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誤解されない言葉の書き方
「発信できる場所が増えた」
ここ数年、本当にそう感じる。TwitterやInstagramやnoteもそう。他にもいろいろなところで、誰もがと言っても過言じゃないほど可能になった。その一方で、
「発信するのがためらわれる」
そう感じている人も少なくない気がする。理由はそれぞれだろうけど、中には「発信するとすぐ反論や批判が飛んでくるから」と感じている人もいると思う。たしかにそういう場面を散見するし、私もいつそうなるか分からないから他人事じゃないなと最近特に思う。
だからこそ、あくまで個人的にだけど、普段から言葉には異常なほど気を配っているつもりでいる。文法的に正しいかどうかじゃなくて、
届き方的に柔らかいかどうか。
以前、noteでは何度も「エトナシ流の言葉遣い」について執筆してきた。
例えば、上記のような記事を。
そこでも書いている通り、決して「みんなもこうしなきゃね」などと煽りたいわけじゃないし、強制もしない。あくまで私はこういうスタンスだと、私の表現場所を使って、私なりに書いているだけ。
「この通りにしない人を否定している!」と勘違いはしないように、どうかどうかお願いしたい。
相変わらず念をこれでもかと押した上で、タイトルの話になるんだけど。実際どういう場面でどう書いているのか気になるという声もあったから、今回は深掘りエッセイの有料な内容だけど、あえて雑記として
より具体的な例
を少し挙げさせてもらえたらと思っている。しつこいけど「この人はこうなんだな」程度で捉えられる人だけ読み進めてください。真似してね――といった意味合いは一切ないと釘を10000本ほど刺して、参ります。
01.言葉のクッション
こういう表現をしている人はダメだと否定もしないし、その人なりのやり方があるのを尊重しているのは分かっていただくとして。
先ほど紹介した記事にあるように、やはり
前提やフォローや説明を省略する
は、気軽に投稿できる場所では超危険な気がしている。
例えば、
・「世の中には〇〇みたいにしてくれる人はいない」
こういった内容を書いてそれが多くの人の目に留まると、どうしても「いやいるんだけど」といった反論を生みやすいと私は思う。それは、断定文「だけ」を発信しているから。
前提として「そうじゃない人もいるだろうけど」「私が感じる範囲での話だけど」といったフォロー文があれば、受け取る側の印象もだいぶ変わるんじゃないかと。
・「こんな性格の人は〇〇だ」
性格を箇条書きなどしてこれ「だけ」を発信すると、やはり「自分は違うんだけど」と角を立てやすいと私は思う。断定であり決めつけだと捉えられかねないから。
だから「全員が全員じゃないけど」「そういう傾向があるように個人的に感じる」といった前提文が添えられていれば、受け手はくくられた気がしなくて流しやすいだろう。当然ながら、これも絶対とは言えないけど。
・「"これ"ができない人は育ちが悪い」
「これ」の中身は、お箸の持ち方だったりその他いろいろあるけど、この文章も決めつけに思えて「育ちのよしあしを勝手に決められるの腹が立つ」などの反発を覚えやすいと私は思う。
この場合は、育ちが悪いという字面も表現もカチンとさせやすい気がするから「これができたほうがこういう面でも便利な気がする」と言い換えたり「あくまでも私はだけど、これができない人とは合わないかな」とあくまで個人的な感覚だと強調したりすれば、喧嘩を売ったような感じを持たれづらいんじゃないかと。
・「女は〇〇だ、男は〇〇だ」
こういった性別でくくった物言いもまた、対立を煽りやすいと私は思う。実際に性差別だとか対立している場面をよく見かける。私調べで一番多いような気もしている。
これに関しては、語尾を「そういう傾向が強いように思う」「自分が出会った人はそうだった」「全員じゃないと理解してるけど」といった具合に、代表的に言うのではなく個人的な話だよのニュアンスを含めれば、強さは和らぐんじゃないかと私自身は考えている。
あくまでも個人的には、だ。
攻撃的な言葉や強い言葉を使う時が、私自身だってなくはない。命に係わるテーマなどでは、普段の私を知っている人が驚くほどだ。ただ、そういう時にも「前提やフォロー」は欠かさないつもりでいる。それは言わば、
言葉のクッション
というやつだ。硬くて強い言葉の上に直で座れば、そりゃ心が痛くなる。じんじんしてくる。でも、クッションがあれば座りやすい。つまりは受け取りやすいわけだ。
あなたが強い言葉を投げるピッチャーなら、受け取るのは素手のキャッチャー。ならば「受け取りやすい速度に落とす」か「球を柔らかくするか」なんじゃないかな――と、エトナシサラ個人は思っている。
例えがクッションじゃなくて球になってもうたけど。
02.「したくてもできないかも」がコツ
続いて、強くない言葉の場合。
