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文明開化と英雄の誕生【物語元型論】

前回は最初期の豊饒神話について説明しました。これは狩猟採集社会における季節の循環を表わす物語です。
今回は一旦、豊饒神話からわき道に逸れて、英雄の誕生について解説します。

タブー破りと呪的逃走

永遠の少年は地母神に依存しきっています。それ対して、英雄は地母神から自立し、離れようとする存在です。

しかし、この自立は女神に対する挑戦や反逆、つまりタブー破りです。禁忌を侵す者に、地母は恐ろしい面を向けます。容赦なく襲い掛かり、取って食おうとするのです。

だから、英雄はこれをうまく切り抜ける必要があります。もし失敗すれば永遠の少年と同様、彼女の糧となってしまいます。つまり死にます。

イザナギとイザナミ

例えば、日本神話のイザナギとイザナミを例に説明しましょう。二人は日本国土を造った神とされますが、妻イザナミは火の神カグツチを産んだときに火傷を負い、亡くなってしまいます。

寂しくなった夫イザナギは、妻に会うために黄泉の国へ向かいます。すでに黄泉の住人となっていたイザナミですが、根の国の神々と相談すれば地上に帰ることができるかもしれません。だから、相談している間はけして自分の姿を見ないようイザナギに伝えてその場を離れました。

しかし、なかなか返事は戻ってきません。待ちきれなくなったイザナギはとうとうその姿を見てしまいます。そこには腐敗した体を持つ、変わり果てたイザナミがいました。

イザナギは驚いて逃げ出しますが、約束を破られ、醜い姿を見られたイザナミは怒り、後を追います。イザナギは髪飾りやぶどう、タケノコなどを投げ落として追っ手を撒きました。

ついに彼は冥府との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)に辿り着きました。そして、イザナミがそこに追いついたときには、既にその入り口は大岩で塞がれていたのです。

窃盗型神話とプロメテウス

逃げ出すときに、重要なアイテムを持ち出す英雄もいます。神話において、彼が盗み出すのは食物に関係するもの、特に穀物や火が挙げられます。代表例は、ギリシャ神話のプロメテウスです。彼は最高神ゼウスから火を盗み出しました。

初期の神話における英雄とは、文明の始祖としての文化英雄です。文化英雄は、人類にとって有益な知識の発見や技術の発明を行った人物を指します。

禁忌(タブー)と罰則(ペナルティー)

タブー破りにはペナルティーがセットになることもあります。たとえ逃げ切れたとしても何かしらの罰則がつくのです。

例えば、イザナギとイザナミの物語では、大岩を挟んで二人がやり取りしたことによって、地上の人間が不死ではなくなったとされます。他にもプロメテウスは、カウカーソス山の山頂に磔にされ、肝臓を鷲に毎日ついばまれ続ける刑を受けています(彼は不死なので死にません)。

もちろん、罰則がない場合もあります。インディー・ジョーンズが、お宝を盗み出して遺跡から脱出した後、呪われてしまった! ……なーんてことはありませんよね。

呪的逃走、つまり能動的失楽園

タブー破りとペナルティー、そして不可逆的な喪失でピンと来た人もいるかもしれませんが、呪的逃走は英雄が能動的に起こす「失楽園」なのです。

失楽園とは、キリスト教の旧約聖書の一説に描かれる物語です。楽園であるエデンの園に住んでいたアダムとエヴァは、神に禁じられていた「知恵の実」を食べた罰として、楽園を追放されてしまいます。この物語では、タブー破りの原因は、蛇に唆(そそのか)されたからとなっています。

受動的なアダムたちに対して、イザナギやプロメテウスは能動的、つまり自分の意志でタブー破りをしています。前回述べた通り、地母神は楽園と冥府、双方の主です。ならば、イザナミを地母神とするなら、そのお膝下である冥界から脱出するイザナギは、地母神から自立しようとする英雄そのものです。

現代の物語でも「逃げ切ること」が主人公の勝利に結びつく物語はたくさんあります。例えば、ゾンビ映画の主人公は、ゾンビのいない安全圏に移動できればハッピーエンドと言えるでしょう。

