
さすらひ
クマさんこと篠原勝之は、ゲージツ家である。その風貌を見知っているのは、氏がバラエティー番組に出ていたからだろう。ゲージツ家を標榜する者がテレビに身を晒すことを快くは思っていなかったのだが、氏の著作に触れてから認識を改めた。
自伝的小説集『蔓草のコクピット』『骨風』『戯れの魔王』(いずれも文藝春秋)を読んだ。
その日も背もたれの上に剃り残しのある太い首が後ろに折れ曲がっていた。オレと酔っぱらった父親のほかに部屋には誰もいなかった。鳥肌だった無防備な喉仏の下が野ネズミでも入っているように時どき上下に動く。オレは咄嗟に自分のベルトに手を掛けていた。野ネズミの辺りに引っ掛けて、一気に全体重をかけて背もたれの裏側にぶら下がりさえすれば、自分を取り戻すことが出来ると思い詰めていた。生唾をのんだ。
(『骨風』所収)
室蘭に生まれ、満洲から復員した父親から慢性的な暴力を受け続けた。17歳、家出をして列車に乗り、青函連絡船に乗り、上野に降り立った。美術学校を辞め、勤め先を辞め、二度とサラリーマンに戻らないという決意のもとに頭を剃り、妻子と別れた。蔓草が侵食する三畳に暮らし、肉体労働の傍ら自費出版の絵本や挿絵を描いた。
呑み屋で状況劇場の唐十郎と出会い、ポスター制作を依頼される。歯車がカチンと噛むように動きはじめる。
貧困に喘ぎながら新宿で呑み、多彩な知己を得る。嵐山光三郎、南伸坊、不破万作、小林薫(このふたりは『深夜食堂』)、麿赤児、若松孝二。深沢七郎のラブミー農場に出入りし、色川武大と会う。『楢山節考』と『麻雀放浪記』。このふたりに親交があったとは味わい深い。
既存の芸術や文壇に抗う異端たち。氏は口車に乗せられてエッセイを書き、テレビに出演する。『笑っていいとも』の木曜日に3分間だけタモリと喋り、5万円を受け取ってアルタを後にする。ビルの解体現場に導かれるように迷い込む。
ヘルメットにサングラスの男等がバーナーでビルを解体しているのだ。バーナーの先から吹きだす鋭いナイフの刃のような青い炎を自在にあやつって、幾本も突き出した墓標のような太いH型鉄骨を、羊羹のように切り、飴のように曲げる。青い空気の中、〈スクラップ アンド ビルド〉の無数の火花が降っていた。
物凄い火の雨になった。オレはピッタリと壁に貼り付き気配を消して、降り続く火を見詰めていた。
(中略)
頭蓋内に火炎が燃え上がった。ゲージツの予感は火だったのだ。
こうしてる場合ではない。青いビニールの空間から出たのだが、目の前に何も見えない。裸眼で強い火炎を長時間見詰めていたから、目玉が焼けてしまったのだ。
慎重にしかも何だか急かされているように歩いていた。まずは溶接機を手に入れることだ。どこで買えばいいのか見当もつかないまま、タモトの五万円を握りしめていた。唐突だった。
(『蔓草のコクピット』所収)
奇跡から十歩も行かないうちに、金物屋の店先に溶接機を見つけ、五万円を四万三千五百円に値切り、ぶら下げてあばら家に帰り、その日のうちに自転車を解体し、ブレーカーを何度も落としながら、眼を潰しながら、鉄の犬をつくり上げた。何もいいことがなかった鉄の街、室蘭を出奔し、鉄に再会したのだった。テレビに別れを告げ、山梨の奥深くに工房を構えた。
氏は、何度も何度も17歳の家出の場面を書いている。それだけ人生における分岐点であり象徴だった。私が『骨風』を初めて読んだのは、父が亡くなった直後だった。図書館の奥深くにあった。私と重なるところが多分にあった。氏は家出から35年ぶりに母からの電話を受け、死に逝く父と面会する。小指を落としたヤクザな弟、そして母の死も書いている。
文章に衒いがなく、正直である。現在と過去をなめらかに行き来する。そこはかとないやさしさがある。
オレを目の敵にする父親から逃げたい思いをどうすることも出来ないでいた。無気力な日々を過ごす自分に嫌気がさして絶望に追いやられた先は、地球岬の断崖絶壁だった。陽はまだ高く、遥か遠くの水平線に地球の丸味を眺めていた。
(中略)
萎え切って小刻みに震える足腰をなんとか奮い立たせ、四つん這いで雑草を掴んで斜面を登った。此処から離れて、少しでも遠くへ逃げるんだ……。それは初めてオレに芽生えた強い意志だった。絶望から恐怖をとり戻したオレは、やっと泣き声をあげて這いつくばっていた。オレは泣き虫だったが、これほど大声で泣いたこともなかった。
(中略)
『このまま此処に居たら今まで通りの絶望だけだ』
絶望の先は、あの真っ白い巨大な牙の餌食になって何も残らない。しかし恐怖するのは生き延びようとする始原の力だ。
(『戯れの魔王』所収)
そう、絶望から恐怖をとり戻した時、まだ生きている自分を知るのだった。氏は南へ逃げ、私は北へ逃げた。
場末の角打ちで、あなたと一献傾けたい。