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特別編:にゃんひー10周年!!

2013年9月8日――。

それは、IDも画風も今と全く違っていた猫のキャラクター「にゃんひー」が生まれた日。

当時の私は、心がうんと弱っていたと記憶している。原因をここで言うのは避けるけど、ストレスがものすごかった。

それもあって、他にも目的や思惑はあれど

「自分ならこう言われたい」
「こういう人もいると伝えたい」
「したくてもできないのも辛いんだ」

のような思いが多分に含まれて誕生した

私にとっての理想像

こそが、にゃんひーだった。

ひらがなだらけ

にゃんひーは幼い子供の設定上、Twitter(現X)においてカタカナや漢字は一切なく「ひらがな」で表現を統一している。

そのおかげなのか、あまりとげとげしく冷たい感じには受け取られにくく、むしろ柔らかい感覚を持ってもらいやすいらしく。いただく感想も優しいものばかりで、いつも本当に本当にありがたい。

ただただ感謝の恐悦至極。

驚くほどSNSが影響力を持つようになった昨今「つぶやきひとつで大きなトラブル」といった事も日常茶飯事。それは、読み手の誤読が理由だったり発し手のフォロー不足が理由だったりと様々で、とてもひとつには括れない。

ただ、そういう空間を自分自身が拠点にしている以上は

できるだけ理由を減らしたい

個人的には思っていて。

その点、ひらがな言葉一筋でやるのはうってつけだった。優しいニュアンスも伝わる形だし、内容がダークでネガティブでヘビーでも、いくらかふんわり感が保てるから。

大人には読みづらいのが欠点ではあるけど、そこもだからこそ

読み返し

の行為が意図を理解しやすくさせてくれる効果を発生させるようだし。まあ、代償というかなんというか

万人受けしないデメリット

は背負ってしまったけれど。

とはいえある

作者に絵心があるわけでもなく。ずば抜けた言語センスがあるわけでもなく。ネガティブな言葉も少なくなく。見飽きるくらい同じ言葉を再放送のように発信している、にゃんひー。

そんな、自己紹介すると良いところゼロとも受け取れて、いつまで経っても影響力がほとんどないに等しいインフルエンサないにゃんひーが

今日で丸10年

を迎えられたのは一体なぜか?

これはもう明白も明白。

「言葉が好きだから」や「居場所としているから」や「自分で自分を癒すため」などそれっぽいものは出てくるものの、結局は

見てくれている人のおかげ

でしかない。

こんな私にも――と言うと叱られるかもしれないけど、ありがたい事に

ファン(にゃんひーず)

も存在していてですね。私の言葉を懲りずに見まくってくれて、あまつさえ楽しみにしてくれている。そういう方のおかげおかげで、

「ああこんな言葉でも欲してくれてるんだな」

と満たされ、やめずに続けられてきた。

万人受けしないというハンデを背負ったとはいえ、自分宛のマッチポンプな言葉ばかりを発信しているとはいえ、鍵をつけたりしていない以上は「見て応援してもらえたら嬉しいな」といった

承認欲求

は、だいぶめちゃくちゃがっつりしっかりある私。

そんな隠しもしない煩悩まみれの風船を、皆さんが仏様のような優しさを持ってふーふー膨らませてくれたからこそ、浮かれ浮かんで10年選手にまでなれたんだろうなと思う。

「思う」じゃない、間違いない。

でもそれがいい

たかが10年されど10年。

その間には、私生活を含めていろいろな出来事があった。口が裂けても「平和平坦」とは言えないほど(少しイキって過去形にしたけど実は現在進行形)。

10年で見てくれている人も移ろったし、今や数年単位でずっとフォローしてくれている人もそう多くないかもしれない。事実、

・最初は見ていたけど自然に離れた人
・言葉が読みづらくてフォローを外した人
・考え方が苦手で見なくなった人
・同じ内容ばかりで飽きた人

などもかなりの数いた。

その一方で、

・数年ぶりに検索してフォローし直した人
・子供の頃から見ていて大人になった人
・やっぱりここがいいと戻ってきた人
・過去配布したアイコンなどを使い続けてくれる人
・長年ずっとガチで推してくれている人
・考え方に頷いて感想をたくさんくれる人

