不都合なことに触れないことによって形成されるイメージ
「アート界が草間彌生について知りたくないこと」の記事
竹田ダニエルさんのツイートがきっかけで読んだのだけど、草間彌生さんをグローバルブランディングする上で起こったこと、に関する記事を読んで、そうだったのかという気づきとともに、非常に個人的な経験で思い出したことがあった。
人種差別は全く関係ない出来事で、あまりにも個人的すぎて、トピックとしては論点がずれているかもしれないけど、そのことを真っ先に思い出したので、noteに書いておこうと思う。
きっかけになった記事はこの記事。「アート界が草間彌生について知りたくないこと」
記事のトーンも結論もとてもニュートラルで、考えさせられる内容だった。
この記事で思い出した「あるリーダー」のこと
私のキャリアでかなりお世話になった人で、足を向けて寝られない人がいる。今も関係は良好だ。ただ、彼と私の関係は常にスムーズだったわけではなく、色んな案件において、私のやり方と、その人のやり方は、かなり違っていた。
結果を出すことを優先する人だったから、結果のためには、ある程度の犠牲や妥協ははやむを得ないという選択をあまり悩まずできる人で、「限りなく倫理的であること」や「正しいプロセス」みたいなものは、彼にとってはむしろ邪魔で、そこまで重要ではなかった。
私は彼が最終的に非倫理的なことをしたとか、越えてはいけない一線を越えたとは思っていない。ビジネスの選択としてありうる選択肢だったと思うし、それは、アグレッシブなアプローチと、慎重なアプローチの幅の中で、彼と私がどちらかというと反対の立ち位置だっただけだと、今は思う。
ただ、一緒に近くで仕事をしていたときは、「私の立場や価値観」から見た時に、一線を越えているような気がして「それ、かなりグレイじゃないですか」と議論をふっかけて、どうしてもお互い歩み寄れず、最終的には、私のほうが、ポジションが下だから、彼のやり方で通すことは時々あった。
その頃の私は、今の私と比べると、もっと「ちゃんとプロセスにのっとっている事やルールを順守していること」にこだわりすぎる傾向があったと思う。それは私が日本人であって、日本で教育を受けて育ったことが、かなり影響していたかもしれない。彼が、そういう私の文化的なバックグランドや、私の仕事のやり方みたいなところを、彼なりに理解しようとしてくれたことには、とても感謝している。一緒に仕事をするうちに、私も、結果重視の仕事のやり方に変わっていった部分もあるから、「結果を出す」という意味においては、彼に学ぶところも多かった。
みんなが思う彼の人物像と私から見た彼
彼の出した結果は素晴らしかったから、彼はどんどん昇進して、とても影響力のあるリーダーになった。彼は私の実力を妥当に評価してくれていたし、いろいろ面倒を見てくれたから、彼には感謝することの方が多い。
だけど、「私が知っているその人」は「周りからこの人はこんな素晴らしい人であると称えられる人物像」とかなり違っている一面もある人物だ。それを草間さんの記事を読んで思い出した。
普段はとても朗らかで、ジョークが好きで、彼の周りでは笑いが絶えず、ビジネスの判断は妥当で、結果を出しさえすれば、やり方を細かくコントロールせず、部下にしっかり任せてくれるボス。確かに素晴らしいのだ。
「称えられている部分」は嘘ではなくて、彼は、確かに素晴らしい強みを持つリーダーなのだけど、結果を出すために、グレーゾーンでリスクをアグレッシブに取っていく一面や、そのやり方についてこれない人間を切り捨てることを悩まない、ある種の冷徹さは、語られることはない。
いわゆる「表に出るとあまり好ましくない部分」が意図的に語られず、なかったことになっていく。彼と近しく働いたことのない人が彼に対して持つイメージは「周りが彼に対して語っていること」で形作られる。
彼がどんどん昇進していくうえで、彼を形容する言葉やストーリーは、より好ましいものになっていき、あたかもそれが彼自身の全てであるかのようなブランディングがされていく。こうやってリーダーのイメージとは作られていくのだな、と、傍で見ていて思った。
実際に会ってみないと分からない
草間さんの記事からは、かなりかけ離れてしまったが、思ったことがある。
結局、その人が本当にどんな人かなんて、実際に会って一緒に時間を過ごした人しかわからない。そして、見る人、受け取る人の価値観やバイアスによって、その人に対するイメージは変わってしまうもの。だから、その人が本当はどういう人かなんて、見る人によって真実は変わってしまう。真実は一つではない。
ソーシャルメディアでの自分のブランディング
私は、何かを読んだり、見たり、考えた時は、「じゃあ、それに対して、自分はこれからどうする?」って考えたい方なのだけど、私の今日の「これからどうする?」は、「真実は一つではないからこそ、自分が発する言葉や行動で、どういうイメージを作り出してしまっているのかは、自覚したい」かな。
例えば、TwitterやInstagramなど、ソーシャルメディアは、自分のイメージをある程度コントロールしやすい世界。だけど、ソーシャルメディアの自分と、実際の自分がかけ離れてしまったら、その乖離で自分が苦しくなってしまうこともあるだろうから、かけ離れすぎない方がいい。わざと自分の嫌な部分ばかり出す必要もない。逆に、盛りすぎる意味もあまりない。
顔が見えない匿名ソーシャルメディアの世界だからこそ、短い言葉を通して、その人の真実が透けて見えることもある。たとえ、それがその人の一部分にすぎなかったとしても。だから、言葉の選び方や、何に反応するかは、できればよく考えたい。
また、その発信だけを見て、その人全体を決めつけることも出来れば控えたい。その投稿の裏側で、その人が本当は何を思ってどんな人生を生きているのかなんて、絶対わからないことなのだから。
特にネガティブな投稿だと、投稿している人を嫌だと思ったり、こちらもネガティブな反応をしてしまいがちだけど、それにネガティブな反応を返すよりは、絡みに行かない、絡まれても、感情的に返さない、自分から積極的にネガティブなものを見に行ったりしない、ということって大切だなと思う。
ネガティブなものを見たり、それにネガティブなリアクションをすることによって、自分の脳が傷つき、大切なエネルギーを消耗しているのを感じる。
投稿の向こう側にいる人への想像力を働かせたいし、何にどういうリアクションをするのかを選ぶことで、自分も大切にしたい、と思った。
世界のどこかで、このnoteを読んでくださってありがとう。どうぞ心安らかな一日を、夜を。