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直江兼続の兜

2017年の大河ドラマ「真田丸」を観ています。

そこに登場する直江兼続。とにかくものすごいイケメンボイス。。。そして、すごく冷静で、時々おちゃめ♪ 

直江兼続といえば、当時の武将としては珍しく、側室を持たず、生涯、正室のお船(おせん)の方だけをパートナーとして愛し続けました。そんな深い愛から、兜に「愛」という文字をしつらえたのかと思っていましたが、全く違いました!

直江兼続の兜の「愛」は、米沢にある愛宕神社まで戦勝祈願に行ったことが由来なんだそうです。愛宕神社の愛、だったんですね。

愛宕神社といえば・・・。明智光秀が本能寺の変を起こす直前に行き、くじ引きをしたら「凶」が出て、吉が出るまで何度もくじを引いた・・・というエピソードを思い出したのですが、明智光秀が行ったのは、京都にある、愛宕神社の総本社。愛宕神社というのは全国に900ほどあるということで、その一つが米沢の愛宕神社なんですね。

ところで。戦国時代の「愛」と、現代の「愛」では、意味合いが違ってくるようです。そもそも、「愛」に「LOVE」という意味を持たせたのは、明治以降のことだったと言われています。聖書を翻訳する上で、「LOVE」という概念に「愛」という字をあてたことが始まりなんだそうです。

ちなみに明治以前、「愛」という字はあまり良い意味で使われていませんでした。どちらかといえば「執着」のような意味で使われていたそうです。このことから考えても、直江兼続の兜についている「愛」は、「正室一筋」という意味で付けていたわけではない、と言えそうですね。

直江兼続は生涯、義を貫いて、上杉景勝に仕えた武将です。最も有名なのはやはり、家康を怒らせて、関ヶ原の戦いのきっかけになった会津征伐を決意させたと言われる手紙、「直江状」ですね。これは長くなりそうなので、次回また・・・。

そして、その関ヶ原の戦いで西軍に味方した上杉家は、東軍の家康が勝利した後、窮地に立たされます。責任を感じた直江兼続は自害を考えたのですが、盟友の前田慶次に説得されて生き抜いていきました。

大河ドラマ「麒麟がくる」を観ていた時、名古屋おもてなし武将隊の前田慶次さんの解説動画をよく観ていたんです。その前田慶次と直江兼続は盟友だったのか~となんだか、「世間は狭いな」的な感覚になりました。

続く

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