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【名古屋探訪note1】桶狭間古戦場公園
えりたです。
名古屋には「郷土三英傑」と呼ばれる方々がいます。織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公のお三方です。そうして、名古屋で彼等の物語を旅してみようとの企画「なごや英傑 聖地巡礼」が昨年12月から始められました。
この企画では、名古屋市内で三英傑に深くかかわる場所に設置された家紋スタンプを5つ集めます。そのスタンプがすべてが揃ったところで、規定の案内所へ赴くと「オリジナル家紋印」がいただけるというイベントです。
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私は遅ればせではありましたが、年末から年始にかけてこちらの企画に参加しました。そうして、せっかく歩くならと思い、スタンプの設置された場所の周辺を散策したのです。今回はそのうち「桶狭間古戦場公園」に行ったときのお話です。
■桶狭間の戦い
戦国時代真っ只中である1560年に、名古屋市緑区にある桶狭間で時代の画期となる戦いが起きました。のちに「桶狭間の戦い」と呼ばれる合戦です。
この戦いで、海道一の弓取りと称された今川義元を破ったのは、ようやく尾張を統一したばかりの織田信長でした。互いの戦力について、正確な数は分かっていません。ですが、今川軍と織田軍では、その兵力差は一桁ほどもあったと言われています。
雨のなか、奇襲をかけることで圧倒的な兵力差を覆した織田軍は、今川義元の首を討ち取ることに成功しました。大将が討ち取られてしまえば、軍は総崩れです。
文化的な素養の高さでも、また、統治の確かさでも、全国にその名の轟かせていた今川義元の討ち死には、織田信長の名を一気に広めました。そして、ここから信長の快進撃が始まるのです。
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そんな「桶狭間」が名古屋市内にあることは、わりと知られていません。何を隠そう、私も名古屋城に通うようになるまで知りませんでした(/ω\)💦
今回足を運んだ「桶狭間古戦場公園」は、その桶狭間の戦いが終わったとされる場所です。
■桶狭間古戦場公園
桶狭間古戦場公園は、名鉄有松駅から歩いて20分ほどの場所にあります。名古屋市営バスに乗っても行くことができますが、足軽気質をもりもり装備しているワタクシ、20分程度なら平気で歩きます。
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