相手との距離を縮める言葉と怖さ
『相手との距離を縮めたいんだけど、どんな言葉で縮めればいいのか、どんなスピードで近づけばいいのか……』
歌の「わたがし」じゃないけど、このように悩んだ経験がある人、結構多いんじゃないかと思う。私自身も悩む時があるから、ぶっちゃけえらそうに語ったりはできない。どや顔して語ろうものなら、あらゆる角度から
「お前が言うな」
の声や空き缶や座布団が飛んできそうだ。カイジでのノーカン発言が大好きなあの班長状態になってしまう。
ただ、悩みの中で「個人的に見出している考え」や「抱いている感覚」といったものがあるのも事実。だから、身近な投げやすい物を握りしめる前によければ読んでみてほしい。
ちなみに、今回は以前リクエストを送ってもらったテーマから、私自身の視点と言葉で伝えさせてもらおうと思う。もちろん丁寧に真剣に。
01.失礼をしない事が第一
失礼をしないというのは、そう大層な話じゃない。
初対面だったり、仲が良いわけじゃない相手に対して「タメ口を使わない」とか。相手が好きなものを知った時に「否定しない」とか。相手が大切に思っているものの名前を「間違えない」とか、そういう部分。
インターネット上では、知らない人からのリプライがタメ口でも気にしない人もいるだろうし、それはそれで全然いいと思う。その人が不快に思わないなら、失礼にはあたらないわけだし。キャラクターが運営している場合も「親しみやすさがキャラの特徴」としている事が多いから、まあ届いて不快に思う"中の人"は少ないと思う。(口が悪い場合や冷やかしなどを除く)
とはいえ、そうでない人も当然いる。
だからこそ、相手がどのタイプか知り得ない場合は「ですますはきちんとつける」のが道理だと、私個人的には思っている。初対面でいきなり「よう」という感じで肩を組まれたら、そりゃあ警戒する。ていうか、私だったら「挨拶のクセがすごい」と感じるし、シンプルにこえー。
次に、否定しないについては、例えば相手が好きなアーティストを教えてもらって、自分が苦手だった時。「あー大っ嫌いなんだよね」と突っぱねたり。「あんなのが好きなんだ」と嫌味を言ったり。そういう、
「いやそれ言う必要ある?」
のような言葉を控える事。自分が好きなものを否定されて、良い気がする人はそうそういないだろうし。否定しなきゃ死ぬ病じゃない限り、否定しないのが結果的に「尊重してくれてるな」に繋がって、距離を縮める要素にもなったりすると思う。私はだけど。
その次の、相手が大切に思っているものの名前を間違えないのも、それと同じ感じかな。例えば、相手自身の名前はもちろん、相手が好きなアーティストの名前を知ったとして、それを次の話題で出す時に間違えないとか。また例えば、極端かもしれないけど相手がベースを練習しているとして「ギターやってるんだね」と間違えないとか。「別に不快じゃないよ?」と思う人もいるだろうけど、間違えないに越した事はない。
相手の大切なものを自分もきちんと尊重して大切に扱う。ちょっとした事かもしれないけど、積み重なると違ってくるのが、こういう所だと個人的には考えている。
相手を魅了する素敵な言葉を考える前に、喜びそうな事をして興味を持ってもらおうとする前に、第一に意識しておきたい。
しつこいけど「私は」の話。
02.「フォローを省かない」というコツ
ヤマアラシの寓話でもあるように、距離感は本当に難しい。
もちろん、感覚が合っている者同士であれば、極端に近づいてもウェルカム状態で「密着上等最強最高」になる場合もある。べたべたにくっつくくらいが丁度いい関係もまた、素敵だと思う。
ただ、やはりそうじゃない人もいて。その場合は、どうしてもヤマアラシ状態になりやすくなるわけだ。近づきすぎれば棘で痛く、離れすぎれば寒くて大変――というような。
では、どうすればいいのか。
距離感をどうにかしたいと思った時、私がいつもTwitterやnoteなどで書いている「前提を省略しない」「フォローを入れる」が物を言うのかもしれないなと思う。
距離感が分からないのは、つまるところ「どこまで心を開いていいのか」「どこまで心を開いてくれているのか」が分からないわけで。手探り手探りでいる状態。
手探りだけど縮めていきたいと思った時、やはり相手のほうへ歩み寄る流れは必要だろう。進まないと展開はないから。でも、いざ何か聞こうとしても「どう聞いていいか」「どこまで聞いていいか」と悩んでしまう。
だからこそ「フォローを入れる」だ。
