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理屈じゃない𠮟り方って

それが正しいかどうかは別として、
ひと昔前の子育てや教育の場面では叱る理由を細かく説明せずに、

ダメなものはダメ!

など、理屈ではない𠮟り方が多かったと思います。

また性別によって叱られる項目が変わったりもしていたので、
「見直し」が必要な部分がたくさんあったことも事実です。


先生や他人の大人に叱られるという行為は割と
子どもの記憶に残るものではないでしょうか?

誰しもが、

「○○歳の時にドコどこのおじさん・おばさんにえらく叱られた」

というエピソードを持っていると思います。

小さなころの記憶が少ないボクでも、
そんな記憶がいくつかあります。


小学2年生の時でした。

野菜が大キライ(ニンジン・大根などは口にいれただけで嗚咽がでるほど)
だったボクは母をたいそう困らせていたようです。

もちろん、野菜ぎらいは家だけのものではないので、
学校の給食でも大いに苦しみました。

平成初期の小学校はだいたいどこも厳しいめの方針だったと思います。

給食の食べ残しは許されない。

アレルギーでもない限り、出されたものは全て食べなければいけませんでした。(今でもそうですかね?)

食べ終わるまでは昼休みの遊びにもいけず、
嫌いな食べ物とにらめっこをしつつも、
窓から友達の遊ぶ様子を羨ましそうに眺めてる児童が
いつも数人は教室に残っていました。

その日はボクもそんな一員に加わっていました。

目の前にあるのはミニトマト。

トマトの中でも味が濃く、甘いハズのミニトマトなのですが、
どうも当時は大嫌いだったようです。

早く外にいってサッカーでもしたかったボクは、
お皿の中にあったミニトマトを隠して、
食べたことにしようとしました。

小2の少年が描く「完全犯罪」は、
かなりツメの甘いものだったと思います。

秒殺で担任の先生に隠したことがバレてしまったのです。

そして先生にこう言われました。


「太郎という立派な名前をいただいておきながら ”隠す” なんて卑怯なことをするとはなんたることですかっ!」


すごい剣幕で叱られた記憶があるけど、
多分、そこまで恐い顔はしてなかったハズです。


小学2年生ながらに、
初めて「恥」という言葉を身をもって知った瞬間でした。

別に「太郎」という名前の持つ意味や歴史のことを理解していたわけでもないのですが、「隠す」という行為が卑怯であることだけは
しっかりと肝に銘じたのは今でも鮮明に覚えています。


担任のC先生は初老の先生だったと思うのですが、
何分自分が小さかったので、その辺の判断はあやふやで、
もしかすると40代前半くらいだったかもしれません。

C先生は、厳しいけどいい先生。

そんなイメージが残っています。

「怒る」「叱る」の違いを理解していた先生だったと思います。

子どもながらに、

この先生は筋がとおっている。

と感覚で理解していたので、たくさんの児童から慕われ、
保護者からの評判もよかったようです。


近年の子育てでは子どもの意見を尊重したり、
きちんと理由を説明したりすることを重視する傾向があると思いますが、
時と場合によっては、「説明しすぎる」ことはよくないのかも?
と、思うことも多々あります。

理屈じゃない叱り方。

それはそれで利点があると思います。

きちんとした考えが裏にあれば、
下手に説明をいれるよりも効果的な場合も多いと思うのです。


子どもの理解力が高くなると特に、
「なぜ」だめなのかを説明してあげたくもなります。
実際そうすることが多いのですが、
まだ経験値の少ない子どもにはわからないことが多いです。

そういった「理由」を短い言葉で、
解かりやすく説明できないのであれば、
下手に説明するよりは、
理屈抜きにズバっ!と切った方がいい時も多いと思うのです。

その辺のバランスを見極めるのって、
案外むずかしかったりしますよね?

え?簡単??

ボクが子育て下手くそなだけですかね・・・?💦

はい。これからもっと精進していきます。w






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