江藤健太郎

小説を書く・出す

江藤健太郎

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小説を書く・自分で出す

はじめまして、江藤です。 おれは、小説を書いています、それを自分で本にして出すことにしました。 何年も小説を書いていて、それを新人賞に応募し続けていました。『群像』とか『文藝』とかいわゆる純文学の文芸誌というやつ。応募して、半年くらいで落選を知り、悔しがり、それでハイオシマイとしてきました。 別に小説なんて、金はかかるけど自分で出しても何も問題がないのに、どこからか「賞をとってない本は出してはならない」という声がきこえてきて、自分で自分の本を出すことを考えることは何度も

    • 本出すあれこれ・印刷所・ISBNコード・組版とデザイン

       自分で書いた小説『すべてのことばが起こりますように』を、自分で本にして出そうとしている。今まで本を出したことはない。何もかも手探り。といって、ネットに情報は沢山ある。自分で本を出した人の話。が、だから何もかもが整えられているというほどでもない。肝心なことは、載ってない。肝心なことは、結局自分でやるしかない。何でもそうだ。  本を出すために、あれこれやっている。間違ってばかりだと思うが、それが間違いかどうかすら、よくわからない。 ◎印刷所について。  どこの印刷所に依頼す

      • 「誰か」、来る——土谷創太「穿孔性の動物」をめぐって

         土谷創太「穿孔性の動物」を読んだ。『道草だけどレボリューション』に収録されている。少し、色々書いてみる。  この小説は、読点(、)だけで書かれ得るのではないか。いや実際には文の切れ目で句点(。)が使われている。しかしわたしには全てが一つの文のように読めた。切れ目なく読点だけで繋がった長い一文。それはこの小説が「現在形」で書かれていることも関係しているかもしれない。小説における現在形は不安定だ。居心地が悪い。こうした批評めいた文やエッセイは現在形に違和感がないのに、小説とな

        • 本のデザイン・装丁についてのイメージ

          自分で書いた小説『すべてのことばが起こりますように』を、自分で出そうとしている。 それにあたって「こんなイメージ」と本をデザインしてくれる人に共有する資料をつくった。 いわゆる本の装丁だけでなく、絵画・映画・崖・海・魚と広げていく。 どこがどう反応するかわからない。だからどんどん出す。 出していくと、ふしぎとそれが小説に似ていく。 まだどうなるかわからないし、何もかもが未知だが、それがいい!

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          本のデザインの作戦会議

          さっきまで、これから出そうとしている本『すべてのことばが起こりますように』のデザインをやってくれる人がうちにきて、ああだこうだ、と色々話していた。 いざ本を自分で作るとなって、初めて気づくことがたくさんある。 文字の行間、余白の長さ、紙の厚さ、フォント、この表紙と最初のページの間の紙は何、「遊び」っていうのか、いや「見返し」? わからない、でも、これは文字が多すぎる一ページに、そうじゃなくてもっとゆるく、この本くらい? わたし、これは、いっぱいぎっしり書いて、あ、いやエンピ

          本のデザインの作戦会議