竜退治と姫

グレートマザーの解説でも述べた通り、地母神のネガティブな面は怪物、特に竜として表現されます。上記の英雄は竜から逃げおおせることで勝利を獲得しましたが、戦って倒せる場合もあります。

囚われの姫は、地母神のポジティブな面を表わします。自然の持つツンデレ的性質の内、デレの部分だけをいい感じに得られるようにできるものが英雄なのです。

それは、水害や土砂災害を起こさないようにする治水や、水を農業などに使えるようにする利水のような、水の制御に相当します。なぜなら、竜はもともと蛇の怪物で、蛇は形の似ている「川」の化身とされるからです。

竜を退治した英雄はそのまま、その土地の王になります。文明開化と共に、女神から王、つまり男性キャラクターへと大地の支配権が移行したのです。

ハイヌウェレ型神話

地母神の殺害の類型として、ハイヌウェレ型神話が挙げられます。ハイヌウェレとはインドネシアの神話に登場する少女です。ここでは、分かりやすさのために類型である日本神話のオオゲツヒメの物語を紹介します。

高天原から追放されたスサノオはお腹を空かせていました。そこで、オオゲツヒメに食べ物をもらうことにしました。オオゲツヒメはイザナミ(とイザナギ)の娘で、食物の神です。オオゲツヒメは、鼻や口や尻から食材を取り出して調理し、彼に差し出しました。その様子を見ていたスサノオは、汚い物を食べさせられたと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまいました。すると、彼女の頭からはカイコ、目からは稲、耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が生まれました。そこで、カミムスビはこれらを採取し、種としたのです。

このように、殺された神の死体から作物が生まれたとする神話をハイヌウェレ型神話と呼びます(オオゲツヒメが可哀想……)。この物語は、彼女が地母神、スサノオが英雄の立ち位置だと考えるしっくりきます。つまり、文明の代表者である英雄が、自然の代表者である地母神を倒すと、人類にとっていいものが手に入るというメカニズムなのです。実際、スサノオは和歌を詠む文化英雄としての側面も持っているそうです。

老賢者(オールドワイズマン)

グレートマザーは自然混沌の象徴です。母に対する父、グレートファザーにあたる元型が老賢者です。彼は文明秩序の象徴で、地母神と同様に完全性を持つとされます。文明とは、ここでは文化や技術、規範、社会などをひとまとめたものとして扱っています。

さらに、地母神がその名の通り下の方にある「地」の化身ならば、老賢者元型を表わす存在は、上の方にある「天」を治めることが多いです。例えば、ギリシャ神話のウラノスは大地の女神ガイアの夫で、天空の神です。その息子である最高神のゼウスも天空神となっています。


(追記:2023/11/01)

他に、男性神が「風」、女性神が「水」を司ることもあります。例えば、バビロニア神話では地母神に相当する「ティアマト」は大洋の女神です。この辺りは、日本神話のスサノオが海の神なのとは対照的ですね。

バビロニア神話には、ヘブライ神話がラディカルに消去した記憶が残されうるのである。つまり、二種類の宗教と社会体制の間の戦い、すなわち、夜、水、質料によって特徴づけられる古い母権性に基づく母性的地上的宗教と、光、風、精神によって特徴づけられる新しい父性的宗教との間の闘いの記憶が残されたのである。

エーリッヒ・フロム「愛と性と母権性」P228より

英雄誕生の前夜(追記:2022/08/08)

神話の過渡期には、グレートマザーのような性質を強く持ちつつも、男性神というパターンがあります。それがギリシャ神話のクロノスです。ローマ神話においてはサトゥルヌス(英語読みはサターン)と呼ばれ、かなりホラーな名画「我が子を食らうサトゥルヌス」のモデルとなった神でもあります。
クロノスは、グレート・マザーの象徴である農耕神の側面を持ちながらも、天空神でもあります。大地の女神ガイアと天空の神ウラノスの子で、母の勧めで父から天界の王位を奪い、一時は天界を治めます。けれど、彼は「実子に座を奪われる」という予言を恐れ、子が生まれるたびに丸呑みにしていました。しかし、末っ子のゼウスだけは策略によってそれを免れ、ついには成長したゼウスによって、クロノスは王位を奪われてしまいます。

