三岡瑞希
2017/04~2017/09にかけて書き綴った詩のような。散文のような。 ライターとしてではない。一個人、”私”として書こう。 誰の目も気にしない。私は私の思ったままを、感じたままを、書きたいままを書く。 そう決めて書き続けた文章達。
ブログで2017/01~03に連載していた、テーマエッセイ『J'aime』をまとめたマガジンです。自分が好きなものなどのあれこれを自由に書いています。
ブログで2017/01に連載していた、テーマエッセイ『色の小噺』をまとめたマガジンです。色にまつわるあれこれを自由に書いています。
私は何かを創ることが好きだ。辛い時も、苦しい時も、今も続けている創作活動。人間不信になっていた時、嬉しいことがあった時、何かを学んだ時、イメージが膨らんだ時。いろんな瞬間に何かが生まれる。このマガジンでは、私が過去に書いた詩などを公開しています。
目立つところに咲くことがそんなに立派なのか。 多くの視線が集まるところで花開かせることが最上なのか。 暖かな陽の光も届かない場所で生まれ、そこで育つしか道がないことは不幸なのか。 幸せなんて、漠然とした概念の一つだろう。 自分よりも上の世界ばかりを見ていたら首が痛くなる。 自分よりも下の世界ばかりを探していても首が痛くなる。 だったら、どうしたい? マスメディアが誇張する一部の幸せを自分自身が目指すべき幸せだと思って生きるか? 与えられた情報の全てに縋る。
人を傷付けるくらいなら、自分が傷付く方がいい。 誰かを傷付けるよりも、自分が傷付いた方がマシ。 そう思っていることは、周囲にも伝わってしまうのだろうか。 気付けば、反撃をしない便利なオモチャにされていた。 私にだって心はある。痛みも感じる。涙も流す。 それでも、反撃をしたら彼らと同じになってしまう。 誰かを傷付けることになってしまう。 子どもは時として純粋さゆえの残酷さを平気で他者に向ける。 成長し、自我が芽生え、道徳や倫理を学んでも、オモチャで遊ぶ。 彼ら
大人は色々持っている。 お金、知識、プライド、使い分けるための仮面の数々。 大人だからこそ持っている自由もある。 だけど、大人は魂を揺さぶられることを恐れる。 それは、経験というものを持っているから。 いくつもの経験は知識を与え、行動をする前に予想を立てさせる。 そして、予想は足枷となる。 本当は、魂の反応に従いたいんでしょ? 本当は、目の前の流れに身を委ねたいんでしょ? それが出来ないのは、いくつもかけられている足枷のせい。 大人になるほど足枷が増え、臆
幼い少女はブランコを漕ぎながら呟く。 「しあわせってなんだろう」 誰もいない公園の中、聞こえてくるのは遊具が少女の重みで軋む音だけのはずだった。 少女も空に向かってぽつりと問いかけただけ。 「しあわせってなんだろう」 少女は幸せが何物であるのか、どのような色や形をしているのか、まだ知らない。 「しあわせって、死を合わせると見えるものよ」 いつから立っていたのだろう、少女の隣に立つ女が少女と同じように空に向かって呟いた。 「しをあわせるって、どうするの」 ぶら
パパは私を”物わかりのいい子”だと言う。 ママは私を”手のかからない子”だと言う。 違うの。私はそんな子じゃない。 パパにもママにも笑っていてほしいだけ。 大好きなんだもの、私のことで悩ませたくない。困らせたくない。 大好きなんだもの、本当の気持ちを出して、怒られたくもない。 (本当は感じたままに泣きたい。喚きたい。甘えたい。) 私はワガママも言わない。我慢だってする。 そうすれば、パパもママも笑っていてくれる。 それで、それだけでよかったんだ。 あなたは
最初は何がきっかけだったのだろう。今となっては思い出せない。 メール、電話、交わした言葉。それとも、行動、価値観。 人には感情がある。心がある。 そうは言っても脳内物質だって影響してる。 もしかしたら、それが原因だったのかもしれない。 もしかしたら、違うかもしれない。 そこら中で聞き飽きるほど耳にする”釣った魚にエサはやらない”。 それなのかも。 愛の言葉を囁きながらも、あなたは私に触れようとはしない。 一度は理由を尋ねたけど、言葉を濁したあなた。 それか
否定されることも多かった。見下されることも多かった。 僕の心も、生きた道程も、何も知らない。そんな人たちから。 馬鹿にされることも珍しくない。掌を返されることも珍しくない。 僕が何をしたというの。ただ目立たないよう、馴染めるようにしていただけなのに。 嫌われ、嘲笑われ、罵られ。 最初は理解してもらおうともした。 それでも終わらないから、今度は存在を消すようにした。 でも、足らない。変わらない。 僕は要らないのだ。だけど、彼らは要らない理由を教えてはくれない。
