蓮の花
目立つところに咲くことがそんなに立派なのか。
多くの視線が集まるところで花開かせることが最上なのか。
暖かな陽の光も届かない場所で生まれ、そこで育つしか道がないことは不幸なのか。
幸せなんて、漠然とした概念の一つだろう。
自分よりも上の世界ばかりを見ていたら首が痛くなる。
自分よりも下の世界ばかりを探していても首が痛くなる。
だったら、どうしたい?
マスメディアが誇張する一部の幸せを自分自身が目指すべき幸せだと思って生きるか?
与えられた情報の全てに縋る。
それも一つの方法だろう。
だけど、輝く場所で咲くことだけが幸せなんかじゃない。
自分の幸せは自分が決めればいい。
ならば、泥水の中で咲いたって、それが自分の信じる生きる道で、
それが自分にとって幸せに思えるならば、大多数の意見に賛同する必要なんてない。
蓮は泥水の中で花開く。
澱んだ泥水の中でも力強く、花開く。
泥水の中で咲き、静かに、しかし命の炎を燃やして生きる。
それだって、幸せの形だろう。