太母の代理人(追記:2023/11/01)

類似の神話として、地母神の代行者として男性神が出てくる場合もあります。例えば、バビロニア神話では万物の母とされる大洋の女神ティアマトが、息子たちに反逆されかけると徹底抗戦に打って出ます。そのときティアマトの代理人として「光輝く神」キングーが戦いの指揮を任されます。

 他に戦場に引き連れるのは、蝮蛇(まむし)、蟒蛇(バジリスク)、蠑螈(いもり)、
 狂犬、颶風(ぐふう)、蠍人、凶暴な嵐、魚人、海の牡羊。
 ティアマットはこれら十一の怒り狂う武器を持ちを恐れない。

 ティアマットが断固として命令を下せば、逆らう者はだれもなく、
 十一の怪物もティアマットと戦いに出陣する。
 臣従する神の子らのうち、
 ティアマットは今やキングーを高きにおき、権力を授けた。

 軍を指揮し、部隊を率い、
 戦闘を開始し、争いを引き起こすために、
 戦いの指揮権と命令権を、
 ティアマットはキングーに授け、きらびやかな身なりをさせた。

  (略)

 かくてキングーは高きに在り、いま全神として統べつつ、
 神の子らに運命を宣告する。
 「さあ口を開け、火の神を窒息せしめよ。
  勇猛に戦う者は、必ずや権力をかちえよう」

この戦い、この反逆は、聖書に描かれた反逆とはきわめて異なる。聖書では、息子は、妻にそそのかされ、父親に反逆するがために、父親によって楽園追放、すなわち母親からの分離という罰を下される。ところがここでは、息子たちが太母に反逆するのだ。太母は夫よりも強大である。アプスーは打ち負かされるのに、ティアマットが敗北することはない。ティアマット神は恐怖の女神戦士であり、女神司令官として、今や男性的神キングーを指名し、夫とする。この過程には、母権的社会にしばしば見られ一つの特徴が、つまり、軍事及び政治の指揮権は男性に掌握されているとはいえ、男性の権威と尊厳は女性から与えられ、かつ女性たちの代理としてのみ機能するという特徴が、反映されるだけである。

エーリッヒ・フロム「愛と性と母権性」P216より

一方、ティアマトと共に世界を生み出した(元夫?の)真水の神アスプーは息子たちの反逆に対して悲嘆に暮れて憂うばかり。そのことをティアマトに相談しに行き、彼女が怒り、それを受けたムンムという使者を助言を聞いてやっと(しかし嬉々として)行動を始めています。どうにも気弱そうですね。

古い母権性的表象の最後の名残があるとすれば、それは次のような事実に見られるだけである。すなわち、ティアマットが本来の女王にして支配者として描かれること、さらにティアマットが最初は打ち負かされることなく、夫アスプーが敗北したこと、キングーを軍の指揮官および夫としてのみ、ティアマットが「指名する」こと、ティアマットとアスプーの息子たちが抱く恐怖と尊敬の念は、夫アスプーにではなく、ティアマットにに対するものであること、これらの事実に見られるだけなのである。

エーリッヒ・フロム「愛と性と母権性」P229より

今回のポイント

・英雄は文明を作った存在である。ここでの文明とは、文化や技術、規範、秩序、社会などを総称する単語である。

・英雄譚において、文明自然は対立する。このとき、文明が味方、自然が敵となる。

・老賢者は文明を象徴化した存在で、と関連が深い。

おわりに

今回の執筆は少々難航しました。文明を生み出した英雄の、始まりの物語を説明する上で必要なピースが揃っていない感じがしたのです。

足りなかったのは、呪的逃走と竜退治の関係性で、ここが「闘争か逃走か」で対比できることに閃いてからは早かったです。

次回は、もう一度豊饒神話に戻り、大地という名の玉座を巡る二人の男の決闘を描きます。よろしければスキを押していただければ幸いです。


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