付け加えておくけど、これから紹介する言葉たちを「悪い言葉」とは思わないでほしい。それを使う事もあるし、使ったとて別にダメなわけじゃない。むしろ素敵だとさえ思う。何度も何度も何度も何度も言うけど
私はこう変えて言っている
という一例にすぎないから。
・「頑張らないで」
よく聞く。よく使う人も多いと思う。とてもとても優しい言葉で「これの一体どこをお前は変えてんだ?」と疑問かもしれない。でも、よく考えてみてほしい。そう言われても頑張らなきゃいけない人もいるわけだ。そういう人の中に「無理だよ!」と思う人もいるかもしれない。
だからこそ「できる範囲で」「実際難しいかもしれないけど」といった言葉を、基本的には足すようにしている。基本的にだから、強く言うべき例外もあるけど。
・「休みましょう」
なんと柔らかな響きだろう。これもまた、言わずもがな「この言葉を使ったらダメ」じゃない。言われて嬉しい人もいるだろうし。それを踏まえた上でだけど、現実的に「休めるなら苦労しないんだよ」と思う人もいるわけで。
そういう不満を不必要に買わないよう、私の勝手なアレンジながら「少しでも少しでも休めるといいな」「休みたくても休めないかもしれないけど」「休める時間がちょっとでもとれますように」と変えるようにしている。
こういったアレンジは他にもあって
・「無理しないでね」→
「無理しすぎないようにね」
・「こう考えてみよう」→
「こう考えるのもひとつかもしれないね。
なかなかできない時も多いから
ぜんぜん『無理に』じゃないけどね」
といった感じで無限にある。このようなアレンジのコツはシンプルで、
「したくてもできないのかも」
を常に念頭に置く事だ。それが頭にあれば、意識として根付いてくれば、それが言葉に宿って言い方も変わってくる。表現も足されてくる。
もちろん「合う合わない」があるから、このアレンジを全員にやって全員に通用するわけじゃない。だから基本的にそうしているのであって、判断は目の前の相手による――これが前提。
いつも相談などを受けたりして、心を相手にする機会が多い私が11年かけて自分なりに向き合って身につけたものの一部。だからといって、これが正解なわけでも到達点なわけでもない。道半ばも道半ば。まだまだ半端者だ。
「もっとこう言えば……」
そう苦悩する毎日だ。それでも、考える事はやめない。自分ができる範囲で、できる時にこつこつ「どうすれば角が立たないか」「あっちの視点から見るとムッとするかも」「この表現はあの方面からどう映るか」と
思考(試行)錯誤
を重ねながら、書いている今この瞬間も過ごしている。とか偉そうに言いながら、どうしても完璧じゃないのが歯がゆくて申し訳なさすぎて猛省するけど。
未熟で言葉足らずだった場面に相対していた人がいたら、本当にごめんなさい。
03.まとめ
今回もまた、これでもかと言うほど、私の「しつこい念押し」が炸裂したと思う。ただ、具体的な例を挙げたから、なるほどと得心がいった人もいると信じている。
先ほどから言っている「前提やフォロー」は、付け足しすぎると鬱陶しく思う人もいるかもしれないし、足し過ぎるのも良くないと考える人もいるかもしれない。それを否定するつもりもないし、素直に嫌だなと感じたなら申し訳ない。ごめんなさい。
その上で、私が一番強く思っているのは
「そういう人には言ってない」
のような台詞を極力後付けしたくない
という事を知っていてほしい。
言わんとする意味は分かる。ただ、また例えば「お箸の持ち方が一般的でない人は育ちが悪い」などの文言で場が荒れた後に言われたら「そういう人かどうかパッと見で判断できない案件やん」と私なら思うし。あるいは「太っている・痩せているのは不摂生だから」も同じ。
結構な場面で、前提やフォローを添えれば「『そういう人には言ってない』と後付けしなくて済む」と感じているから、私は丁寧に足している。どんな言葉もそうだけど「読解できていないから反発する」とは限らなくて。
「読解しているけど言葉が
攻撃的すぎて頷きたくない」
も多い気がしている。だからこそ、だからこそ、だからこそ。みんなそうしようじゃなく、真似しようねでもなく、あくまで私の場合はだけど、しつこいほど足して、誤解がないようにしているわけだ。
誤解がないように。
それはそうと、話はめちゃくちゃに変わるけど。書き終えて管理画面を見て気づいたんだけど、noteの記事数が
180
をこえていた。地道に続けてこの数。よくもまあ、ネタも尽きずに執筆してきたものだ。それもこれも、偏に、本当に偏に、いつもこうして読んでくれている
あなたのおかげ
だから。
「おめでとう私。ありがとうあなた」
そう言わせてほしい。
間違っても、盛大にお祝いをしてほしいとは思っていないから。思ったりしていないから。前提として言ったからな?間違って、めちゃくちゃ嬉しいお祝いやプレゼントをしてくれるなよ?(最も誤解を生むやつ)
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