愛しているから、苦しい
数ヶ月ぶりにnoteをひらき、過去の記事を読んでみたりした。
たくさん変化していたこともあれば、変化したり成長していたことに気づいていなかったこともあった。
改めて、不定期であってもこうしてnoteをひらき、日常の心の揺れ動くさまを書き綴っていこうと思った。
いろいろと過去記事を読んでみて、一番胸に響いたのはこの記事だ。
この記事を書いた日から、1年弱の時間が経っている。残暑というには早すぎる、暑い夏の日に書いた記事だった。なつかしいなぁ。
あれから季節はめぐり、秋がきて、冬が訪れ、春は終わりを告げて、またぐるりと夏がめぐってきつつある。
わたしは、そして彼は、どう変わったのだろうか。
わたしが彼に求めるこの中身は、確かにこの1年で変化したんだなぁと、この記事を読んでみて改めて思った。
1年前のわたしは、彼に対して “恋愛” を求めていた。ドキドキしたり、キュンキュンしたり、「もうめっちゃ好き〜♡」みたいな、恋する乙女みたいなものを求めていた。
今は、その気持ちは落ち着いてきていて。もちろん、好きだなって思うこととか、相手に対するときめきはお互いに失いたくはないけれど。それよりも、「パートナー」「人生の相棒」「チームメイト」という立ち回りを彼に求めるようになってきている。
私には子どもがいるし、子ども自身とても繊細な子なので、かなり細やかなケアが必要になる。同時にわたしは実家に住んでいるけれど、親との関係は過去最悪を記録し、親と同じ空間にいるだけでパニックを起こして抗不安薬を飲むようなところにまで追い詰められてしまっている。それはさすがに、やばいとしか言いようがない。
そんな状態ならば、さっさと実家を出てしまえばいいだろうと言われそうだけれど。去年の半分以上を鬱やパニック発作に苦しめられながら過ごしていたわたしは、まだフルタイムで働ける胆力をとりもどせているのか、押しはかることができないでいる。
とはいえ、今の状態で実家に住み続けるのはあきらかにわたしの心がもたないので、引越しをしようと思って物件を探し、内覧をして、保証人まで見つけてきた。後は、親に引越しをしようと思っていることを伝えるのみ、だ。(だが、それがどんな大爆発をもたらすかわからないので、考えただけで心拍数があがってきて、息がしづらくなってくる)
そんな状態なのであれば、親に話をせずに、さっさと自分で決めて出ていけばいいだろうと思う人もいるかもしれない。それは、わたしも考えた。でも、親以外に親族がいないわたしにとって、まだ子どもが小さいうちは、やはり親の助けというのは必要になるかもしれなくて。それに、子どものためにも、親と子の良好な関係は保っておいてあげたいと思う。わたしと親が不仲であることに、子どもを巻き込む必要はない。(子どもに害が及ぶのであれば、躊躇せずに断ち切るけれど。まだ、そこまでには及んでいない)
甘えなのかもしれない。洗脳されているのかもしれない。正直、わたしにはもう、よくわからない。
実家を出て子どもと2人で暮らすにしても、実は収入の面で生活費をまかなう分には、はるかに足りていない。だが、生活保護をもらうほどではない(生活保護の基準はかなり厳しいのが現実で、本当に、ただ「生き延びる」ために必要な分だけが支給される。子どもがまだ小さいので、その範囲の中で生きていくのは難しい部分が大きいのではないかと懸念している)。
親に話をしなければいけない理由のひとつが、親の仕事を無償で手伝っているからという理由がある。今のわたしは、週に数日はアルバイトはしているけれど、実家にお金を入れられるほどにはお金を稼げていない。(ただ、親に実家に入れろと言われる金額が異常に高いと知人友人には言われている。わたしには正直よくわからない。金銭的な部分の計算をちゃんと提示してと言っても、すべてが不明瞭であいまいで、強く提示を求めたら逆ギレされたり、「じゃあ、今までにあなたにかけてきたお金を全部返しなさい!」と言われたりするので、手が出せないのが実情だ)。
家に直接的にお金を入れていない代わりに、親の仕事をわたしが代わりにやって、「その分の収入を実家に入れていることにする」ということで、親とは話がついていた。結局、それで、今も週に1回程度、仕事を代わりに手伝っている。そうはいっても、引越しのためにも将来のためにも、貯金はしたい。それに、そもそも自分のスマホ代や子どもの諸々の出費、交際費や交通費などは全部自分のサイフから出しているので、その分を稼いでいかないといけない。というわけで、親の仕事とは別にアルバイトもしているというわけだ。
しかし、引越しをして親と別居して住むということになったら、当然もう、無償で親の仕事を手伝うことはできない。手伝いを継続するのであれば、しっかりと “仕事” として給与を発生させてもらわないと、こちらとしても生きていけない。もし給与支払いをしないということなのであれば、仕事を増やさないといけないので、もうお手伝いはできませんという話になる。
ちなみに、親が給与を支払ってくれるのであれば、収入は10万ほど跳ね上がるので、こちらとしても生活するための最低ラインをクリアして、少し余裕をもてるくらいになるという時日もある。ただ、そこで親とお金の縁が切れないと、いつまでもこの支配の関係性が続いてしまうことを懸念しているところはある。
なんにせよ、親と話してみないことには、向こうの出方がわからないので、次にどう動けばいいのか決めかねるというのが現状だ。
