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「日本語教員試験2024体験記(「日本語教師による英文法用語研究その4」編)」

この記事は、「日本語教員試験体験記」の第30回です。
前回までの記事は、noteのマガジンにまとめていますので、合わせてお楽しみ下さい。

「英文を自然な日本語訳にしなさい」という授業

高校生の時、英文法で「無生物主語」という概念を習いました。英語は文字通り「無生物」を主語にとることがあるので、英文和訳するときには「自然な日本語」、「こなれた和訳」をするように言われたものです。時代は1990年代です。中学から高校にかけての学校英語は、まだまだ英文和訳が中心の授業でした。

Googleで「無生物主語」と検索すると、トップに「レアジョブ英会話English Lab」というサイトが最上位にヒットしました。例文をお借りして、当時私が受けた授業を再現してみたいと思います。

The heavy rain prevented us from going out this weekend.

レアジョブ英会話「英語でよく使われる『無生物主語』?初めて耳にした人は知っておきたい使い方・訳し方」

語彙

  • The heavry rain 激しい雨

  • prevented 人 from ◯ing 〜することを妨げた

  • going out this weekend 週末外出すること

「直訳」すると、「激しい雨が」「私たちが週末外出することを」「妨げた」ということになります。解釈として十分に理解できます。しかし、学校の授業で「これではダメだ!日本語が不自然だ!これでは国公立大には合格できない!」とくるのです。果たして、国公立大の英文和訳問題が、このような直訳的な答案だと合格できないのかどうかはわかりません。しかし、学校の先生がそう言うのですから、可能な限り、自然な日本語訳を試みます。

「激しい雨によって私たち週末外出できなかった。」

このような和訳が、当時の英語の先生が言う正解だそうです。英語どころか、完全に日本語の問題です。何しろ、「激しい雨が」という主語が、「激しい雨によって」というように、副詞的あるいは連用修飾語的に組み立て直されていて、英語の文型通りの理解とはなっていません。ところで、次のような訳を考えた生徒がいました。

「雨激しく降ったので、私たち週末外出できなかった。」

後半は同じですが、前半が異なります。「激しい雨」を、「雨が激しく降ったので」と解釈しています。内容的には妥当で、何も問題ないと思います。自然な日本語だと思いますし、こなれた日本語とも言えますね。しかし、先生は「ううーん、この場合は、「激しい雨によって」とした方がいいなぁ。「ので」を使うと複文になって複雑だなぁ。自然な日本語といっても、すっきり書いた方が採点する方はわかりやすいぞ。「意訳」というのは、勝手にやっていいものじゃない。もっと精進しなさい。」と説明しました。何が「勝手」で、何が「勝手じゃない」のかは、さっぱりわかめラーメン(死語)でしたが。

正直言って、どうすればいいの?と、私たちはパニックになりました。英文和訳の授業では「直訳」、「意訳」、「解釈」といろいろな概念が使われて、当時の自分にはそれぞれでどこまでやっていのか、どうやっていいのかがわからないまま、なんとなく和訳していたのです。何をどう答案を作っても、「日本語の世界」から指摘が入っていつまでたっても「正解」と評価されません。「先生がいちゃもんつけたいだけじゃんじゃないの?」と邪推してしまったものです。

「英語らしい表現で英作文しなさい」という授業

次は英作文です。中学生レベルの英語ということで、「彼はテニスが上手だ。」という日本語から出発して、学校の英語の授業を再現してみましょう。直訳すると、次のようになるでしょう。

He plays tennis very well.

語彙

  • he  彼は

  • plays する(三人称単数現在形)

  • tennis テニス

  • very well とても上手に

中学1年生で習った通りの文法を駆使して作った文です。三単現のSもしっかりと使いこなしています。ところが先生がこう言いました。「英語ってのは名詞指向の言語なんだ。なんでも動詞で表現すればいいってもんじゃない。こう書きなさい。」

He is a good tennis player.

