mutsumi etsu
三つの誤り ファンとして「どんな新しい物語が始まるのだろうか」と自盛り上がりしてエピソード7を観た時に、これはないだろうよと怒り狂って自ブチ切れた、新しい物語における三つの誤りをまず指摘したい。ここでいう誤りとは、私が期待していたものではなかったと同義である。 1. R2D2の不在による歴史的継続の欠落 人類が100年後の2124年には、AIが保持している100年前の我々の記憶についてどのように取り扱っているだろうか?そこにはドロイドの倫理と人間の歴史へのAIの介入と
StandFMをお聞きいただいた皆さまへ! 追加の資料です。ご興味がありましたらぜひご覧くださいね。 神殿伝説と黄金伝説 シュタイナー秘教講義より R.シュタイナー 訳/高橋巌・笠井久子・竹腰郁子https://www.kousho.co.jp/np/isbn/978433605984 目次 Ⅰ 五旬祭――人間の霊を解放するための祝祭 カインとアベルの対立 ドルイド僧とドロット僧の秘儀 プロメテウス伝説 薔薇十字会の秘儀 マニ教 霊学の観点から見たフリーメーソンの本質と
徒然なるままに。あのですよ。日本語で共同体っていうのをドイツ語にするとゲマインシャフト- Gemeinschaftとなるのですが、共同体をフランス語にすると コミュナティ-Communautéで、英語だったら コミュニティ- Communityで、スペイン語だったらコムニダッド-Comunidadで、イタリア語だったらコムニータ-Comunitàで、ポルトガル語だったらコムニダージ-Comunidade、オランダ語だっらゲメインシャップ-Gemeenschapだそうです。ド
徒然なるままに書いているので、小見出しはつけなくてもいいかなと思う。なんかもう、線状降水帯とかで豪雨が降っては猛暑が繰り返すみたいな、九州全土はサウナですみたいな息苦しい暑い日が続いてて、ああ夏は暑いからな〜って、ぽや〜んって生きていたところ、8月18日のアウラズームミーティングで、あおひこさんがシュタイナーの経済学講座(前半)をまとめて導入篇として話してくれたことが改めて地域通貨について考え直すきっかけとなった。いや、ぽや〜んってしてたところからいっきにすごく考える、いや
今年、2023年の6月22日に雷と暴風によってゲーテアヌムにある菩提樹(リンデンバウム)が倒れたそうだ。 6月28日に開催されたゲーテアヌム農業部門の共同代表であるジャン=ミッシェル・フロランさんとの対話の録画を見ていたら、冒頭で入間カイさんとジャンさんがシュタイナーが生きていた当時からあったリンデンバウムが倒れたという話をされていて、リンデンバウムってどんな木だっけな?と思いながら、違う木を色々思い出していた。 槐、欅、楠… など記憶の中の樹木はどれもリンデンバウ
今朝の食卓には、疲れた夜勤の中、サニーで買った豆乳のヨーグルトとグレープフルーツジュースと輝くブドウパンが並んでいた。オーブンから広がる輝きに、私の心も温かくなってゆく。しかし、グレープフルーツの原材料を確認した瞬間、私の心は氷のように冷たくなった。トロピカーナのグレープフルーツの産地といえば、いつからカリフォルニアからイスラエルへ変わってしまったのだろうか。気が付かなかった自分に悔しさが込み上げる。そして、これまでたくさんの棚に並べられていたグレープフルーツジュースが、もう
ナイトロコールドブリューコーヒーっていうのは泡がまことにクリーミーでうまい。あと13分で閉店。 六本松のスタバに行ったのだが、座ってコーヒーを飲んですぐ出なきゃいけなかった。気を取り直して。ビールの泡をクリーミーにするためにも窒素が充填されているそうだ。Nitrogen=窒素が液状になれば、非常に冷たくて沸騰している。沸点は−196℃。直接触るには危険なほど冷たい。しかも他の物質とは混ざりにくいという性質がある。冷食などに利用されている窒素によって鮮度を保ってカチカチに
10年くらい前に知人の友人のやっている英会話教室に通ったことがあって、先生はカナダ人でミュージシャンだった。「このあいだ福岡に友人が遊びに来た時に空港で、ファックユーオケイでいいところだなと言ったんだははは。」って言った日以来、なんだか全てが嫌になってその英会話教室を辞めた。糸島はファックユーオケイな福岡 FUK U OK A にある。 立石山は糸島の芥屋海岸のすぐそばにあって、花崗閃緑岩の岩肌には水晶が埋まっている。うっすらと桃色がかった岩は花崗岩のような気もするが
件の話しかけようとした人物は、私とは似ても似つかない姿だった。フードを深く被っていたので顔全体がはっきりと見えたわけではなかった。しかし、私の方を見返すその眼は厳しく、どれほどの悩みと思索の間を往来して生きてきたのであろう、年齢を重ねたその顔には人生の深淵を覗き込んだ者だけがもつ深い皺が幾重にもくっきりと描かれていた。 ああなんて顔なんだろう。こんな顔に自分はなれるのだろうか。今でもその顔を思い出すとそう思う。その当時の鏡に映る自分の顔は幼くて凡庸で、ただあるがままに若