誰かが笑ったら、みんなが笑う。 誰かが罵ったら、みんなで罵る。 誰かの意見に合わせるんだ。 あいつが笑ったものが、僕には笑えないものでも。 あいつが罵った誰かが、僕には正しく思えていても。 本当は、僕だって僕の意見がある。 本当は、僕だって僕の主張がある。 それでも、みんなと同じように動かなければいけない。 じゃなきゃ、僕は輪から追放される。 顔で笑って、心で泣いて、自分を押し殺す日々。 それでいいのか。 輪にいる連中には聞こえないように心の中で繰り返す
たった一言、たった一言。 君に伝えたいのに伝えられない。 伝えられやしないもの。 君を困らせたくはない。そんなお節介のような想い。 君を失いたくははない。そんなわがままな僕の想い。 だから、ふとした瞬間にその言葉が零れてしまわないように。 だから、僕が抱えている言葉が何かを勘の鋭い君に悟られないように。 僕はその一言を隠した。 隠してしまえば何もない。 隠してしまえば何も変わらない。 それは、悲しくも嬉しくもあるけれど。 それでも、僕は喉の奥まで、もっと
人間は簡単に裏切る。 金のため、名誉のため、自分の身を守るため、自分の愛する人を守るため。 手の平返しなんて、街を見回せばそこら中で起こってる。 ほら、君が気付いていないだけで、君の隣の人も今誰かを裏切った。 人間には欲がある。情がある。愛がある。 だから、裏切られることで傷を負う。 だから、裏切られることで涙を流す。 だから、裏切られることで腸を煮えくり返す。 裏切りは、誰かを傷付けるんだ。 人間は、裏切りという行為をやってのける。 誰かを傷付けると知っ
束縛は嫌い。 あたしにはあたしの時間がある。 あなたにはあなたの時間がある。 あなたと一緒にいる時間は二人の時間。 だけど、一緒にいない時には互いに別の時間を個として生きている。 その瞬間まで縛り付けないで。 興味の赴くままに足を運び、新たな知識を得ようと書に目を通す。 友達との他愛のない話だって必要。社会から与えられた仕事に努めるのも避けられない。 それは、全てあたしに必要な要素であって、あたしの時間。 そんな時まで自由を奪わないで。 あたしがあたしの時
人間なんて、所詮は別々の生き物で。 同じような境遇、同じような経験、同じような立場 共通項を持っていたって、同じ人間にはならない。 誰もが違う考え方を持っていて、 誰もが違うことに魅かれ、 誰もが違うことに怒りや悲しみを覚えて。 自分の物差しこそ正義。 思い通りにならないなら排除すればいい。 理解を示さないというなら攻撃だって厭わない。 従わないなら屈服させるまで。 誰もが違う人間。 自分という人間は自分しかいないから、 他者を全て理解することなど出来
人間なんて、所詮は別々の生き物で。 同じような境遇、同じような経験、同じような立場 共通項を持っていたって、同じ人間にはならない。 誰もが違う考え方を持っていて、 誰もが違うことに魅かれ、 誰もが違うことに怒りや悲しみを覚えて。 駅で電車を持つサラリーマン。 仲間と笑い合いながら登校する学生達。 重そうな買い物袋を下げて歩く主婦。 神社で静かに手を合わせる老人。 誰もが違う人間。 自分という人間は自分しかいないから、 他者を全て理解することなど出来ない
君を想う。 だから、僕は書く。 君との言葉のやり取りで、君との繋がりを感じられるから。 君との言葉のやり取りで、君のことをもっと知ることができるから。 澄んだ瞳をしている君。 世の中ならば目もくれない風景に目を細め、いくつもの感情やストーリーを感じ取る君。 大多数に蔑まれても気に留めず、自ら信じたものを大切にする君。 ささやかな時間の中に幸せを見付け出す君。 そんな君は眩しくて、美しくて、僕の憧れで。 君を想う。 だから、僕は書く。 でも、君は猫のように
様々な価値観を持ち合わせる多くの人間の波の中で出会い、 魅かれるようになることは奇跡にも近い。 誰かに魅かれれば、相手の一言が、相手の一瞬の表情が、相手の手から伝わる温度が、その一つ一つが自分の心に刺激を与える。 ワルツのような華やかさ。ノクターンのような憂い。レクイエムのような静かな祈り。 恋はいくつもの顔を持っているのだ。 舞い上がるような春。焦がれるような夏。満たされるような秋。心悲しくなるような冬。 恋に振り回されることに疲れる日もある。 恋に振り回され
彼は言った。 「眠りは死と似ている」のだと。 眠りの世界に落ちれば、起きている時のような意識は無くなり、 心も体も無の状態になる。 それが、死と似ているのだと。 けれど、眠りから覚めれば、また新たな一日を迎えられる。 それが幸せに満ちた日になるか、涙する日になるかはわからないけれど、 必ず新たな一日を迎えられる。 死はどうだろうか。 死を迎えたら、もう新たな一日が訪れることはない。 苦しみも、悲しみも、喜びも、憂いもない。 死は、最後なのだ。 それでも