月の砂漠

3月の声を聞くと暖かい日が増え、そんな日は散歩に行くのに上着がいらない。住宅街を歩くと、風に揺れる白いカーテンに見え隠れする窓辺で布団を干す人、ベランダの花の手入れをする人・・・。開いている窓から室内のおしゃべりや、かちゃかちゃと食器の音、テレビの音声も流れてくる。あ、誰かがチェロを練習している。

軽やかな春の風の中に響く、低音を耳がたどっていく。弦の振動が、木の箱の中で共鳴して紡ぎ出されるメロディーには、安定感と人の声のような暖かみがある。男性の低い声が穏やかに何かをささやいているようだ。この人は、まだ稽古を始めたばかりらしい、時々音程がずれて止まり、また途中から弾き始める。行きつ戻りつしながらぼつぼつと話す、不器用な男のおしゃべりのように。
 テレビやラジオから男性の低い声が聞こえてくると、つい手をとめて耳を傾けてしまうのは、若い頃から。中学の入学祝いでラジカセを手に入れてから、毎晩、ジェット・ストリームの城達也さんの声で夢の世界にいざなわれ、ナット・キング・コールのスタンダード曲を聞きながら、大人の恋に憧れた。低音の声の持ち主は皆、落ち着いた大人の男だった。

小さい頃、家の近くの大きな公園で、迷子になったことがある。父親に連れられて時々遊びに行っていたからどこも見覚えのある景色ではあっても、どこを歩けば出口にたどり着くかまではわからない。誰かが手を引いて父のいるところに連れて行ってくれた。細かいことは記憶にないが、大きくてあったかい手にひかれて歩いた。その人と一緒に『月の沙漠』を歌いながら。いったいどんな顔をしていたのだろう?なんと話しかけてくれたのだろう?物悲しいメロディーだけが、耳に残っている。低い響く声とともに。

そんなことがあったことを、少し前に同じ公園で迷子の男の子を案内所に連れて行き、思い出した。半世紀以上も前のことで、すっかり忘れていた。低音の美声に耳を傾けてしまうのに、影響しているのかもしれない。

生まれた街を離れ、時をおいてまた戻って暮らしていると、幼い頃に海に流された片方のビーチサンダルが、何十年もしてから、世界中の海を回ったあと、潮の流れにのって、また同じ砂浜に戻ってきたのを、みつけたような気がすることがある。

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