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本のデザインの作戦会議

さっきまで、これから出そうとしている本『すべてのことばが起こりますように』のデザインをやってくれる人がうちにきて、ああだこうだ、と色々話していた。

いざ本を自分で作るとなって、初めて気づくことがたくさんある。
文字の行間、余白の長さ、紙の厚さ、フォント、この表紙と最初のページの間の紙は何、「遊び」っていうのか、いや「見返し」? わからない、でも、これは文字が多すぎる一ページに、そうじゃなくてもっとゆるく、この本くらい? わたし、これは、いっぱいぎっしり書いて、あ、いやエンピツで描こうかな、次いつ打ち合わせする? 来週の火曜は? 水曜にしよっか、どう? 任せる。印刷所に明日電話してきいてみる。これ、いくらくらいすんだろ。何部する? 最初は百冊くらいにして、ゾウハン、増版であってる? 多分、あってる。でも、いや、大きな印刷所に依頼するならそこそこ刷らないとおれみたいな無名だと売れないし無謀かもしれないけど300部は刷るつもり、いやいけるっしょ。香港に八年いた。おれは神奈川に十八年。え、駅から近! チョコのお菓子。いけるいける。

本を作ると気づく、その「すごみ」
wordで書いて、PDFに書き出して、せいぜいA4用紙に印刷するのとは、ワケが違う、このモノとしての「すごみ」。おもしろさ、おもしろさ。

おもしろい! ワクワクする。

こう書くと、無邪気みたいでバカみたいだが、僕はカフェインがてんでダメだ。

 話はだんだんと軽くなり、泡のようなものになってしまった。しかし、緒方にとっては、その方が好かったのだ。重い話はごめんだ。
 叔父たちだって、しんにはそれぞれ何かを持っているのだ。それを出さずに何気なく話している。緒方としても、亡き母のためにその弟妹たちが集まり、何か賑かに話している、その風景を眺めるだけで十分だったのだ。それ以外の重いものは邪魔っけだ。

尾崎一雄 『暢気目鏡・虫のいろいろ』より「美しい墓地からの眺め」p.143




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