なるほど。「テニスを上手にする」ということを、「良いテニスプレイヤー」と考えるのか。と、一応納得したものの、動詞を許さない傾向にある英作文の先生の授業は、なんともどうしていいのかわからないもどかしさがありました。日本語は述語に「動詞」を好むところが多いかもしれません。日本語教育においては「名詞文」「形容詞文」「動詞文」の3つに文を分類して考えていきます。「〜する」という動詞は大変便利なので、なんでも動詞化できます。「テニスをする」「テニスする」「テニスをプレーする」など、ありとあらゆる言い方を動詞文で産出できるのが日本語の面白いところであって、テニスが上手な人を見て、「上手なテニスのやり手」と考えることは少ないのではないでしょうか。仮にそう考えるとしても、「テニスのやり手」「テニスプレーヤー」と考えるのは、なにか特別の意図をもって表現するときのような気がします。普通は「上手にテニスをする」と考えてしまします。

英語と日本語の「形容詞」「副詞」問題再燃

以前の記事で、「形容詞」と「副詞」については、学校教育科目としての英語と日本語の間で深刻な問題があることを書きました。

なにしろ、国語の「形容詞」とは、終止形が「〜い」で終わる形式的な分類ですが、英語では「名詞を修飾する語(要素)」です。「速く走る」の「速く」が、「速い」と国語で読めば形容詞(役割としては連用修飾語)に対して、「fast」と英語で読めば副詞です。この「形容詞・副詞問題」を英語の先生に尋ねれば、「国語の先生に聞きなさい」、国語の先生に尋ねれば「英語の先生に聞きなさい」となり、教育セクショナリズムの象徴的な例として、私は記憶し続けています。

実際のところ、学校英語と向き合っていくには、国文法は一回捨てた方がいいです。古典文法は、古文が入試に出る大学を受験するならば並行してやっていかなければなりませんが、国文法についてはなぜか大学受験科目としての現代文では出題されません。文科省も、大学も、高校も、中学生を苦しめた「国文法」をなかったかのような扱いにしています。私は執念深いので、「形容詞・副詞問題」を忘れませんでした。日本語教師になっても言い続けていますが、「そうそう、そうだよね!」と共感してくれた人はほとんどいません。「キミの理論はここがおかしい!」っと批判してくれるなら嬉しいところですが、「私は国語苦手だったのでぇ。」とか、「私は英語苦手だったのでぇ。」と、そもそも「形容詞・副詞問題」に目を向けてくれないんですね。簡単なことのようで、簡単ではありません。

脱線:英文和訳を「微分」、和文英訳を「積分」として考える

微分積分」とは、数学の用語です。私は数学は嫌いではありませんでしたが、いかんせん高校では文系クラスでした。数II・Bまでしっかりやりましたたが、楽しい!とか得意!という感覚はもったことがありません。定期試験での「微分積分」は、コツをつかめばなんとか点をとれたので、他の分野より楽しかったですね。

「微分」とは、「微(こまかく)分(わける)」こと

どんな長い文章でも、段落・・・というふうに細かくちぎって行けば、最後は単語にまでほぐすことができます。単語の意味、文の意味、段落の意味を文脈や文章全体の中で意味を捉えながら読めば、解釈することができます。複雑なものを解きほぐすこの作業は、「分析」とも言えます。

「積分」とは、「切った材料から料理を作る」こと

微分に対して、定義が比喩的ですいません。積み上げるという感覚でいいのでしょうが、もっといい定義があると思って思案中です。微分積分のすごいところは、「大根」の体積を求めることができることだ、となにかの本で読みました。大根は、立体で、太さが一定ではありません。この体積をはかるには、立方体や直方体の体積の公式のようにシンプルにはいきません。まずは、大根をスライスして、「」を作ることになります。数学は実際には不可能なくらいまで大根スライスの「厚み」を限りなく0にすることができるのがすごいですね。大根の各スライスの面の面積を全部足せば体積になるじゃないかという考え方です。このスライスという作業が、一回の微分です。一つ一つのスライスの面積はどう求めるのかというと、もう一回微分して、「面」を「線」にします。「線」は長さなので、長さが集まれば、「面」になる。「面」が集まれば、大根という「立体」になる。このように、スライスする作業が「微分」で、切ったスライスを集めて積み重ねる作業が「積分」なんですね。微分積分を言語の分析の比喩に使うと、「より小さい要素に分ける」のが微分で、「より大きい要素にまとめる」のが積分です。分析に対して「総合」と言ってもいいですね。くどくなりましたが、「分ける」と「まとめる」と言えば、すっきりわかりやすいかもしれません。

スピーチの原稿と「微分積分」

人間は長く生きていると、嫌でもスピーチをする機会があります。仕事、結婚式、葬式などで、なにかしらの挨拶をしなければなりません。スピーチに自信がない人は「原稿」を書くでしょう。「原稿通りに読み上げる」のは、聞き手としては頭に入りやすいものではないですが、主賓の挨拶がとっちらかってしまって、いつまでたっても乾杯に入らない結婚式よりはましです。

