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■安土城探訪記②
昨日更新した、安土城探訪記の続きです。
いや、すぐ書かないと書かずに終わる、私あるあるが発動しそうで(笑)
よろしければ、おつきあいください♪
前回の記事で、安土城址へ辿り着き、歩き始めたもののすぐに「責任者出てこい」となりました(雑な説明)。
今回はそこから少し寄り道して、摠見寺で一休みし、そのまま天主跡に向けてずいずいと上り…辿り着かなかったところまでです。えぇ、もう一つ記事を立てる羽目に陥りましたとさ。
大河ドラマ『どうする家康』で、どれほどピックアップされるかはわかりせんが、あの時代の象徴ともいえる場所である「安土城」。
また、それまでの中世的なお城とはずいぶん違うお城でもあります。少しでもその雰囲気をお伝えできればと思います。
■昨日の記事はコチラです
安土駅から安土城への風景や、とりあえず「山!」な景色を堪能できる記事です。大手門跡から、大手道あたりの階段から信長公の考え方なども推察しています。
また、今回の記事も含め、こちらのマガジンへ組み入れています。
よろしければ、ごらんください。
■摠見寺(そうけんじ)へ
まずは、摠見寺の沿革から。
臨済宗妙心寺派の寺で、遠景山と称す。
安土城築城の際、信長公が他所より移築し、安土城本丸の西方の峰に自らの菩提寺にしたと伝えられる。
天正十年(1582年=本能寺の変)の天主崩落の際にも焼け残ったが、安政元年(1854年)11月16日に火災により本堂などほとんどが焼失した。今は礎石のみが三重塔の北に残っている。
その後、昭和七年仮本堂が大手門近くの伝徳川家康邸跡に建てられ現在に至る。
というわけで♪
大手門跡を通り過ぎ、最初の大手道をずいずい登ると、前田利家さまのお家跡があります。
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それを通り過ぎると、すぐに吹き流しがあり、それを目印に右折すると。
記事をお読みいただき、ありがとうございます。いただいたサポートはがっつり書籍代です!これからもたくさん読みたいです!よろしくお願いいたします!