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つじつま合わせ

人は、完璧ではない。
昨日は、うまくいつたと思っていたが、
さて、今日は昨日のようにうまくいくかどうか分からない。
その時の、運をないがしろにするととんでもないことになる。
上手くいくというのは、半分は運である。
だから、振り返ってみてつじつまを合わせようとする。

運の中には、自分の力ではどうしようもない力が介入してくる。
それを、邪魔する運と解釈している。
過信と自信は、別物である。
どちらも、自分単独で成立するものではない。
相手との、関係で成り立つことが多い。
多いというよりは、大半であると解釈した方が妥当かもしれない。
だから、終わってみてあれやこれやとつじつまを合わせる。

人間は、つじつまを会わせるのが上手い動物かも知れない。
毎日毎日、一度もこのつじつま合わせをしていない人はいない。
必ず、一日の反省材料の中につじつま合わせの心理が発生している。
生きている限り、このつじつま合わせは消え去らない。
と、解釈していれば、少し気は楽になるかも知れない。
でも、絶対にこのつじつま合わせは無くならない。
今日も明日も、夜床につくまで、つじつまを合わせて考えている。

人は、中途半端で不完全な動物である。
と、自覚していて何ら間違いはないと思う。
まだまだ続く。
このつじつま合わせという不思議な心理作用。
仕方ないさ。
この世に、仮住まいをしている人間だけが起こす心理現象。
何か、反省事がある時には、つじつまを合わせるさ。

明日の予定を立てても、やはりつじつまが合わない事は気が進まない。
むしろ敬遠する。
できれば、やりたくない。
一つことが終わった時、また、一日が終った時つじつまが合っていれば、スッキリしたりする。
人生には、必ず人が介在するのでやむを得ない。
向こうも、条件は対等だ。

人の表現方法には、いろいろな条件が絡んでいて進。
いい事も悪い事も、差別なく表れる。
快不快も、同様である。
私を、喜ばせようと思う人ばかりではない。
私も、人を悲しませようと思っているわけではない。
陰と陽がぶつかりあって、快不快は生まれるのも事実だ。

今、ここでの記事が人を喜ばせているか、どうか。
本当の所は、分からない。
だから、書き終わってみてまたつじつま合わせにエネルギーを費やす。
それがいやだったら、人との接触をされるべきだと思うし、ネガティブな発想にまでつながってしまう。
人をつぶしてはいけないし、自分をつぶしてもいけない。
それは、人間だから。


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