モノの価値の変化とこれから
前回は、ファンコミュニティコマースENUにまつわる個人的な想いを述べさせていただきました。
今回からは事業の背景にあるベースの考え方を以下の3回(仮題)に渡って書いていきたいと思います。
1.モノの価値の変化とこれから
2.テクノロジーの発展が導き出す未来像
3.日本の良きものとは
今回は1回目。
モノの価値の変化について
日本の経済発展を語る上で避けて通ることができないのは、やはり高度経済成長からくる一連の流れだと思う。
特に戦後から高度経済成長期においてはモノ自体が不足している時代であったため、モノを生み出せばそれが売れるような時代であった。中には三種の神器と呼ばれるような自らの生活を豊かに、便利に、楽にしてくれるモノを始め、ありとあらゆるモノが生み出されていた。
そして、時代が経るにつれてモノが溢れる時代に移る。モノが溢れるということは、多くのモノがコモディティ化して、モノの付加価値が相対的に低減するということ。またスペック自体も似たものが多く、もはや一般人にとってそれをどう取捨選択していいのかわからない状況となり、「価格」だけが唯一の差別化要因となってしまう。そのため、この時代になってくると「モノの価値」から「モノを選択するための情報」が広まり、それを謳うサービスが増えてくることとなる。
そうすると何が起こるのか。モノが溢れて情報が価値を持ち始めるが、最初はいわゆる「情報の非対称性」が生まれることによって、「情報を持っている人」に価値がでることになるが、情報を持つ人が増えるだけでなく、googleを始めとする(時代的にはgoogleはかなりの後発だが)検索エンジン等の誕生により、誰もが情報を自分で得ることができるようになる。そうすると、「情報の非対称性」が崩れて情報量に対して差がなくなり、場合によっては逆転現象が発生し、今まで情報を持っていなかった人のほうが情報を持っているという状況も往々にして有ると思う。そうすると、情報すらもコモディティ化した状態となり情報価値の平準化、低減化が起こることとなる。
では、モノが溢れ情報すらも溢れてコモディティ化してしまった現在、ビジネス環境は一体どんな風に変化するのか。我々の結論としては、
顧客にとって本当に価値のあるモノ・ サービスを自ら見つけて提案する
ということ。この一連の流れは、以前仕事で関わりのあったカルチュア・コンビニエンス・クラブの増田社長の考え方を大いに踏襲している。
それとライフスタイルに関する僕個人の考え方だが、現在の日本は3番目のステージに来ていると、僕はいつも言っている。モノがないときは食べるものや着るものに価値があった。戦後の日本がまさにそれだ。しかしその後、色々な人が会社を興し、工場をつくったおかげで、モノが溢れる時代になった。そうすると顧客価値は何にシフトするか。リンゴが一個しかなければそれ自体に価値がある訳だが、高級なリンゴや安いリンゴ等、たくさん出てきたら林檎自体には価値がなくなる。そして林檎を選ぶことの出来る場に価値がシフトする。これがプラットフォームの時代だ。楽天もイオンもファミリーマートもTSUTAYAも、すべてプラットフォームと言える。
では、3番目のステージである今はどんな時代か。プラットフォームが溢れている。ファミリーマートの向かいにセブン-イレブンがあリ、その隣にナチュラルローソンがあり、もう「どれに行ったらいいの?」と。どこも一緒で、要はプラットフォームの価値が相対的に低下している。ではそこで何が価値になるかと言えば、プラットフォームを突き抜ける提案力だ。先ほど「ライフスタイルを選ぶ」と僕は言ったが、それは「プラットフォームにそうしたライフスタイルの提案性がないと駄目」だという逆説でもある。
ありとあらゆるモノがコモディティ化してしまったため、人間が「価値」と感じる事柄すら大きく変化しつつあり、それに合わせて ビジネスすらも変化させていかないといけない。
その手段として、「提案/オススメ(レコメンド)」をする。一見これは「え、そんな簡単ことは当然では??」と思われる方も多いと思う。これは言うは易く行うは難しの典型だと思うが、これをどのようにサービスとして落とし込んでいくのか、何を提案/オススメしていくのかというのが1つのチャレンジであり、ENUにおける本質の1つになってくると思う。
その2に続く。