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概念って結局なんなんだ?【IB・MYP】Part2
で、概念って結局なんなんだろう・・・?
前回の最後に書き残したのは、
「果たして本当に、概念とは身近にないものなのか」です。
ない・・・ない・・・ない・・・。
概念の”ある”と”ない”
概念の”ある”
・階層がある
・入れ替えがある
・グラデーションがある
・意味を変えることがある
・人によってちがいがある
・宣言である
・壊されることがある
・生み出されることもある
・言葉である
・認識である概念の”ない”
・見ることができない
・さわることができない
・これといったかたちがない
・存在していない
強引ひとことにまとめると、
概念って、存在のない認識である。
と、考えてます。
人は世界を概念で形作っている
荒唐無稽なことをいうようですが、本当にそう思います。
我々の使用する言語は、すべて概念化されていると考えます。
この記事のちょこっとメモやイラストにも書きました。
「りんご」という言葉は、人によって
赤りんご
かじったりんご
切ったりんご
青リンゴ
りんごの木
というように、その言葉の中に具体例を含む。
どれだけ目の前にあるりんごを詳細に記述しようとしたとて、
その場にいない誰かにそれを伝えようとした時に
それを表す言葉には限界があるように思います。
言葉の限界を少しでも補うために、
我々はいろんな方法を用いて、表現するのかもしれません。
例えば、絵、表、写真、図、映像、彫刻、グラフ。
あるいは言葉の使い方を変える方法もあるかも。
体言止め、比喩、対句法、反復法、倒置法、
さらに言うと、一文字の違いでも変わってくる。
我々は言葉を頼りに、そこから自分の経験を混ぜ込んで解釈し続けている
だからこそ、たとえ同じ言語を使用していたとしても、
一人ひとりの考えるプロセスは違うし、
一人ひとりの表出された言葉のもつ意味も違う。
言葉は大切であり、貧弱でもあるなと思えるのです。
言葉の背景を丁寧に丁寧に汲み取っていかなければ、
すぐに誤解をしてしまい、誤解をしたことにも気づかずに
争いが生まれてしまう。(よくやる喧嘩なんかも、こんなもんでは?)
IBのMYPのカリキュラムは、概念型で構想されます。
概念が言葉である以上、IB教育やってますと名乗るのならば
言葉を丁寧に取り扱っていきたいと、たくさんの自戒をこめて
そう思っています。
(最近他の先生から、関わらずと拘らずの違いを教えていただきました。ありがたい。)
ちょこっとメモ:問いを問う
わからない。
問いって一体何なんだ。
そう、先生になって最初にわからないと思ったのは指導案に書かれた一言
「深めの問い」
問いに深さってある気がするけど、”深め”って基準は何?
”深め”って何をすれば、”深め”な問いになるの?
いやそもそも、問いと問題と課題と質問と発問の違いって何?
教師10年目、いまだに解像度が低い低い。
で、時間のある時にこの本で、学習です。
「問いのデザイン創造的対話のファシリテーション」
安斎勇樹・塩瀬隆之 著 学芸出版社
https://book.gakugei-pub.co.jp/gakugei-book/9784761527433/
どのようにして手元にあるのか記憶にはないのですが、なぜか手元にあり
そして非常に興味深い。
今まで黒板に「課題」って書いちゃってたけど・・・。
課題って先生が書いちゃうような授業ばかりじゃ、、あかんのかもな。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。