最初は原稿を読み上げる形でも、何度かやっていると頭に入ってしまい、すらすらの話せるようになります。「原稿」も文章でなくて、「箇条書き」でいいのです。これは、「箇条書きという大根のスライス」を、その場で「大根のおでん」に積分できるようになっているんですね。場合によっては、スライスから再現されるのは「大根サラダ」かもしれません。言葉の積分は、必ずしも元の原稿のどおりに再現されるとは限りません。数学の積分にも「積分定数」というものがあって、任意の値を取りますが、この微分したり積分したときの結果の違いが面白いです。

日本語教師は「教案」に基づいて授業をするのですが、それは「原稿」を読むスピーチのようなものです。だんだん、スピーチの骨子は頭にしみつくので、慣れてくると、そのクラスやその学生に対する当意即妙な授業をすること意識がいくようになります。私の言葉でいうと、「ライブラリ感に基づくアドリブ感」です。大事なことを外さないように留意しつつ、最低限の箇条書きメモから、タイムリーな授業を作るんですね。このことは、プログラミングの話と絡めて「クラスとインスタンス」についても書きたいところですが、別の機会に持ち越します。

料理が上手い人というのは、無限の材料、決められたレシピの通りに作るプロよりも、「冷蔵庫の中にありあわせで作れる人」と言われるのではないでしょうか。父がプロのシェフでも、家庭料理は母の味がいいということもあります。今の時代、男女でどちらが料理をするものという観念がなくなったのはとてもいいことですが、「おふくろの味」という言葉は大事にしたいなぁと思います。プロのシェフは、様々なお客さんを見ていますが、家庭では家族を見ています。同じ材料でも、完成するお品書きは違ってくるものです。

形容詞・副詞問題」と、「言葉の微分・積分」を前提として、話をまとめていきます。語学の勉強をするときには、「文法用語」を知っていた方が有利です。「〜べきだ」の「べき」という言葉は、古典文法における助動詞「べし」が現代にも生き残っているものと言えますが、意味を分類すると「スイカトメテ」と覚えたように、「推量・意思・仮定・当然・命令・適当」という訳(微分の結果、導関数)が得られています。「推量」を積分すると、「〜だろう」となりますし、「当然」ならば、「当然〜するべきだ」という訳が導けます。この文脈では、「◯◯」だ、という文法用語が想起できれば、あとはそれに合わせて訳を作れるわけですね。しかし、「形容詞・副詞」の森で迷子になってしまうと、何をどうしていいのかわからなくなります。迷子にならないためには、地図が必要です。


「形容詞→名詞」関係と、「副詞→動詞」関係を行ったり来たりする

英語が名詞指向なら、名詞を動詞と解釈する。形容詞は、名詞を修飾するので、最終的には名詞のかたまりとして吸収されるが、形容詞と名詞の関係を、日本語的な「動詞」の訳に持っていく。

「動詞」で考えてしまいがちな日本語から自然な英語に仕上げるには、動詞を名詞的な形に持っていく。動詞を修飾するのが副詞(国語的には連用修飾語)なので、副詞と動詞の関係を、形容詞と名詞の関係に持っていく。

今、私が整理できていることはここまです。英語の「形容詞+名詞の関係」と日本語「副詞+動詞の関係」を微分・積分的に行き来すること、これが、くだんの学校の先生が言いたかったことだが、「隠されていたカリキュラム」だと思います。もちろん、このような翻訳テクニックは、プロの翻訳家や、大学教授のような専門家の先生にしてみればいろいろ存在するのでしょうが、中学生や高校生で行き詰まるレベルでは理解できません。今持てる武器は「名詞・形容詞・副詞・動詞」だけです。試験の現場では鉛筆で線を引いたり、◯で囲んだりすることしかできません。限られたアイテムでボス戦に挑むからゲームも楽しいのであって、チート(裏技を使う)して無双しても、面白くはありません。自分の学習段階に合った戦い方を見つけていくためには、やはり「日本語」を駆使するしかありません。

まとめ

日本語教師が考える英文法用語シリーズが第4回まできました。もう少し書けそうですが、思い出した順番でnoteの記事に書いていきますので、必要に応じて戻って読み直していただけると幸いです。自分が生徒・学生だったときに経験したり、考えたことをエネルギーにしながら、学習者視点での楽しい学び方を考えていきたいと思います。


次の記事はこちらです。


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