休館するDIC川村記念美術館に、ありがとうの物語を書きに来た。「庭園編」
大好きな美術館が来年の3月で休館します。
千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館です。
そこで、私なりのさよならとありがとうを込めて、美術館を訪れ、お気に入りの場所で、物語を書きたいと思いました。
DIC川村記念美術館をつくったのは、大日本インキ化学工業(DICの旧社名)の設立者である川村勝巳さんです。川村さんが経営のかたわら大切にしていたのは、ひとり絵と語らう時間。「その喜びを世の人々と分かち合いたい」との想いから、アメリカの現代絵画を含む20世紀美術をコレクションし、1990年にオープンしました。
当時、13歳の私は近くの町に住んでいて、校外学習ではじめて美術館を訪れました。その後、何度も訪れているお気に入りの場所です。どこにいても居心地がよくて、「自分が大切にされている」気持ちになれる不思議な美術館です。何となく川村さんのお宅に招かれたような、あたたかな思いを感じます。
私が魅了されたのは、建物や庭を含む敷地全体をつかった「大きなデザイン」。自然と美術館の建物が、元々の地形、植生、水域を活かしながら、設計されているところ。今日は、庭園編として、皆さんを案内しながら、私の書いた物語を紹介したいと思います。
訪れたのは、昨日。千葉は秋晴れ。
最後に、昨日、ベンチで書いた物語を紹介しますね。
***
白鳥とぼく
今日は、閉館する美術館にさよならを言いに来た。正確には、ぼくの白鳥にお別れを言いに来た。
白鳥に出会ったのは、30年前。町に初めて美術館ができ、近くの小学校に通っていたぼくは、校外学習で訪れた。唯一覚えている絵は、モネの睡蓮で、何故なら、美術館の奥の庭に、その絵に少し似ている池があったからだ。柳が枝垂れて水面に影を落とし、睡蓮とつがいの白鳥が浮かんでいた。スズメやツバメは見たことがあったけど、白鳥が思ったより大きく、そんな鳥が柵のない池に飼われていることに驚いた。動物園の檻の中で見た白鳥は薄汚れて見えたけど、オレンジ色のくちばしで真珠みたいに白い羽をついばむ白鳥は、とてもきれいだった。
どうしてここにずっといるんだろう?どこにだって飛んでいけるのに。「何で逃げないの?」ってぼくは聞いたと思う。白鳥は答えなかったけど、のちに、「羽切」をされていると聞いた。脱走しないように、羽の一部を切ることで飛べなくするのだそうだ。中学生になったぼくは、何度もひとりでバスに乗って白鳥を見に来た。いつも白鳥はゆったりと池に浮かんでいて、本当に、心から、この池を楽しんでいるように見えた。
それから、ぼくは、高校生になり、大学生になり、今は町役場に勤めている。「何で町を出ないの?」って何度か聞かれたことがある。町を出たことのないぼくも、人から見たら、選んだのか選ばなかったのかわからない人生かもしれない。
開館時間の朝9時に到着するように家を出た。道路は秋雨で濡れていた。コートを持ってきたけど、車を降りたら日差しが強い。ぼくはニットを脱いで、Tシャツになった。開館してすぐにも関わらず、チケット売り場には行列が出来ている。そこには並ばず、バス停の脇を通って美術館の奥へ向かう。休館のニュースがあってから、連日にぎわっていたが、最終日に朝から庭に来る人はそう多くない。
池には、白鳥は一羽しかいなかった。どうしたんだろう。あんなに仲がよかったのに。もう一羽は死んじゃったんだろうか、先にどこかに譲られてしまったのだろうか。ぼくの心配をよそに、白鳥ははじめから一羽だったみたいに、満足げに、ゆったりと泳いでいた。
久しぶりに見たぼくの白鳥は、やっぱりすてきだった。ぼくが好きなのは、灰色の長い首。とてもしなやかでやわらかそう。白鳥は水面にくちばしをすいっすいっとつけたあと、上を向いて喉をふるわせて水を飲んだり、オレンジ色のくちばしで翼のつけねやしっぽのつけねを、クイクイクイっとついばんでいた。
ぼくは、白鳥が指を優しくついばんで手のひらに頭をのせる姿を想像して、くすぐったくなった。美術館に来なくても、ぼくの町には、ぼくの白鳥がいる。ずっとそう思っていた。ここにくればずっと会えると思っていた。
美術館は今日で閉まる。ぼくの白鳥はどこに行ってしまうんだろう。
ぼくは、待ち受け用に白鳥を撮ろうと、スマートフォンを向けた。モンキロチョウが、女郎花をよけて、ひら~りひらりとカメラの前を横切った。ぼくは白鳥にズームインする。
その瞬間、気がつくとぼくは白鳥になって人間のぼくをみていた。黒いTシャツと細見のパンツ。ひどくやせている。右手に持ったスマホを左手で支えて、垂直に正しく世界をとらえようとしている。
白鳥になった僕に感情はない。
日差しに光るつやつやの睡蓮の葉っぱ。ぼくはしっぽの羽をついばもうとする。からだがぷかっと傾く。水面に波紋が広がる。
じー、蝉の鳴き声。
ひよひよひよ
ピィピィピィ
じぃーっ
すいーっすいーっ
ピ
日差しに温められた水の粒が空気になって上っていく。ぼくは、翼を広げ、バタバタバタッと水音をたてて水の上を駆けた。水しぶきが光を反射して輝く。歓声が上がる。
「怒っているのかな」
「飛びたいんだよ」
「体がかゆいんだわ」
皆いろんなことを言う。
キーンコーンカーンコーン
小学校の十二時のチャイムが鳴った。
追いかけるように、ポール・モーリアの「恋はみずいろ」が流れる。
その瞬間、気がつくと、ぼくはスマートフォンで池を見ていた。白鳥から抜けた羽毛が一枚、水面をスーッと流れ、画面からフェードアウトした。
白鳥は池から姿を消していた。
ぼくは、町を出たいわけじゃない。
唐突に思いが飛来する。
選ぶとか選ばないとか関係ないんだよ。
ぼくは、世界に含まれている。はじめから。
うまく言えなかっただけなんだ。
僕はスマートフォンをポケットに入れて、遊歩道に至る階段を上り、あずまやがある所へ出た。デッキには、最後まで美術館を見届けようとする人がちらほらいる。ぼくは、人けのなくなったチケット売り場の前に立っていたスタッフの女性に声をかけた。
「今まで、ありがとうございました」
三十年分の思いを込める。
「こちらこそ、長い間、ありがとうございました」
少しだけ笑ってお辞儀した女性の耳に、シルバーの小さなピアスが光っていた。ぼくの美術館の最後のシーン。
ぼくの町に美術館はもうないけれど、白鳥がみせてくれた丸まんまの世界を忘れない。
大谷八千代
2024年10月11日
晴れた日の朝、池のほとりで記す
続編は、美術館の館内の紹介と、絵画を見て書いた物語です。
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