街に優しいカメラ
数年前のこと。あの日は暑かったのかもしれない。日陰の多い場所ということで、県内では最も大きな神宮に撮影に行った。
参道を横切る形で池があって、そこで鯉の餌を狙っている烏なんかがいる、そういうのを撮っていた。
ちょうどその位置から本殿、そして大きな鳥居が見える。そういう光景にもシャッターを切らせていただく。
余談だが、自分はこの神宮で式を挙げた。洒落た式場なんかは、がらじゃないし、と、2人で神式を選ぶことにしたのだった。
多分その結婚式の打ち合わせをしている頃で、それで撮影してみようと思ってやってきたときのことだったと思う。前撮りもまだだったころのはずだから、撮られる側の人間として、この神域でどんなふうに撮影されるのだろうと考えながらシャッターを切ったのを覚えている。
そんな時本殿の方からこちらに向かって歩いてくる男性がいた。
目が合って、何か言われるかな、と身構えた。
それ、フイルムカメラ?
男性は僕が持つカメラを指差してそう尋ねてきた。
いえ、デジカメですよ。
僕はそう言って、液晶の方を見せると、男性はいいカメラだね、と微笑んで、過ぎ去っていった。
そのとき持っていたのはフジフイルムのX100Tで、肩には初代のX100にテレコンかワイコンをつけたものをかけていた。
どちらもシルバーのカメラで、僕自身、そのフイルムカメラライクな見た目にやられて初代を買ったくらいだから、そう見間違えるのも当然のことだ。
その前のゴールデンウイークに、実際にX100でおいらん道中を撮影している人を見かけた。
ああ、あれがフジフイルムから今度出たやつか……。
……いつか買うだろうな。
しかしてその年の冬に仕事がいやになって勢いで買ったのだった。
だいたい数年おきに、この、「仕事が嫌になって勢いで買ってしまう」発作が起こる。自分のことを知っている人なら、そりゃそうかと、納得される…だろう。
100Tも、X100Fも、ライカM240もそんな勢いで買った。時期はずれたがX-pro2もブロンプトンも、おそらくこの、仕事が嫌になって指が攣る病のせいだ。
堪え性がないともいう。
さて、今年。職場を去る方との集合写真を撮る、と、なったとき、いいカメラで!と言う同僚の声があがった。その同僚は僕が写真好きなのを知っているから、わざとそんな声を誰へともなくあげたのだと思う。
とにかくなんでもシャッター切りたかった以前ならともかく、ここ数年は言われなければカメラを持ち出すことはしないようにしている。実際ほかの部署でも集合写真を撮ることがあったが、その時は他の人のカメラで撮影したので、それに従った。
でも、同僚の、いいカメラで、発言は、オマエが撮れ、ということ。自分はたまたま通勤時に桜を撮るために持ってきていたライカを持ち出すことにした。
ライカを三脚に据え、高さをメインの人の目線に合わせ、EVFを覗き込み、ピントを合わせて撮影する。撮り終えるとその中の一人が近づいてきて、
これフイルムカメラですか?
と尋ねてくる。
いや、デジタルだよ、と背面液晶にさっき撮った写真を映し出す。
やっぱりどうもこのレンジファインダー型のカメラは、フイルムカメラだと思われるようだ。それもシルバー。他にも同じようなことが数回あったけれど、ブラックボディのX100FとX-pro2の時にはそういうことはない。X100Fより初代やTの方がレトロ感が細部に感じられるので、カタチの問題もあるのかもしれないけれど、その前に昔のカメラはシルバーだったという印象があるのではないか、と思う。
最初自分はライカなら、M10Pのブラックが欲しかった。シャッター音が静かだったし、赤いロゴがないし、シュッとしていてかっこいい。Mtyp240は発売された当初でも、デカデカとわたしはマゾですとでも言っているかのような機種名と、大きな赤いロゴに、これは買わないなあと思っていた。買えないことはさておき。
しかしM10のシルバーも、カッコ良かったのは確かだし、いや、実はシルバーモデルの方が街に溶け込むのではないかと今は思う。今のデジカメは総じて黒いから、シルバーの方が、詳しくない人には、あ、カメラが好きな人なのね、くらいに流してくれるのではないかなと思う。
その証として、先の集合写真の時に、ライカを見て、ライカだ、と知っている人はいなかった。これCanon? Nikon?と尋ねてくる方はいたのだけど、ライカですよと答えても。へえー、と、流されるくらいだった。そして、これはフイルムカメラですか?と、訊かれたり。カメラに詳しくない人にはその程度の認識なのだと思う。
そう、レンジファインダーの出っ張りの少ないカタチは、昔のカメラを彷彿とさせる。だから、街中で撮っていても、威圧感が少ないように、僕は思う。
どちらかと言えば、写真好きなおっさん程度に見られるような気がするし、自分自身、この形を見ていると、なんだかほっとしてしまうのだ。懐かしさを内包したカタチだ。
どんなカメラでも、ある程度の大きさがあって、それを構えて撮ろうとすればそれは目立つ。だって写真を撮ろうとする人の体の動きは、街を行く人とは大いに異なるから。もちろんこの昨今、マナーの問題もきちんと考えないといけない。でも、写真を撮る時に、持っているカメラがノスタルジーを感じさせるものだったなら、少し異質感は減るのかもしれない。
ノスタルジーを醸し出すレンジファインダー型のカメラは、やっぱり街に優しいカメラなのだ。
さて、先にあげた結婚の話だけれど、神宮おつきの式場のスタッフさんがこんなことをおっしゃった。
神宮で式をあげるということは、この披露宴会場がなくなることはあっても、結婚式をあげた場所は永遠になくならない、ということです。
別にそれだけの話だけれど、なんだかカメラの話にも繋がるような気がして、それがなんなのか、ちょっとしばらく考えている。