感情がうごくこと 映画“Sin señas particulares”
「あー、あかん、なんでこんなことになるんやろう」
ひさしぶりに観た映画で気持ちの渦に飲みこまれた。
“Sin señas particulares”(邦題:「息子の面影」)
メキシコではよく耳にするアメリカへの不法移民に関する映画。
主人公はメキシコ人の母親。
アメリカへ出稼ぎに行くためにバスに乗ったきり連絡がない息子を探している。
警察では一緒に行った息子の友人の遺体写真と、息子の持っていったバッグの写真が見つかるが、息子が死んだという確証はない。
遺体は焼いて遺棄された可能性も高いと言われるが、母親は決定的な確信が持てず、国境付近まで息子を探しにでるという話だ。
出稼ぎとはもちろん不法滞在をして働くこと。
メキシコ人は日本人のようにビザなしでアメリカに入国できない。
知り合いのメキシコ人や元同僚からアメリカに不法入国して働いたと聞いたこともあるし(山を越えて入ったと言っていて、実際どんなルートかわからないが)、アメリカのレストランに入ると不法滞在で働いているというメキシコ人のウェイターさんにも会う。
そのためそこまで遠くは感じないテーマ。
なのに衝撃だった。
あー、なんでこんなことになるんやろう。
映画は過去実際にあった国境付近バス失踪事件なども調査しているフィクション。遺族などへの取材も行われ、現実にある問題も取り入れたもの。
舞台となる米・メキシコ国境には以前訪れたことがある。
国を分断する鉄の板がずーっと並ぶ風景。
アメリカのサンディエゴからしか見たことがないが、虚しいというか、薄淋しいというか、無機質というか。
日本は島国で国境を意識することなく過ごしている。
もちろん県境をまたぐときに特別な意識をすることもない。
普段過ごす街の景色の中に壁があるというのは、
見慣れてしまうのだとは思うが、どこか異様だ。
すぐそこに地続きにいるはずの人と簡単に会うことはできず、
その一線があらゆる面で大きな違いとなる。
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こうした事件や映画と出会う時、思い出すのは24年前メキシコで1年間留学した時のこと。
オアハカ州を夜行バスで旅行中、乗っていたバスが強盗に遭った。
当時16歳。ホストファミリーと一緒だった。
メキシコシティから長距離列車に乗り、その後バスに乗ってオアハカまで行く旅行。
その帰路の夜行バスで山間部を通っている時だった。
私はバス酔いがひどくて(しかも3等バスでシートも壊れていたりして)、ぐったり。
クーラーがガンガンに効いていたため寒くて寒くてジーパンの裾を伸ばし、フードをすっぽりかぶって2シート使って小さくなって寝ていた。
ふと気が付くとバスは止まっていて、隣にいたホストブラザーに小声で起こされたようだった。
電気が消された薄暗い車内で、彼はそっと前方を指さす。
座席から頭を出して前を見ようとすると
と彼に引き止められ、座席から降りて床に伏せるように言われた。
この時わたしはまだまったくスペイン語がわからず片言の英語での会話。
チラッと見えたのは目出し帽をかぶって猟銃を持った人が運転席付近に立っていたこと。
床には少し血がついている。
(その時に見たのか、バスを降りる時に見たのか記憶はあいまい)
何が起きているのかよくわからず、床に伏せていると、通路を歩く彼らの一人の足が通るのが見え、そのまま後部座席まで行き、また前まで戻っていった。
そして彼らは降りていき、バスは出発。
バスが出てから外の後方で、バーンと銃声が響いた。
その後バスは警察に行き、その際にホストブラザーが起こった出来事を話してくれた。
ホストファミリーはいつわたしを起こそうかとハラハラしていたらしい。
寝ていると咎められるかもしれないし、かといって起こしてもスペイン語が理解できないわたしは対応できない。
幸いにも寝ているわたしに気づかなかったのか、気に留めなかったのか、わたしの座席は通り過ぎた。
もう24年前のことで、記憶が段々鮮明でなくなってきている。
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どこかで確かに苦しんでいる人たちがいる。
大変なことが起こっている。
ニュースで見たり、NGOの活動などを聞いたり、
でも、感情はなかなか頑固で動きたがらない。
自分の実体験と結びつくような事件であったとしても、継続的になにかを変えようと行動を起こすほどのことにはほとんどならない。
どこか違う国の名無しの人の出来事。
自分とは関係なくて「お腹がすいたな」と思ったくらいで忘れていく事件。
どうして自分はこんなに無関心でいられるんだろう、薄情な気がする、
なんてどこか後ろめたさを感じたりしていた。
でもあるとき、養老孟司の『超バカの壁』の「血税の意味」という一節に書かかれていた文章に思わず見入った。
どこかで知っていた。
でも誰もそんなこと言ってくれなかった。(人のせいにしてすみません)
後ろめたい気持ちで、勝手に関係ある気でいたわたしが何かしていたか。
何もしていない。
ひとり一瞬悲痛な気持ちになったつもりでいただけ。
関係ないことを認識する。
まずはそこから。
そんな関係のない出来事をちょっと自分ごととして考えさせる。
これって映画のチカラだなと思った。
ニュースなどでは動かないココロが気持ちが、ぐわーーーーっと持っていかれて、グラグラしだす。
この映画の監督は同い年のメキシコ人女性。
なんだか勝手に親近感がわいた。
彼女はどんな目線から、自身の国の問題を映画として残し、訴えたいと思ったのか。
こういった事件を映画を通してメキシコに、世界に知ってもらうことで、どんな感情を持って、どんな風に変わればいいと思ったのか。
いつか彼女に話を聞いてみたい。
文化の力は目に見えないけど強い。
もしかしたらメキシコのモノを通じてわたしが伝えたいと思っていることも、ちょっとそんな要素も含んでいるのかもしれない。
そう思った。