noteでエッセイ~ライター20年~
来年で、ライターとして仕事を始めて20年になる。
現在、49才。信長なら、2年くらい前に「人生50年~」と歌っていた年頃だ。(数えで49才だったそうなので、実際はもっと若いでしょう。)
偉人に比べると、なんて、生活も業績ものんびりした人生なんだろう。
とはいえ、20年も同じ仕事をしてきた身としては、ちょっとお祝いでもしてみたくなる。
おいしいものを食べるか、温泉に行くか。
思い浮かぶお祝いの仕方は、ほんとうに、天からみれば些細なもので、無意味なものだろう。
私がライターとして仕事を始めたのは、30才のときだ。
「文章修行は30までにしておくこと」という誰かの言葉を信じて、29才までは小説修業をしていた。30才の誕生日から、にわかに就職活動を再開し、けっきょくライターに落ち着いた。
ライターではあるが、ライターと名刺に書くようになったのは、19年前である。それまでは、教育系原稿執筆者としか、自分の職業を説明する言葉がなかった。たまたま、取引先様が私宛のメールに「ライターさん」とお描きになったのがきっかけで、じゃあ、ライターで、ということになった。ライターのほうが、文字数も画数も少なく、職業としては人に覚えてもらいやすくていい。
今でも、問題集などの執筆がメインなので、教育系原稿執筆者なのだが、この仕事は秘密が多いので、ライターと名乗っていたほうがいろんな書き手の中にまぎれることができていいかな、とも思う。
50才が近づいてきて、ふと、人生を振り返ることがある。
小説修業をしていたくらいだから、小説家一本で生活していきたかったのだが、そうはならなかった。まあでも、今は、一時やめていた小説を再び書けるようになっているのだから、よい状態だ。小説を書くのはともかく楽しいし、いろんなことがあったときに、「小説のネタになるのでは」と真剣に向き合える。
小説に限らず、私は文章を書くことが好きだ。
小説家で生活できなくても、文章を書いてそれなりに過ごせているのだからいいのではないか。ライターの仕事も楽しい。
それに、ライターをしていると、原稿をほめてもらえることがある。その度に、「いやいや、いつも通りに書いているだけですが、でも、ありがたや」と照れているのだが、ほめ言葉は達成感を強めてくれるし、単純に好きだ。ほめてもらえると、次、急な、あるいは複雑な仕事を振られても、つい、受けてしまう。(私はチョロい。)
書いた原稿も、編集プロダクションの人や、校正さんの手を経るので、「このまま印刷されるのでは」という震え怯えがなくていい。提出前のチェックをするが、誤字、脱字の類いでもし見落としがあっても、まだまだチェックしてくれる人がいる、と思うと、内容の吟味に意識を集中できる。
内容面でも、校正さんたちの力を信じている。実際、校正さんの手を経た原稿を見たことがあるが、書き込みの内容にかなりの知識と訓練された論理的思考を感じた。書き込みを読む私のほうが勉強になる。
こういう方たちが見るので、私が気づかないところで独りよがりの内容を書いてしまっても、心配はない。もちろん、私も勉強している。でも、一人で原稿の全てに責任を負うというよりは、チームで原稿を作り上げていくほうが安全性が高い。
私が原稿を書き、いろんな人の手を経て修正されて、お客様のところに届く紙面は、いいものになっているのだ。
ライターは、文章を仕事にするには、よい職業だと思う。家事育児もある中で、うまく続けていける仕事を見つけたものだ。
大学院時代に、ライティングの仕事をくださった先生に感謝である。あれがなければ、30才で就職活動するときに、原稿執筆の仕事に目を向けただろうか。小説以外にも文章を書く仕事があることに気づき、すばやくアクセスできただろうか。自信がない。
さて、20年。
来年は何をしようかな。
今から楽しみである。
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