金木犀
金木犀は昼の庭の香り。
幼い私を一番愛してくれた人と並んで過ごした庭の香り。
いつだって、あの人は私を愛してくれた。
子どもには、その愛の大きさを理解できなかった。
それでも、あの人の隣が心地よかった。
どんな悲しさに襲われても、悪夢から目覚めて泣いていても、
あの人は私の頭を大きな掌で撫でてくれた。
皺だらけの手の平。目を細めるあの人の優しい笑顔。
そんなあの人が大好きだった。
幼い私にはあの庭が世界の全てで、あの人が全てだった。
けれども、季節は移ろい、時は流れる。
私は最愛の人を失った。
泣いても、悪夢にうなされても、大丈夫だと頭を撫でてくれる人はもういない。
それでも、苦しくても、狂おうとも、私の時間は続いていく。
あれから何年経ったのだろう。
私はあの人が見たがっていた”大人の私”になった。
幼子のような素直さを忘れ、偽ることを覚えた大人になった。
金木犀の香りも遠い昔の話になっていた。
けれど、この世界には多くの人が生きている。
そして、出会う。
思いもよらない形で。
あの人と過ごした庭から遠く離れたこの街で。
緑よりもネオンが艶美に光るこの街で。
偶然出会ったその人は、私の鎧を外してくれた。
鎧の奥には、偽りの裏に隠されていた、自分自身も忘れかけていた純粋だった頃の私がいた。
金木犀の香りを漂わせるその人は、隠し続けてきた私を見付けてくれた。
その日のことは忘れられない。
だから、今、金木犀の香りは私の中で二つの意味を持つ。
金木犀は、昼の庭の香り。
そして、彼に見付けてもらえた夕方の庭園の香り。