など、私に報告をくれたりもちらほら。

そういうのは、心が良い意味でむずかゆくなって温度が上がる。離れていたけど戻ってきたというのも嬉しいし、離れず居続けてくれているのも嬉しいし。

中でも多い報告や感想は、前にnoteでも語ったように

「相変わらずだから居るだけでなんか安心」

というもの。

SNS系で過ごした10年を振り返って分かったのは「ただここに居る」それだけで安心する人がいる事だった。|エトナシ サラ (note.com)

立ち位置10年間ずっと同じ&
似たような内容を10年間ずっと繰り返し

を「飽きた」と思う人もいるだろうけど、立ち位置が変わったり内容を変えたりする事で、自分だけ置いてけぼりな気持ちになる人も少なくない。

変わるのが悪いわけでは決してなくて、否定する意味も決してなくて、あくまでもそれを踏まえた上での"一方で"の話、

「この人は報われたんだな」
「幸せを掴んだんだな」
「ステージが上がったんだな」
「成功して遠くなったんだな」

のように、素晴らしいな・良かったなとは思いながらも

「それに比べて自分はどうせ……」

と落ち込んだり。あるいはね、本当は思いたくもないあんな事やこんな事が心に渦巻いて、もちろん絶対に表には出さないけど黒い感情がちらついたり。

何を隠そう私自身がそういった気持ちになりやすいからこそ、自分は特に変化をつけず相変わらずを貫いた空間作りをしていたいなと。

もっとも「変わったのに変わっていないフリ」ではなく「実際に私生活どん底にいて相変わらずなだけ」なんだけど――と、これは泣く所。

いや泣き所はともかく、この相変わらずっぷりが

「でもそれがいい」

に繋がっている人もいるようで、だからこそ私は相変わらずなの"も"悪くないなと考えるようになった(念を押すけど相変わらずでないのをダメとは思わないからこその"も"だからそこはご理解を)。

なんていうか、そうだな、変わらないのが1gでも安心材料になってくれるなら無理に変化を求めず相変わらずな野郎でいたいなと。

体が弱すぎるからそれまで活動し続けられるかは分からないけど、例えば15年・20年選手になっても

「まーた同じ事言ってるよこの人」

とか呆れられるくらい。

まとめ

10年間、にゃんひーはどれほどの想いを届けられてきたでしょう。

自分で自分を慰めるために始めた好き勝手な「ひらがな言葉を使う猫」は、はてさて何人の胸の最奥(さいおう)にお邪魔させてもらえたでしょう。

ただなんとなくかもしれない。イラストが気に入ったからかもしれない。下手すぎて逆に面白いからかもしれない。日常の癒しかもしれない。自分の現状と重ねてかもしれない。ひとりじゃないんだと感じたいからかもしれない。苦しくてもう無理って時のストッパーかもしれない。ここならって思える居場所かもしれない。

どんな気持ちであったとしても、見て読んでもらえているのが本当に本当に嬉しい限りです。幸せです。やばいです。まさに

「やってて良かったぜ」

です。

ここ一年ほどは特に体調が優れず、なんなら昨日も検査や治療を受けてダメージの残ったまま迎えた今日。はっきり言って、記事を公開できるとは思ってもみませんでした。

けれど、せっかくの節目ですから。

10年の間にいただいた応援や感想などへの「ありがとうございます」だけは、どうしてもどうしても伝えたいと思ったので。這いつくばりながらの失礼な姿勢ではありますが、ここまで執筆させていただきました。

今までにゃんひーを見てくれて、応援してくれて、ガチで推してくれて、本当に本当に本当に本当にありがとうございます。「ファンです」と言っていただけるたび「応援してます」と言っていただけるたび、涙が出てくるほどです。

どうかどうか、今後ともにゃんひーに変わらぬ愛情を注いであげてください。温かく見守ってあげてください。無理強いはしないので、好きな時に好きなだけ、ご自分のできる範囲で。

さあ。

全て「あなた」のおかげなのは前述の通りですが、大きな区切りを迎えた今だけは今だけは、少しだけ自分で自分を褒めさせてください。

そして、一緒にお祝いをしましょう。

にゃんひー10周年記念日おめでとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!


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エトナシ サラ
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