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旅路と粕汁

酒蔵が忙しい季節、呼ばれては助っ人に入っていたことがある。先方は猫の手も借りたいわけで、仕事の都合がつく折には、酒蔵に入った。

酒造りには納豆が御法度である。蔵人が食べた納豆菌が入ってしまうと、蔵は壊れはじめる。実際につぶれた蔵もある。私はその頃、大好きな納豆をずっと断っていた。

その午後も酒蔵に呼ばれ、粕剥かすはぎを任された。仕込んだ酒は濾さなければならない。いわゆるしぼりである。濾布ろふと呼ばれるシートを幾重にも並べ、圧を掛けて濾す。そのシートに貼りついた酒粕を、二人一組で剥がす。

酒造りはいくつもの工程を経て酒になる。ほとんどは手作業でアナログである。粕剥ぎは地味な作業だが、剥がなければ明日の搾りはできない。搾れなければタンクが空かない。タンクが空かなければ仕込みができず…とさかのぼれば、蔵全体に影響が出る。

粕剥ぎを組んだのはM君だった。私よりも20近く年下で、遠い土地から来ている。口数が少なく、おとなしい。しかし、周りの指示や意見を聞き入れず、独自の判断で行動してしまう頑なさがあり、少なからず蔵人と軋轢を生んでいた。蔵人は総じて穏やかな人たちなのだが、彼らをもってしても匙を投げていた。

粕剥ぎはスクレーパーで酒粕を剥がし、下に据えたステンレス容器に落とし入れ、次のシートに移るという作業を何十枚も繰り返す。冷たい作業場で厚着をして、私とM君は酒粕を剥ぎ始めた。

彼と仕事をするのは初めてだった。二人きりなので私から話しかけた。ぽつぽつと彼が答える。海外旅行の話になった。彼はまとまった休みが取れると、アラスカやスペインに一人旅をしていた。その描写はいきいきとしていて、旅の歓びが手にとるように伝わってきた。アラスカの大自然とオーロラ。スペインには私も旅したことがあった。カスティーリャ、カタルーニャ、アンダルシア。ふたりには重なる街がいくつもあった。

酒粕を剥ぎながら、彼は私と似ていると思った。旅に出る理由を含めて、私にはわかるのだ。おそらく彼は子どもの頃、心に傷を負っている。それを表には出さず、心に閉じて生きてきた。私と同じく、転がる石のように。

しばらくして私は酒蔵の仕事を離れ、M君も消えるように去った。もう少しだけ話す時間があったなら、私は自分の半生を語り、彼の半生を聞いたかもしれない。そしてこう伝えたかった。

君が苦しいのは、君のせいではないと。


造る酒の量に比例して、酒粕は発生する。全国に酒蔵はあるのに、意外と酒粕は利用されておらず、粕汁も食されていない。酒粕を剥いでいた者としては、多くの人に冬の養生として味わってほしい。

私の母は、すり鉢に酒粕とお湯を入れて擦り、粕汁をつくった。土井勝の料理本にそう書いてあったからだと思う。器の内壁にもろもろが付かない極めて滑らかな粕汁で、到底まねできない。

米の収穫を迎える晩秋、蔵は動きはじめ、やがて新酒とともに酒粕が出回り始める。時を同じくして冬の野菜や魚も店頭に並ぶ。実に上手くできた冬のサイクルである。

私は塩鮭の切り落としを好む。カマやヒレの骨にまとわる脂は酒粕に合う。野菜は、里芋とカボチャ、そしてかぶ。酒粕を欲張らず控えめにして、とろけた野菜でポタージュ感を補う。カボチャはバターナッツという品種を好む。ハロウィンが終わると売れ残りが安くなる。

蕪は小蕪が良い。すが入らず、硬い繊維質もなく、肌がきめ細かい。葉と茎も刻んで入れる。ふくらみのある芳香が酒粕とともに口腔にひろがる。大根のほどよい苦みも捨てがたい。ほくほくとした乱切りのレンコンもいい。

粕汁は、あくまでも汁物として愉しみたい。シチュー感よりもスープ感。どうしても具材を入れすぎるので、椀のたたずまいを想像しながら、静かにゆっくりと、少なめにつくる。二杯目には餅を入れる。

酒粕を少しだけ残す。味噌と柚子胡椒を塗り、袋を巻いて輪ゴムでとめ、旅に出る。

水 800ml
里芋 2個
カボチャ(小) 1/4個
小蕪 2個
椎茸 2枚
塩鮭(甘口) 100g
酒粕(バラ) 80g
味噌 30g
粉末出汁 6g
柚子胡椒 少々


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