんてこともない。
これはイイかも!?と思った自分の写真がそんな数になることなんてない。
ズレてんなあと思ってしまう。
他の人の、大バズリの写真を見て、綺麗だね、とは思うものの、それが本当にいい、とまでは感じなかったりもするのだから。
写真展はいい。
こんな自分に、他人の視点と、自分の価値観をせめぎ合わせることをさせようとしてくれる。見る人のことを考える。来場者がどんな人が多いのか、そんな人はどんな写真を好むだろうか、一方で自分が見せたいものはなんなのか、自分が好きだと思う一枚はどれなのか。主観と客観の間で、下手は下手なりに止揚している感覚がある。
この感覚を撮るときにもあればいいのだけれど、そうはならないのが、朝の散歩写真の良くないところだが、年に一回、そう言う機会があるだけでも、違ってくるものだと信じたい。
そう言うわけで、今回、僕はこの1年間で撮った写真のうち16枚を選んだ。当初10枚以内でと思っていたが、思いの外数が膨らみ、その中で削ぎ落としての16枚となった。それらを見ていくと、不思議となんらかの繋がりがあった。その繋がりを含めて展示してみたいと思う。果たしてそれが良い写真なのか、一笑に付すようなものなのかは、もう判断できないけれど、きてくださる人に、少しでも面白いね、と思っていただければ、幸いである。