そんなこんなで、かなり精神的には追い詰められているし、切羽詰まっている。
そんな状態であるけれど、パートナーは、物理的にも精神的にも不在なのだ。それが、わたしを苦しめている。
相手は、仕事がとても忙しい。本当に忙しい。20連勤とかしてたりする。夜勤からの日勤からの夜勤なんてことをやってたりもする。もはや、大丈夫?を通り越して、バカなのかな?と思ってしまうことすらあるんだけれど、それくらい仕事人間であることもわかっているし、応援してあげたいという気持ちもある。そこまで頑張れることは、素直にすごいとも思う。ただ、彼には仕事以外のところに心や時間をかけられるような余裕がない。
彼も鬱っぽくなることがあるらしい。脳みそが溶けてしまうような体感を感じることもあるそうだ。そんなときにわたしのパニックやつらいことが重なっても、「寄り添いたい」という気持ちがあったとしても、できない。それは、痛いほどわかる。わたしも経験しているから、わかる。わかってはいるんだけど、わたしは今、この関係性の中で一番といっても過言でないほどに、彼のサポートを必要としている。
この状態にあって、「一緒に住もう」といった言葉がないのも、相手の事情も重々理解はできるけれど、やはりつらいものがある。物理的なサポートができないのだとしても、精神的なサポートや寄り添いがあれば、まだ頑張れる。だけど、相手にそれをするキャパがない。キャパだけの問題ではなくて、そもそも彼は共感性をもって寄り添うということが苦手なタイプの人間だ。恋愛の傾向でいえば、回避型に当てはまるのかもしれない。
それでも、一緒にいるときには愛情をたくさん与えてくれるし、愛情表現もしてくれるようになった。2人で一緒にいるときは、さみしさや苦しさを感じることはほとんどない。けれど、そもそも2人で一緒にいる時間がほとんどない。
彼も休みを返上して、月に数回は、わたしの子どもに会う時間を確保してくれてもいる。そこは、すごく頑張ってくれているのだと思う。それは彼なりにわたしたちを大切にしてくれている証拠であることもわかっている。わかっているんだ。
でも、、、と、わたしの心は言う。足りない。
ごめん。わかってる。大変なのは、わかってる。でも、わたしも今、すごくキツい。すごくすごく、キツい。怖い。不安もある。精神的にもギリギリだ。
パニックの発作を起こしてしまったり、体調を崩してしまって助けが必要なとき、わたしが頼るのはパートナーではなくて友人たちだ。一応、彼に連絡をしておきはするけれど、多分電話は繋がらないだろうし、つながったとしても来てくれないだろうこともわかっている。だから、そこに関しては、彼を頼りにはしていない。できない。
じゃあ、付き合っている意味ってあるの?って思ってしまう。わたしたちが付き合っている意味って、なに?
友人たちには、「もう手放したら?」と言われる。それもわかっている。でも、ここで諦めてしまいたくないと思う自分もいる。別れたら、もしかしたらもっと幸せになる出会いがあるのかもしれない。でも、まだ、別れに踏み出すことがでない。「別れを決断する判断基準」がどこにあるのか、もはやわからない。
頑張って、すりあわせていって、解決・改善することなのかも、もはやよくわからない。
相手には、話し合いをしようとする意思はある。できる範囲でわたしの求めていることを提供しようとしたり、改善しようとする意思は見える。小さな変化も見える。でも、彼のキャパシティ的に、限界があることもわかる。わたしも同様に、相手のスタンスに合わせていこうとする意思はあるし、そこでの小さな変化は続けている。お互いに、その意思はある。ただ、お互いに余裕がたりない。キャパが、圧倒的に、たりない。双方に。
それが、悔しいと思う。わたしが実家を出て、精神的に少しでも楽になったら、もしかしたら改善することもあるのかもしれないという期待を捨てられない。でも、期待をして、それで変化がなかったら?と考えてみたときに、それに耐えられるかわからない。
これが、いわゆる潮時というものなのだろうか。
明らかに、わたしは彼に対して「家族」を求めている。法的に結婚していなくとも、わたしは彼に対して夫や、子どもにとっての父親の役割を求めている。それを彼が満たすことができないのであれば、もう、手放すしかないんだろうか。
結局、ぐるぐる考えても答えは出ない。
彼とのこと。そして親とのこと。
同時進行で2つを処理するキャパシティが、今の自分にはない。
苦しいなぁと思う。
答えが出ないから、余計に苦しい。
なんとか答えを出そうとするけれど、やはり答えは出てこなくて。そういうときは、一旦答えを出そうとすることを諦めたほうがいいのだろうか。
考えても答えが出ないということは、今は答えを出すタイミングじゃないのかもしれない。
でも、答えを出して、楽になりたい。
そんなところにいる。
大きな潮目にいるんだなと思う。変化のときだ。
大きな変化や成長のときは、苦しかったり、怖かったり、痛かったりする。でも、そこを超えたら、あたらしい世界が広がっているのであろうこともわかる。
今はただ、その先の未来を見据えて、目の前のことをひとつひとつ、やっていくしかないのかもしれない。
そんなことを、思ってある。
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