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「影に対して」

こんにちは。Natsuです。昨日は遠藤周作の「影に対して」を読みました。

きれいな表紙はハマスホイ。「母をめぐる物語」とあるように自伝的に母のことを書いている小説です。

ハードカバーの本を所有するのをできるだけ避けたい、という気持ちがあるので、図書館で借りてきて読みました。

「海と毒薬」みたいにウオオオッとはならなかったですが、読めてよかったなというお話でした。

恐らく遠藤周作は、信仰の面だけでなく、母親から多大なる影響を受けていて、それを自覚していて脱ぎ捨てたくても捨てられなくて、という葛藤があった人ではないかと思います。

ここからは本の紹介ではなくわたしの話ですが、わたしが人生で一番影響を受けたのは、現時点では間違いなく母親です。

そりゃあ家族なんだから影響を受けて当然でしょうと思われるのもご尤もではあるのですが、わたしが思うにレベル感が違うのです。

そして、わたしが遠藤周作の作品にシンパシーをもつ理由の1つはこの要素が重なって感じるからなんじゃないかって思うのです。

「毒親」「長女の呪い」「虐待」といったワードで描かれる描写とも違い、特殊すぎて説明が難しいのですが、わたしのは簡単にいうと「こどもをこどもとして扱わない、現代日本社会で必ずしも通用しない家庭内ルールの教育を強く受けた」です。

18歳までの家の中でのカルチャーと、学校その他「外の世界」でのカルチャーが違いすぎて、本当に毎日国境を越えて外国に通学しているみたいでした。

わたしの一家には母がいて父がいて、年の近いきょうだいがわたし含め4人いました。実際には、フルタイムでバリバリ働く母が君臨していて、こどもがいて、不規則な勤務形態かつ外出好きの父がたまに家にいました。

母はよくも悪くも(そもそもわたしの善悪の判断も母の影響が色濃い可能性がありますが)まったくもって社会に適合しておらず、それは彼女が高校卒業後ずっと自治体の職員として勤め上げているのが不思議でならないほどです。

日常的に「私はこどもが嫌い」「私はあなた達の奴隷じゃない」「ここは私とお父さんの家であってあなた達の家ではないからね」と母から言われて育ったので、わたしは「こどもが嫌いなのにちゃんと育ててくれてありがとう」「うちにはお金がないのに学校に行かせてくれてありがとう」「今日も追い出さないでいてくれてありがとう」と常に感謝を忘れないいい子に育ちました。

でもこれ、外からみたら全然「いい子」じゃないですし、なんか歪みまくりで怖いし、発達心理学的にやばそうな香りがプンプンします。

ただ、わたしの偉いところは、幼いころから頭がよくて諦めもよくてある程度のことはどうでもよくて他者に寛容だったので、「お母さんが言っていることは間違ってないけど、そのままの考え方は家の外では通用しない。怒られたくないからその時その場所にいる大人の言うこと聞いて適当に生きよう」と思えたところです。

同じ家で同じ教育を受けたほかのきょうだいがどうなっているかといえば、兄2人は一度実家から出たもののうまくやっていけず、色々拗らせてだいぶ香ばしくなり各々数年間無職のまま実家で暮らしていますし、妹もちょっと拗らせてしまってますし(※わたしは妹には激甘です)…。目も当てられない結構な惨状になっています。

わたしもわたしで人生ふらふらしているし社会に適合しているかといえば微妙なのですけど、「個性」に収まる範囲として社会生活できてるんだから相当頑張っているのでは!?と彼らを見ていると思ってしまいます。

これには母もかなり責任を感じている節があるようで、兄たちが不登校気味の学生だったころから「わたしが悪かったのかしら」と思いつめていて、途中から人が変わったようにお弁当作ってくれたり(※それまでお弁当は自分で詰めなくてはいけなかった)、色々してくれて怖かったです。まあ彼女なりにとてもつらいだろうことはわかるものの、これまでにしてきたことはなかったことにはならないし、わたしにはどうにもできないし、とにかく実家からは積極的に距離をとるようにしています。何か火の粉が降り掛かってきても困りますしね。

もし、わたしが一世を風靡するバズ作家だったとしても、自分に一番影響を与えた母のことを、これよりも詳細に書くのは、はばかられたと思います。

小説として作品として精緻に仕上げようなんてことは、健康寿命が150年くらいあったら晩年期にはできるかもしれませんが、今の寿命のスケール感じゃ到底無理です

あの遠藤周作にも、無理だったのかな、だから発表しなかったのかな、と読んでて思ったりしました。

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