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楽しいミニマム生活

私は50代。
ミニマムな生活を楽しんでます。
昔は人並みに欲しいものがいろいろあって、まぁ普通に物欲にまみれた生活をしていたように思います。
しかし今はミニマム。
自分でもなんでこんな感じになっちゃったんだろう。
家族もミニマム、持ち物もミニマム、生活範囲も結構ミニマム。これがなかなか居心地よい。
そこそこ安心して住むところと移動手段が確保できていて、まぁ食べるのに困らない収入がある。異性とのお付き合い(結婚も含む)もそれなりに経験し子育ても経験した。
お金がいろいろな価値やサービスとの引換券であるのならば、自分の欲の総量以上は必要ないといえますね。年収800万円以上はあまり幸福感の上昇に影響しないというのもそのあたりからなのでしょう。

ゲームには参加費が必要!?

でも、ミニマム生活をしていながら、やっぱりお金が必要だ! と思う今日この頃なのです。
なぜかといえば、それはやはり事業や投資をするならば、ある程度まとまったお金がないと困難だから。
自分が生活している、この日本社会でこのまま退職まで雇われ人として生きて、前の世代のように退職金と年金を受給しながらボチボチと生きていくのであれば、健康に留意して逃げ切り人生をイメージすればよいのでしょう。もちろん、それすらなかなかに厳しいのが今のジャパンですが・・・
しかし、どうもそれでは自分の人生、納得がいかないというか想いが残るというか。
やはり、この社会というフィールドで人生ゲームにもう一度参戦したいのですね。
そのための参加費にはやはりお金が必要です。

この世はバトルフィールド!?

面白いもので、それほど物欲がなくなっても、やっぱり欲ってものは残るんですね。
モノが欲しくなくなっても退屈と無刺激には耐えられない。そういう欲です。
アニメ「ソードアートオンライン」の世界の話ではないですが、最近つくづく思うのです。
結局、仕事や遊び、結婚、その他諸々、ゲームと何が違うんだろうって思うのです。生まれてこの方、数知れない選択を繰り返して人生が進んでいきます。前にも書きましたが、初期条件の違い(資質・才能・両親など)は確かにあります。
でも、自分の行為と選択の連続が人生を形づくり、当然ながら結果に違いが生じていく。ビジネス、投資、借金、結婚、離婚、どれも全部選択の結果生じる現象であり、どれも成功すれば良し、失敗すれば下手すりゃ死の世界です。
もちろん最近流行りのデスゲームもののように短期過激ではなく、その結果はゆっくりで、結論も幾分曖昧ではありますが、結局この世はゲームフィールドであり、その本質はデスゲームなのでしょう。
だからこそ、学歴社会や世襲社会のようにちょっとでも有利になる攻略法を国民みんなで探し求めるみたいな感じになっちゃうのでしょうね。

でもですね、なんでそんなに怖いのかと言うところを考えてみると、結局のところ死とか貧困みたいなものが怖いのだと思います。もちろん私もそうなんですが・・・
でも、死は避けられず先延ばししかできません。貧困は苦しく辛いでしょうが、仮に陥っても自分の技術である程度は乗り切れるようにも思います。
ま、私が福祉関係の人間なので社会制度に詳しいと言うこともありますが、最悪一人だけが生きていくならどうとでもなるって思ってます。
そこで必ず役立つのがミニマム生活。
あまり、物を持たず工夫をしながら生活をしていく。この技術が確立できれば、人生はかなり快適かつ安心になります。
私自身が今、日々実感しています。自分がこの生活を実現できているからこそ、投資やビジネスっていうゲームに挑戦する気になっているのだとも言えます。

さぁ!今月から仕込んでいる空き家の壁塗りが始まります。ボロボロの空き家をどれだけ安く再生して、安く貸し出し、幾分かの利益を上げつつも住居確保困難者に貢献する、そんなゲームです。

自らはミニマムに、とはいえ人生のゲームは大胆に楽しんでいきたいと思っています。

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