キャッチコピーを考えているわけじゃないから、言葉はいくらでも足せる。相手に誤解させないように聞く事は不可能じゃない。(それができる・できないはあるだろうけど)
「明日の今くらいとか時間ありますか?」
とストレートに聞くのもいいけど、
「すごく楽しかったので、よければ明日の今くらいとかどうでしょう。難しい時はほんといいですからね。自分も時間が作れない時ってどうしたってありますから」
と丁寧にフォローを入れるとか。
「楽しかった」と次への誘いの理由を伝えて、ネガティブな意味合いじゃないと思ってもらう事。そして「自分もそういう時があるから」と、相手が断りやすい空気を作る事。さらに、"無理な時"じゃなく"難しい時"と表現して、拒否する場合の罪悪感を軽くさせる事。(これは○○が嫌いと言わずに○○が苦手と表現するのと似ている)
こうして丁寧にフォローを入れる癖をつけたら、意図を誤解させづらくなる。一朝一夕とはいかないけど、フォローをフォローをと親の仇の如く言っているのは、そういう理由でもある。
何度も何度も何度も言うけど「私はこう思っている」だけの話。違う人がいてもいいし、否定するつもりも、皮肉を言っているつもりも、争うつもりも何もありません。ただただ、個人の考え方です。私調べです。
03.距離を縮めるのも怖い
とはいっても。
縮める方法がなんとなく分かっても「縮めすぎるのが怖い」「縮めた後に壊れるのが怖い」と思ってしまう気持ち、人によってはあったりすると思う。まあ私自身そうなんだけど。
最初に言っておくと、歯がゆいかな悔しいかな、私はその怖さをなくす方法を知らない。魔法よろしく、ぱっと消せる方法があればどんなにいいだろう――と願っている側でもあるから。
言っておくけど「怖いから距離をとっていよう」と生きるのもひとつだし、それ自体が悪い事など何ひとつないと、私は思っている。いろいろな経験から、状況から、考えからそこに至った流れに対して、ダメだとする要素は一切ないし。
そこまでをきちんと踏まえて。その上でなので、以下にその生き方と決断を否定する意図も皮肉る企みもありません。どうか誤解しませんように。念を押しましたからね?
さて。
ここからは「縮めるのが怖いけど『離れていると寂しくて辛い』から困っている」という場合。そこだけにスポットを当てた話だ。
スポットをそこに当てた時に浮かぶ見解は「怖いなら無理せず距離をとっていればいい」だろうか?もちろん、それもひとつだろう。その上でだけど、私は逆で「他人事のような意味合いじゃなくてマジで、距離を縮めても(無理に縮めなくても)怖くない心地よい場所が見つかるといいな」だ。
「縮めるのが怖い」と「離れていると辛い」を天秤にかけて後者が重くなるのであれば、やはり距離をとるより縮めて過ごすほうがいいだろうと個人的には思うし。ただ「それができないから困っている」のも、紛れもなく事実で。かといって「諦めて距離とって生きるべし」と突き放すのも違うかなと私は思っていて。ただそれだと「じゃあどうするんだ?」という話でもあって。
だから、一緒に悩ませていてほしい。
怖さをなくす方法もどうすればいいかの答えもないけど。そんなエトナシという奴の身勝手な要望かもしれないけど。本当は「どうしようもない事は諦めろ」と着地させたほうが楽だったかもしれないけど。もしも迷惑じゃなければ、探させてほしい。チョッパーのキノコのようにすぐ持って来られる確証はないけど、何か見つけたらすぐにここで共有するから。
「これは自分の悩みでもあるから今後も探していきたいな」というのが、私の正直な気持ちだ。そうそうそうなんだよ、私も悩んでた所なんだよ――と。
04.まとめ
書き出したら思いのほか長くなってしまったな。
距離感に悩んでどうしようもなくなる時も、多いかもしれない。怖すぎてどうにも次の一歩が動けなくなる時も、多いかもしれない。あたたかくなりたいのに、あたたかくなれる場所が見つからない時も、多いかもしれない。
そんな時にこの文章を読み直したりして、少しでも「同じ悩みを抱えている人もいるんだ」と思えたらいいな。思えなくても全然ダメじゃないけど。「エトナシさんでも難しい問題なんだから早々答え出ないよなそりゃ」と、少しでも妙に納得できたらいいな。いや、これはちょっとえらそうだな。それこそ失礼か。
全力ごめんなさい。
でも、決して他人事だと思って適当に考えて執筆したわけじゃない事だけ、そこだけ伝わってくれたら嬉しい。いつもそうだけど。って、これもまたえらそうかな。
いやこれはいいか。
伝われ。