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【映画感想文】ザ・バイクライダーズ

写真家のダニー・ライアン氏が60年代のシカゴに実在したバイク集団を追った写真集『THE BIKE RIDERS』。そこからインスパイアされたバイク乗りたちの栄枯盛衰を描いた物語『ザ・バイクライダーズ』の感想です。

60年代のアメリカの不良少年を主人公にした映画と言えば、個人的なお気に入りは、1983年に公開されたフランシス・フォード・コッポラ監督の『アウトサイダー』なんですね。公開当時、映画館に観に行ってめちゃくちゃ興奮したんです(僕以上にその時一緒に行った友達が刺さり捲って、その友達の要望で一日で3回鑑賞するハメになったんですが。まだ、映画館が入れ替え制ではない時代の話ですね。スティービー・ワンダーが歌う主題歌の『ステイ・ゴールド』がレコード発売されないのも良かったんですよね。なんか。)。不良少年たちの抗争を軸にして、それぞれの家庭環境や貧困を描き、そのような社会問題などに対してどんなに反抗してもどうにも出来ない主人公たちの幼さゆえのやるせなさ、それをまるで自分ごとの様に感じてしまったんです(僕は絵にかいたような中産階級家庭の良くも悪くもない普通の中学生だったんですけどそれでも刺さったんですよ。そりゃ、僕よりも家庭環境の良くないひとりでいることが多かった友達には刺さるよなと思いました。)。で、今回の『ザ・バイクライダーズ』、この『アウトサイダー』と同じくらいの年代の同じアメリカでの同じアウトローたちのお話なんですが、ただ、一点違うのは10代の少年たちが主人公の『アウトサイダー』に比べて、『ザ・バイクライダーズ』に出て来るキャラクターはみんな結構いい歳の大人なんです。

なので、そこに非力な少年の切実さはないんですよ。まぁ、これは時代というか。いい大人でもドロップアウトしたくなるくらい混迷した時代がアメリカにあったってことなんですけど(というか、このくらいの時代は世界的にもそうだったんですよね。ベトナム戦争、マルコムX暗殺、ケネディ大統領暗殺、キューバ危機があって、中国では文化大革命、日本でも学生運動の時代でしたから。)、政治的に反抗していたビート・ジェネレーションとかヒッピー・ムーブメントなんかに比べると、マジメに暮らしてたっていいことなんかないんだからドロップアウトして遊んじゃえって感じというか。反抗というよりは”知らねぇよ”って感じで、なにか、刹那というより虚無っていう感じがしたんです。

で、そのやってることの意味のなさみたいなものに僕はグッと惹かれたんですね。これまで、こういう時代の刹那を切り取ったものって、その虚無自体に意味を汲み取ろうとしてたと思うんです(戦争映画然り、アウトロー映画然り)。この映画には端からそれがなくてですね。いい大人がまともに生きられない時代を虚無として描いているように見えたんです。なので、インタビュー形式の構成になっているのに当人たちに主義とか主張を一切語らせなかったり、その時代の政治的な状況を一切描かなかったり。インタビューの主軸になるのは、チームの中でも最も何考えてんだか分からない(オースティン・バトラー演じる)ベニーと後に結婚する(ジョディ・カマー演じる)キャシーなんです。チームの仲間ではあるけど実際に自分でバイクを運転するわけではない女性の引いた目線で事象を見ていて、それが映画のトーンになってるんです。イキリもないしエモくもない。滑稽で軽い。どこか、こんな世の中でこんなに楽しそうにしてるのはこいつらバカだからっていう視点があるんですよ。ほんとはいろいろ感じてはいるけどっていうのが虚無感になっているんです(この刹な愛おしい感じなんだっけなって観てる時から思ってたんですが、空族の『国道20号線』でした。空族の映画もこの手の虚無を描いてるのがいいんですよね。)。

で、この映画、ここで終われば、ああ、こういう時代もあったよね。懐かしいな映画で完結してたんですけど、このあと、このアウトロー集団の終焉までを描くんです。そして、その終焉がなぜ来てしまうのかっていう直接の理由になってるのが、正しく”虚無に意味をつけようとした”からなんですよね。キャシーがインタビューで言う『遊びで決めてたルールを信望する者が出て来た。』っていうセリフ。ああ、そうなんだよな。仲間内の遊びで始まったものが大きくなって拡がっていくとどこかで誰かが権威を欲しがって、それに意味を不可しないといけなくなるんですよ。あ~、何の意味もない純粋なものだったのに。なぜ、こうなってしまうのか。それを俯瞰で単々と見せてくれる非情に虚無で良い映画でした。


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【映画感想】とまどいと偏見 / カシマエスヒロ
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