気付いたら幼少期からの反芻思考がなくなっていたはなし
幼い頃から日ごろ頭をよぎっていたこと、
私たち3人兄弟が海で溺れていたとしたら、お父さんは一番下の弟を助けるだろう、お母さんは真ん中の弟を助けるだろう、そして私は誰にも助けられず海の底まで沈んでしまうのかもしれない...
…。
弟の記事については、下記をご参照下さい⤵⤵
そんなことはない、親なんだから何があっても子供3人を助けるに決まっている!
そう言われることも百も承知だ。少々捻くれた、かつ、馬鹿げた妄想なことも分かっている。
だけれども、そんなことを幼い頃から考えては、泣いて泣いて、自分は愛されていないのだとか、自分はここにいなくても誰も困らないのだとか考えていた。
そのことを考えて泣いていたのか、悲しいことがあってそのことを考えてまた泣くのかというと、おそらく後者。
本気ではないけれども、でも少し本気で、2階の部屋から飛び降りたら、大けがくらいはして、親は私をもっと気にかけてくれるな、と2階にある自分の部屋から地面を覗き込んだことが、記憶では小学生の頃からあったのだ。
なんとなく蓋をしていた思い出だけれども、ちゃんと向き合ってみると、ちょっと異常な感覚であろう。
お母さんとお父さんの間で寝たかった幼少時代。
真ん中の弟が喚けば、彼が両親の間に寝ていた。幼い末っ子の弟が泣きはじめれば、彼が次に真ん中にいられる番だ。そして、健常者かつお姉さんである私は自分の部屋で寝るようにと促され、何度ベッドを涙で濡らして寝たことか。
その頃から、自分なんていなくとも、弟が二人いれば両親は良いのであろうという思考ができあがってしまったのだ。
両親はただ、私を早く自立させようとしていただけ。
煩い環境でなく、一人で寝られる静かな環境を敢えて作ってくれたのかもしれない。
嫌だったら子供なんだから私も喚いて叫んで甘えれば良かったのかもしれない。
ただ、それができなかったのだ。子供ながらに両親の大変さを感じていたからかもしれない。甘えられず、我慢に走ってしまったため、ゆがんだ思考ができあがってしまったのだ。
でも、最近、こんな考えをすることがピタッと止んだ。
私が体調を崩して、実家にお世話になることになって半年程過ぎた頃からだろう。
私が精神的に病み、休職をし、体調の悪さで夜中苦しくて涙が止まらなかったとき、母はいつも横で一緒に付き添ってくれた。母も隣で涙を流してくれた日もあった。そして、母も一時期不眠となってしまったのだ。
母は笑って私に言った。
「私の親友が亡くなった時も、おじいちゃん(母のお父さん)が亡くなった時も、弟が自閉症だと分かった時も、どんなに辛い時も不眠になんてならなかったのに、泣くことだって稀だったのに、あなたが夜中苦しそうに泣いている姿を見て、私は苦しくてしょうがなかった。昔から寝ればけろっと元気になる体質なのに、不眠になったなんて私自身が一番びっくりだわ」
それから、母だって父だって、私を本当に心配してくれた。
「Etoileの体調はどうか」と仕事から帰ってくると一目散に母に問う父。
気晴らしになれば、と何度もご飯やドライブに連れ出してくれた母。
「あなたが笑顔で体調がよさそうな時が本当に安心する」と伝えてくれた両親。
私は思った。この二人は、私のことを本当に心の底から守ってくれているし愛してくれているのだと。そして、自分が元気で幸せでいることが、何よりもの親孝行で、私の幸せが皆んなを幸せにする、と。
今まで同じように受けていたけれども、ちゃんと感じることのできていなかった両親の愛情が、私のゆがんでねじ曲がっていた辛い思考を止めてくれたのだ。これだけでも、体調を崩して良かったのかもしれない。病気は、そういう気づきを与えてくれた。
辛い経験こそ、新たな気づきや、本当に大切なものを教えてくれる。苦い日々を経て、人は成長できるもの。
気付いたら、苦い反芻思考がなくなっていたはなしでした。
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