エプロンメモ
子どもだった頃、母の宗教的理由でクリスマスを祝ったことはなかった。強権的な父への忖度か妥協か、室内に小さなクリスマスツリーを見たような記憶がある。
誕生日も祝ってはならない。小学校低学年の頃、同級生が突然家にやってきて、私に誕生日プレゼントをくれた。母は紅茶とお菓子を出してもてなしたが、友だちが帰るなりこっぴどく怒られた。
お祭りもだめ。正月は父への忖度でおせちをつくるが、「あけましておめでとうございます」と言ってはならない。乾杯もしてはならない。悪魔祓いの意味があるからだった。
歌謡曲、お笑い、ドラマ、マンガ、アニメ、ゲーム。何もかも禁止で、同級生のなかで私だけアーミッシュのような暮らしを送っていた。とにかく情報がないので、新聞を1面から社会面まで順番に、隈なく読んだ。
母は『暮らしの手帖』を購読していた。数少ない許される雑誌だったのだろう。「エプロンメモ」というコーナーがあり、家事や生活についてのひと工夫が載っていた。私はそれを見つけては、台所に立つ母に読み聞かせた。
ワインはブドー酒、バターはバタ、スパゲッティはスパゲチ。高度経済成長とともに欧米のおしゃれな文化が浸透していく時代に、『暮しの手帖』は始まった。
あらためて読むと、良妻賢母であろうとする、そうあらねばならないという時代の空気、どこか素朴で牧歌的な、少しだけ背伸びして生きた時代へのいとおしさが滲む。
ふわっと、紅茶の香りが蘇る。黄色に赤の、リプトンのティーバッグ。トワイニングは贈答品として貰ったものだろう。洒落た缶は大きさもちょうどよく、小物を整理するのに重宝した。
ひとり暮らしを始め、14インチのテレビを買い、19歳の青年は「トムとジェリー」を延々と、飽きもせずに観ていた。テレビをインストールするように。
突然電気が消えて、誕生日のケーキが運ばれてくる。みんなが歌っている。私はろうそくの火を吹き消す。ありがとうと感謝しながら、慣れない気まずさが残る。
2、30年前に比べて、クリスマスソングやイルミネーションの狂騒は落ち着いたように感じる。それでもクリスマスはやってくる。華やぐ街や人と行き交いながら、私のこころは鎮まっている。
それでいい。
懸命に生きていたし、今も生きている。